テーブス海はノースカロライナ大学ウィルミントン校を中退し、宇都宮ブレックスで戦っている ©B.LEAGUE

宇都宮・テーブス海、今の自分の最善を考え進んだ我が道 これからも七転び八起きで

2021.3.26

アメリカの大学をやめて日本にUターンしたテーブス海(22)が、宇都宮ブレックスの特別指定選手としてプロデビューしたのは昨年1月15日。卓越したパスセンスを持つ身長188cmの大型ガードとして、早々と注目を集めた。2020-21シーズンから正式に宇都宮の一員となり、東地区トップを走るチームの新しい力になっている。

5代目モテ男「みなさんに感謝ですね」

毎年恒例となったSNS投票のバレンタイン企画「B.LEAGUEモテ男 No.1決定戦」では、3万1569票を集めて1位を奪取。本人は「もちろんうれしかったです」と言った後、「受賞できたのは熱心に投票してくださったブレックスファンのおかげです」と感謝の気持ちを忘れていない。「去年、一昨年と1位がブレックスの選手だったことからも分かるように、ブレックスのファンは本当に熱いんです。その流れを自分が途切れさせたらどうしようというプレッシャーも少しありました。改めて投票してくださったみなさんに感謝ですね」

そんな本人の弁に逆らうようで申し訳ないが、2位に1万4000票近くの差をつけた、いわゆるぶっちぎりの1位は、決してブレックスファンのみの力で成し得たものではないだろう。今年の「モテ男」にエントリーされたのはB1、B2の各クラブが選んだ「推しの若手選手」。その中を勝ち抜きテーブスが手にしたNo1の称号には“愛され度”に加え、今後への期待が込められていたに違いない。

高2でアメリカを目指す

兵庫県神戸市に生まれ、バスケットボールの指導者の父・BTテーブス(富士通レッドウェーブヘッドコーチ)と日本人の母、6歳下の弟・流河(報徳学園高)に囲まれて育った。子どものころはサッカーとバスケに明け暮れ、将来の夢はプロサッカー選手だったが、「自分の個性が生かせるバスケットの方がだんだん面白くなった」ことで、小学4年生の時にバスケ1本に絞ることを決めた。

やると決めたらとことん打ち込む性格は当時から。年間を通じ部活ができる環境を求めて、通っていたインターナショナルスクールから神戸市の公立中学校に転校したのは中学2年生の時だ。「日本語はしゃべれても書くのは全然ダメだったし、公立中学は規則も細かいし、部活の先生もとても厳しくて慣れるまでは本当に大変でした」と言うが、後悔はしなかった。

思えば小学4年生でバスケに専念することを決めたのも、中学2年生で転校を決めたのも、全て自分の意志。父が富士通レッドウェーブのコーチに就任したのに伴い、一家で引っ越した東京で名門・東洋大学京北高校に進んだのもまた自分の意志だった。「自分が入学する前の年にインターハイで優勝した京北を見て、展開の速いバスケットがかっこいいと思いました。1年目からスタートで使ってもらえたことで早目に京北のスタイルにアジャストできたし、田渡先生(優監督)が『ミスを恐れず思いっきりやれ』と言ってくれたのもうれしかったです」

自分が決めたことはやり通す。テーブスはそんな子どもだった ©B.LEAGUE

京北のバスケは自分に合っていたと思う。やりがいも感じていた。しかしその一方で、自分の中に芽生えた「アメリカに挑戦してみたい」という思いから目をそらすことができなかった。簡単ではないことは承知している。たぶん無理だろうという気持ちもある。だが、どうしても諦めきれないのだ。両親に気持ちを打ち明け、ようやく了解を得たのは1年後、「田渡先生も『頑張れ!』と背中を押してくれて、ああ、ついに自分の夢に挑戦できるんだなあって、目の前の扉が開いたような気がしました」。扉が開く音を聞いたのは16歳、高校2年生になる春のことだった。

奇跡のトライアウトを経てアメリカ生活がスタート

最初の渡米は両親も弟も一緒だった。トライアウトを受けるために訪ねたブリッジトンアカデミー・プレップスクールは、メイン州の田舎町にある。日本からボストンまで10時間以上飛行機に乗り、さらにそこから車で5時間。到着した時はさすがに疲れていたが、ヘッドコーチはすぐにトライアウトを行うと言う。「『えっ、今すぐですか?』とびっくりしながらもワークアウトみたいな感じでコーチと1対1をやりました」

長時間の移動で体は強張っており、コンディションは最悪に近い状態。「ところがですね、いざプレーしてみたらシュートはスパスパ入るし、びっくりするほど絶好調だったんですよ」。見学している家族にチラッと目をやると、父も母もすました顔をしている。「2人とも絶好調の僕に驚いているはずなのに、『これが普通です』みたいな顔をしているんですよ。だから僕もそういう顔をしました。これ、普通です。普段の僕はだいたいこんな感じです、みたいな(笑)」

トライアウトは一発で合格。予想外にその場でオファーをもらうことができた。帰りの車に乗った時、母が言った最初の言葉は今も耳に残っている。「ねぇ、今日は一体どうしちゃったの?」。何かが降臨したかのようなトライアウトを経て、テーブスのアメリカ生活がスタートした。

