入れ替え戦で1部残留の中央大、7年間一緒にやってきた4年生FWの絆
ラグビー関東大学リーグ戦 入れ替え戦
12月8日@埼玉県営熊谷
中央大(1部8位)52-24 立正大(2部1位)
スタンドから見守った友人の思いも背負い、トップレベルでのラグビーキャリア最後となる80分間を一心に駆け抜けた。12月8日に関東大学リーグ戦の入れ替え戦があり、1部8位の中央大が2部1位の立正大に快勝し、1部残留を果たした。
体を張ったLO岡野と、スタンドにいたFL藤田
今年、1部で最下位に沈んでしまった中央は、2部で全勝優勝した立正の挑戦を受けた。「中央初の2部落ちがあるかも……」という前評判をまったく感じさせることはなく、序盤からFWで相手に圧力をかけて主導権を握り、8トライの猛攻で52-24とで快勝した。
中央のFWの中でセットプレーの中心選手として体を張ったのが、身長192cmのLO岡野季樹(4年、日立一)だった。「絶対に負けられない試合でした。本当に1年間やってきたことをすべて出せば勝てると信じてました。FWのモールという強みを出そう、と話してました。(残留を)達成できてうれしいです」と、岡野は声を弾ませた。
岡野には日立一高時代から7年間、同じチームでやってきた友がいる。FLの藤田純平は今年6月に左足首の大けがをして、今シーズンはまったく試合に出られなかった。「藤田が一番、ラグビーが好きで、やりたい気持ちがあったんですけど……。彼の分もやらないといけないと思ってプレーしたので、勝ててよかったです」
スタンドから声援を送った藤田は、しみじみと話した。「勝てて最高でした。7年間一緒にラグビーをやってきて、お互いの下手なときからずっと知ってます。岡野がこれだけ成長して頑張ってる姿に心を打たれました。(強豪校出身の選手たちの中で)プレーしているのは誇りに思えたし、僕が試合に出られない分まで背負ってピッチに立ってくれてるのが伝わってきたので、うれしく思います」
日立一は花園に過去に5度出場したことのある古豪だが、彼らが在籍したとき部員は15人ギリギリで、県予選で2回勝つのがやっとというレベルだった。
ともに日立一高で始めたラグビー
高校に入り、まずラグビー部の門を叩いたのは岡野だった。小3から中3までやっていたサッカーには、限界を感じていた。ラグビー部の顧問の先生から「大きくても小さくても太ってても、武器が作れるのがラグビーだ」と誘われて入部した。遅れること半年、野球部をやめた藤田を岡野をはじめとしたラグビー部員たちが誘い、楕円(だえん)球の輪に加わった。
岡野はロック、藤田はプロップとして、同じFWで汗を流した。岡野は身長が高かったこともあり、高校日本代表候補にも名を連ねた。そして日立一のOBが中央の松田雄監督の1学年上で中央でプレーしていた縁もあり、スポーツ推薦で中央大法学部に入った。
藤田はラグビーを始めてすぐに頭角を現し、日立一で唯一、FLとして茨城県選抜に選ばれた。「高いレベルでラグビーをやってみて刺激を受けました。大学でもうまい選手たちと競り合ってプレーしてみたい」という思いの芽生えていた藤田は、一般入試で国立大の法学部と中央の法学部に合格した。
どちらに進学するか悩んでいると、岡野から「中央で一緒にやろう」と声をかけられた。藤田も中央に進むと決めた。強豪高校出身の選手が多い中で、当初はレベルの差を感じながらも「いつか一緒にAチームでプレーしよう」という思いを胸に、ふたりは勉強とラグビーに精を出した。
3年生の東海大戦で、初めてともに先発でリーグ戦出場
松田監督が「日立一のふたりは、練習からすごく頑張ってました。感謝してます」と言うように、岡野と藤田は切磋琢磨(せっさたくま)し、徐々に力をつけていった。ふたりが3年生の昨年9月、流通経済大戦で初めてリーグ戦で一緒に戦い、10月の東海大戦ではともに先発で初めてリーグ戦に出場を果たすまでに成長した。
今年になり、かつてU20日本代表を率いていた遠藤哲さんが中央のヘッドコーチとなった。そしてチームは「変革」をスローガンに掲げ、大学選手権出場を目指した。その矢先の6月、藤田は春季リーグの試合で大けがを負い、今年中の復帰は絶望的となってしまった。
藤田は言う。「最初はかなり落ち込みましたけど、同じ4年生たちが頑張ってる中で、あきらめた姿を見せたくなかった。走れなくても、トレーニングやボートやバイクをできる限りやって、弱い姿を見せないようにしました」
松田監督は「藤田はチームのために、選手たちが練習をやりやすい環境づくりを率先してやってくれました」と話した。岡野は「けががなかったら、藤田とは今年も一緒にプレーできたと思います。でも、僕らの支えになってくれました」と感謝した。
入れ替え戦では岡野はもちろんのこと、ゲームキャプテンを務めたNo8鬼頭悠太(大阪桐蔭)やPR有藤孔次朗(日川)、FB楠本航己(大阪桐蔭)らの4年生が躍動した。伝統校の意地、そして4年生たちの意地が強く、強く感じられた試合だった。
ふたりともラグビー人生にピリオド
この4年間、中央は大学選手権に出場できず、2年連続で入れ替え戦に回ってしまった。岡野は言う。「いまの3年生はタレントぞろいなので、春からしっかりいい練習をして積み上げてきたものをリーグ戦で発揮して、大学選手権で活躍してほしい」。そして藤田は「追い込まれたときの力を、追い込まれる前に出してほしい。シーズンが始まった段階で今日のような状態になるように、学生主導でチームを作ってほしい」と、エールを送った。
社会人になってもラグビーを続けないかという誘いはあった岡野だが「ロックとして自分の理想とする姿と現状がかけ離れていて、ストレスになってました。自分の中ではラグビーは高校、大学の7年間で終わりにしようと思ってました」と、一般就職で強豪のラグビー部も持つ企業に就職する。藤田もラグビーを続けず、来年4月から金融マンとなる。
岡野と藤田は決して強豪校ではない高校時代から一緒にプレーし、お互いの存在が励みとなり、中央で文武両道を貫いた。ふたりでいっしょに試合に出た時間はわずかだったかもしれないが、1924年創部の伝統校の歴史に、確かに足跡を残した。7年間のラグビー人生で得たさまざまな経験を糧に、社会人として新たな歩みを始める。