佐渡島出身の新潟大・森悠人 「新大の和」を武器に伊勢路でリベンジを
第51回全日本大学駅伝対校選手権 北信越地区選考会
7月13日@長野市営陸上競技場
1位 新潟大 4時間18分54秒
2位 信州大 4時間20分9秒
3位 新潟医療福祉大 4時間20分25秒
4位 金沢大 4時間31分0秒
5位 富山大 4時間34分54秒
6位 金沢工業大 4時間57分32秒
※金沢星稜大は棄権
新潟大は全日本大学駅伝北信越地区選考会で、2位の信州大に1分15秒差をつけて1位となり、2大会ぶり12回目の本大会出場をつかんだ。7校それぞれ8~10人が10000mを走り、上位8人の合計タイムで競った。昨年の選考会で、新潟大は1位の新潟医療福祉大に26秒差の3位。一人あたりに換算すると約3秒の差ということになる。この1年は「3秒」の悔しさを常に意識して走り、一丸となって選考会に臨んだ。新潟大を引っ張ってきたのが、中長距離ブロック長でエースの森悠人(3年、佐渡)だった。
北信越インカレ2冠のエースとして臨んだ
森は5月11、12日の北信越インカレで5000mと10000mの2冠を達成。10000mは大会新記録だった。序盤から2位以下を大きく引き離した。勝負を重視していた森はタイムを気にしていなかったという。しかし大会新の可能性があると分かると、残り2000mでスピードを切り換え、30分24秒43でゴール。自己ベストの30分16秒48には及ばなかったが、翌日の5000mでも14分44秒55で勝ちきり、大きな自信になった。
北信越インカレのあともいい練習が積め、チームとして絶対に勝つという強い思いで選考会を迎えた。新潟大としては、1組からリードし、最終3組が攻めのレースをしなくても勝てるというのが理想の展開だった。しかし、1組を終えて信州大と新潟医療福祉大に遅れをとってしまった。2組の森は、2位以下を周回遅れにする勢いで勝ちきると心に決め、駆け出した。
真っ先に飛び出したのは、信州大の板東健志(3年、徳島市立)だった。森は板東の後を追うとすぐに先頭に立ち、板東と二人で後続を引き離した。最初の1000mは3分1秒、次の1000mを3分4秒で刻むと、3位の選手まで約100mの差がついていた。森の後ろにピタッと板東がつき、1000m3分8秒前後のペースで周回を重ねた。
残り3000m、板東が前に出た。板東も森もともに表情にはまだ余裕があるように見受けられ単独で逃げ切るイメージだった森は、予想外の展開に焦りを感じていた。残り1周で森が板東の横に並んだが、板東も譲らない。ふたりとも歯を食いしばりながらラストスパート。最後に右腕を突き出してゴールした森が、30分50秒92で板東をわずか100分の1秒差で下した。3位以下は周回遅れでのゴールとなった。
森は言った。「ちょっと動きが悪いなって感じが最初からありました。板東君が最初に出て、そのあとずっとついてきて、自分も余裕がなくて精神的に焦ってしまいました。ベストな走りはできなかったです」。悔しさがにじんだ。2組を終えた時点では、1位が信州大、2位が新潟大。本大会に出場できるのは1校だけだ。
最終3組には新潟大から4人がエントリーしていた。20人弱の先頭集団から、一人またひとりと脱落していき、5000m時点では10人の先頭集団に。新潟大の4人はみな、この中にいた。残り1周で新潟大の岩渕健(5年、東葛飾)、鈴木駿太郎(2年、長井)、鈴木基史(5年、山形南)と新潟医療福祉大の若澤新也(M1年、村上桜ヶ丘)の勝負となり、最後は新潟大の岩渕、鈴木駿、鈴木基がワンツースリーフィニッシュ。最終組で新潟大が信州大を逆転し、劇的に本大会出場を決めた。
佐渡島で知った夢の舞台、力出しきれず
新潟大陸上部は部員116人。現在、中長距離ブロックは森が中心となり、学生たちで練習メニューを考え、日々トレーニングを重ねている。佐渡島出身の森は、中学2年生のときに初めて全日本大学駅伝を知った。新潟大が全国の舞台で走っていることに「地元の大学でも行けるんだ」と驚いた。高校時代のベストは5000mが15分25秒。関東では通用しないと考えた森は、伊勢路を走る新潟大の選手たちの姿を自分に重ね、地元で進学した。
夢はすぐにかなった。森が1年生だった2017年の第49回大会で新潟大は本大会に進み、森は2区を任された。しかし思うように走れず、2人に抜かれて最下位で襷(たすき)を渡した。「本当に苦い思い出しかないです。だから選考会で勝つのが最低条件だと思ってました」。リベンジをかけた翌年の選考会ではけがで力を発揮できず、チームは本大会出場を逃した。
なぜ選考会で勝てなかったのか。話し合った結果、チームとしてのまとまりが欠けているという考えに至った。そこで中長距離ブロックは「結べ新大の和」というスローガンを掲げた。ベストタイムが近い選手同士が練習から競ってレースでの感覚を養い、常にみんなが「3秒差での敗北」を意識して取り組んできた。「ダメだな、やばいなっていう不安要素があると絶対ダメだから、勝てる雰囲気をみんなで心がけてきました。選考会まで残り1週間でも、1秒上げるために何ができるか、細かいことを言って雰囲気を高めてきました」と森。選考会当日の朝も「最後の1000mで一人が3秒を絞り出そう」と言い合い、森自身もチームが一つになっていることを感じたという。
そして新潟大は最終組で逆転し、2大会ぶりの本大会出場をつかんだ。森は北信越地区トップの走りだったが「最終組の4人がしっかり自分の走りを果たして逆転してくれました。チームに僕も助けてもらったし、僕の力というよりチームで勝てたかなって思います」と語った。
小学校の先生か、競技続行か
森は大学で力をつけ、5000mは1分近く記録を更新した。「まだまだいけるなって感覚はあります。今日は正直ダメだったんですけど、ここまでの練習は絶好調でした。悔しい部分はあるんですけど、本大会ではもっと上位のところで勝負できるかなって思ってますし、それが目標です」と言いきる。
本大会については、森としては序盤で主力が勝負をして関東の強豪校に挑み、流れを後半につなげられたらとイメージしている。本大会まで選手一人ひとり、とくに5~6番手の選手の底上げに力を注いでいく。
教育学部3年生の森にとって、来年の春から夏は教育実習と教員採用試験の真っ最中だ。小学校の先生を志している一方で、陸上への思いもある。「もっと力をつけてアピールして、実業団で自分の限界まで挑戦したいという気持ちもあります」。その最大のアピールの場は全日本大学駅伝となるだろう。佐渡島で走り始めた森は、あの日見た全日本の舞台で夢の続きを紡ぐのか。より強固になった「新大の和」を武器に、いざ伊勢路。