ブリジットンアカデミーでスターティングメンバーに選ばれるまで時間はかからなかった。「日本人のポイントガードってパスを出して周りを生かすプレーをしますから、それを評価されたんだと思います。ただチームの成績はあまりよくなかったし、自分でも納得できない1年間でした」。そんな時、テーブスのプレーを見て声をかけてくれたのがノースフィールド・マウント・ハーモン・プレップスクールだ。ブリジットンと同じカンファレンスに所属する学校だが、学業やバスケのレベルは数段上で、ディビジョン1の大学からオファーをもらえる確率も高い。迷う理由はどこにもなかった。「でも、本当に苦しかったのはノースフィールドで過ごした2年間だったんです」

ついに手にしたディビジョン1からのオファー

ディビジョン1の大学からスカラシッププレーヤーとしてオファーをもらえるかもらえないか、アメリカでは天国と地獄ほどのへだたりがある。また1度声がかかったとしても、そのオファーがずっと有効だとは限らない。「僕も一度、ディビジョン1の大学からオファーがあったんですけど、2カ月ぐらいすると全く連絡がこなくなってしまった。こちらから連絡しても返事がない。周りに聞いたら『それはオファーを取り消されたってことだよ』って。1度オファーをもらっても、その後、目立った活躍がないと自然消滅みたいに取り消されてしまうことを初めて知りました。ショックでしたね。周りの選手には次々と声がかかるのに自分にはこない。なんだか取り残されていくようで、メンタル的にかなりきつかったです」。それだけにディビジョン1のノースカロライナ大学ウィルミントン校から正式なオファーをもらった時は、「このまま引退しちゃおうかと思うぐらいうれしかった」という。

選手としての自信もあった。「ウィルミントンはディビジョン1の中でもミッドメジャーに属するチーム。レベルが低いわけではないんですけど、僕がこれまで一緒にやってきた選手の中にはハイメジャーな大学に行く選手もいっぱいいました。そんな彼らと2年間競ってきたんだという自負みたいなものはあったと思います」。その言葉通り、1年目から先発で起用されたテーブスはそのシーズンのNCAAディビジョン1の2位となる平均7.7アシストをマーク。「今でもあのアシストの結果は誇らしいし、自分の一生の宝物です」

しかし、ウィルミントンでのバスケに満足していたのかというと話は別だ。「やっぱりもう1つ上のレベルでバスケットをしたいという気持ちは常にありました。でも、現実的にはそう簡単なことではない。仮にハイメジャーなチームに移籍ができたとしても、NCAAのルールでは移籍後1年間はゲームに出られない。もちろんその1年を耐えて将来NBAにいった選手はたくさんいますが、僕にはその1年が我慢できそうになかったんです」

もっと上のレベルで戦いという思いは、常にテーブスの中にあった ©B.LEAGUE

自分が進む道に迷い悩んでいた時、選択肢のひとつとして視野に入ったのがBリーグの存在だった。「Bリーグの試合はそれまでも機会がある度に見ていて、バスケットIQやバスケットの質が高いと感じていました。だったら大学にこだわる必要はないんじゃないかと思ったんですね。将来、またアメリカに挑戦することになっても、今は自分が経験し得る1番高いレベルの環境でプレーすることがベストなんじゃないかって」。容易に決心できることではなかっただろう。しかし、決めたからには迷わず進む。帰国したテーブスに宇都宮から特別指定の話が届いたのはそれから間もなくのことだった。

アメリカとは違う日本のバスケのために減量

昨シーズンは新型コロナウイルスの影響でリーグが途中で終わったが、テーブスは新シーズンまでの期間を利用し、ディフェンス力の向上と減量に取り組んできた。「短い特別指定の期間にチームディフェンスのシステムを身に付けていかなければならないと痛感しました。佐々さん(宣央サポートコーチ)に指導してもらって、ディフェンスのルールを少しずつ積み重ねていった感じです。体重を落としたのは、常に体の大きいパワフルな選手を相手にしてきたアメリカとは違って、日本ではボールマンへのディフェンスもよりスピードが求められると感じたからです。そのためには体を軽くする必要がありました」。帰国時の体重は約90kgだったが、現在は82kg。「僕は食べるのが大好きなので、8kgの減量は結構つらかったんですけど、体が軽くなった分、1対1のスピードも上がったので我慢したかいはあったかなと(笑)」

ディフェンスの強度、理解度、オフェンスではさらなるシュート力、自分に足りないものはまだまだあるが、宇都宮で戦うのは楽しいと笑う。「コート上では悩んだこともありましたが、オフコートでは一切なかったです。それぐらいみんなが良くしてくれて、面白い人がいっぱいいるからいつも笑っています」。だからこそチームに貢献できる選手になりたい。「ポイントガードとしてちょっとずつチームにフィットできている手応えはあります。チームケミストリーを大事にしながら、自分にしかできないプレーも極めていきたい。そのバランスが難しいんですけど、少なくともここで成長できているのは間違いないと思うので、これからも努力を惜しまず、まずはリーグ優勝に貢献できるよう頑張っていきたいです」

どんなに苦しくても、ただひたすら前を見て突き進む ©B.LEAGUE

好きな言葉は「七転び八起き」。アメリカでは何度も転んだが、その度に立ち上がって自分の道を切りひらいてきた。「それだけはできたと思うんですよ。田舎のプレップスクールからスタートしてディビジョン1の大学までたどり着けたのは、やっぱり何があっても諦めなかったから。これからもそれは同じ。転んでも転んでも起き上がって前に進んでいくつもりです」

思うにバスケ界における真の「モテ男」とは、年齢、性別に関係なく、多くの人に憧れられたり、目標とされたり、何より愛される選手を指すのではないだろうか。22歳のモテ男からさらにグレードアップしたモテ男へ。自分の道をひた走るテーブスの未来は、限りない可能性に満ちている。(文・松原貴実)