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2020年5月、赤穂は青山学院大学バスケットボール部を退部し、千葉ジェッツふなばしとプロ契約を結んだ ©B.LEAGUE

バスケ一家の長男・赤穂雷太 千葉ジェッツで目指す「本当のオールラウンダー」

2021.02.08

「頻繁に連絡を取るわけではないですけど、実家に帰ったら一緒にバスケットをしたりしますし、バスケット以外の他愛もない話をしたりもするので、いたって『普通のきょうだい』って感じです」

両親はともに元バスケットボール選手、姉のさくらと双子の妹・ひまわりは現在デンソーアイリスに所属し、女子日本代表に名を連ねた経歴を持つ。もうひとりの妹・かんなも日本体育大学でプレーしている。そんなバスケ一家の長男として育ったのが赤穂雷太(あかほ・らいた、22)だ。身長196cmのオールラウンダーは2020-21シーズン、青山学院大学バスケットボール部を退部して、千葉ジェッツふなばしでプロ選手としての歩みをスタートさせた。さらなる高みを目指して。

市船時代に素質を見いだされ、「194cmの大型ポイントガード」へ

「父が実業団でプレーしていたので、幼い頃からバスケットを見る機会は多かったですね。家の庭にもリングがありましたし、3~4歳の時からボールを使って遊んでいました。きょうだいの中でも当時は僕が一番長い時間遊んでいたと思います」

赤穂の周りには物心がついた時からバスケがあった。両親の影響もあり「自然とバスケットがやりたい」と思い始め、ミニバスには小学1年生から所属。中学校までは地元の石川県でプレーしたが、高校は「中学校はあまり強いチームではなかったので、レベルの高いところでやりたいと思って県外を考えるようになりました」と、千葉県の強豪校である船橋市立船橋高校へ。これには、「2人が中学校から千葉に行っていたことも少しは影響していたと思います」と赤穂。昭和学院中学校から昭和学院高校(千葉)へ進んださくらとひまわりを追うような形で親元を離れた。

「あの経験は本当に自分の中で大きなものでした」

市船時代、ひとつの転機が訪れる。それは当時チームを指揮していた近藤義行コーチ(現在は同校の教頭)に素質を見いだされ、人生初となるポイントガードへの挑戦だった。

「高2のU18代表合宿の時に、たまたま普段やらないポジションで練習する機会があって。その時に近藤先生もコーチとして参加していたので、そこで僕をポイントカードにしようと思ったんだと思います。高3に上がる前、新チームがスタートするタイミングで、先生から『今年はポイントカードとしてお前を育てる』と言われました」

高校ラストイヤーを前にしてのポイントカードへの挑戦は、その後につながるきっかけになった ©B.LEAGUE

当時から身長が194cmあった赤穂は、高校入学後は主にパワーフォワードでプレーしていた。中学時代は「全部ひとりでやるような感じだった」ようだが、「本格的にポイントガードをやり始めたのは高3の時が初めてです。それなりにできた感触はありましたけど、やっぱり経験が物を言うポジションなのですごく大変でした」と当時を振り返る。

「でも」と赤穂は自らの言葉を打ち消し、こう続けた。「あの経験があったから今の自分があると思っていますし、本当に自分の中で大きい経験だったと思っています」。高3のインターハイとウインターカップではともにベスト8。日本一には届かなかったが、「194cmの大型ポイントガード」として全国に大きなインパクト残した1年だった。

青学でフィジカルを鍛え、Bリーグへの挑戦を決意

プレーの幅を広げていった赤穂は高校卒業後、青学に進んだ。青学は少数精鋭のチームであり、徹底的にフィジカルを鍛えるという伝統がある。赤穂自身も苦笑いしながら「キツいトレーニング」と話すような日々を過ごし、体も大きくなった。「1年生の時から本当に自由にやらせてもらえました」と、ボール運びにインサイドプレーにと、万能選手としての道を加速させていった。

大学へ入学する以前からプロを目標としていた赤穂は、3年生でのインカレを終えた後、当時の指揮官・廣瀬昌也氏へ2人きりでの話し合いの場を求めた。そこで、これからのキャリアについて自分の考えを話した。「もっと高いレベルでやりたい」と。

そして、昨年1月には横浜ビー・コルセアーズと特別指定選手契約を締結。活動期間は3カ月弱ではあったが、計9試合に出場して1試合平均約13分のプレータイムと4.7得点を記録した。目標の舞台で確かな手応えを得たことで、大学でもう1年プレーするという選択肢は次第に薄れていった。

「横浜でプレーさせてもらったことで、Bリーグで通用した部分と通用しなかった部分が分かりましたし、『やっぱりこのまま高いレベルでやりたい』という気持ちが強くなりました。それで大学に戻った時に『挑戦したい』と同期に話して、同期も背中を押してくれたので決心がつきました」

プロの世界を経験したことで、より高いレベルで戦いたいという思いが強くなった ©B.LEAGUE

両親の言葉を励みに、千葉で“自分の色”を

昨年5月15日に横浜から退団のリリースが発表された約10日後、千葉ジェッツから赤穂雷太入団(プロ契約)の知らせが届いた。赤穂にとっては高校以来となる千葉への“帰還”だ。

千葉ジェッツと言えば、Bリーグ発足以降もリーグ準優勝2回、天皇杯3連覇などの成績を誇る屈指のクラブ。当然チーム内での競争も激しくなるが、それでも赤穂は「千葉に加入して悔いはないです」と言い切る。事実、まだプレータイムに波はあるものの、レギュラーシーズン折返しとなる30試合を消化した時点で計22試合に出場し、そのうち6試合で先発の座を射止めている。ルーキーとしては及第点以上の結果とも言えるが、本人は満足する気などサラサラない。

「全ての面においてレベルアップしないといけないですし、もっともっと自分から発信していかないとダメです。特にコミュニケーションに関してはこれまで以上にとっていかないと、と感じていて、いろんな先輩方に自分の分からないことや思ったことは相談するようにしています」

千葉に入団当初、大野篤史ヘッドコーチからは「“自分の色”をしっかりと見つけて、それを描いていこう」というアドバイスを受けた。「高身長で外も中もできる」。それが、赤穂が自覚する自分の色だ。しかし何でもできるがゆえに、「飛び抜けたものがない」と落ち込んだ時期もあったと打ち明ける。

そんな悩めるルーキーを救ったのが両親の言葉だった。「確かにそうかもしれないけど、逆にそれができる選手の方が少ないんだから」

「正直、千葉に入る時も横浜で続けるかどうか迷っていました。その時も『自分が好きなように決めたらいいよ』と言われましたし、小さい頃からバスケットに関しては自分の好き勝手にやらせてもらったので、本当に感謝しかないです」

「高身長で外も中もできる」という強みを生かし、さくらとひまわりとともに日本代表入りを目指す ©B.LEAGUE

現在の赤穂は「それがプロ」と胸に刻み、どのポジションであろうと求められた場所で結果を出すことを最優先に置いている。

「きょうだい3人で日本代表に入れれば親も一番喜ぶのかなと思いますし、自分自身もそのレベルのプレーヤーになりたいです。目標は常に高く持っていたいなと思います」

「本当のオールラウンドプレーヤーを目指している」。そう言い放った赤穂の“本当の”には、グッと力がこもっていた。(文・小沼克年)