陸上・駅伝

特集:駆け抜けた4years.2025

拓大・不破聖衣来(下)ケガに悩んでも、やるべきことを続け、出会いに恵まれた4年間

自身最後の日本インカレ10000mで先頭を引っ張る拓殖大学の不破聖衣来(撮影・藤井みさ)

大学女子長距離界で数々の好記録とともに鮮烈なインパクトを残した拓殖大学の不破聖衣来(4年、健大高崎)。ケガとの戦いでもあった4年間をどのように過ごし、この先どんなアスリートとして羽ばたいていくのか。後編では、故障に苦しんだ日々や4年目の復活を遂げるまでの道のり、大学生活で得たものや競技者としての今後の目標を語った。

【前編】拓大・不破聖衣来(上)十数枚に及ぶ「4年間の育成計画」、1年目で上方修正の快進撃

復活の兆しを見せた2年目の秋

アメリカ・オレゴン州で開催された世界選手権を現地で観戦し、大きな刺激を受けて帰国した不破だったが、2年目の夏合宿は「思うように調子が上がらなかった」。ケガはもう治っているのに走れない。不安が募る中、合宿終盤に原因が貧血だったと判明すると、「しっかり治そう」と気持ちを切り替えた。

9月の日本インカレに向けても十分な練習を積むことができず、「体調が全く戻らなくて、インカレも出るかどうかの判断を当日に決めようという話になっていました」と振り返る。ひとまずスタートラインには立てたものの、不破にとって2回目の10000mは「最後まで走り切る」ことが目標だった。

それでも「出るからにはしっかり頑張りたい」と、7000m過ぎに先頭集団から抜け出した。そして、不破本人が「なんであそこまで走れたのか、自分でもびっくりでした」と言う通り、そのままトップでフィニッシュ。前年の5000mに続く日本インカレ制覇は、自身も驚く復活劇となった。

2年目の日本インカレ優勝は、自身でも驚いたと振り返る(撮影・藤井みさ)

翌月の全日本大学女子駅伝も状態は万全ではなかったが、エースが集う5区に再び起用され、2年連続で区間賞を獲得。チームも前年とは違って「不破に頼らないレースをしよう」を合言葉に各選手が奮闘し、堂々の5位に食い込んだ。そうしたチームメートの存在を不破は心強く感じていた。

地道な体作りに、黙々と取り組んだ3年目

日本インカレを制し、全日本大学女子駅伝でも快走した不破を、多くの人は〝華麗なる復活〟と喝采し、富士山女子駅伝での活躍や2023年のさらなる飛躍に期待を寄せた。しかし、実際は新たな試練が不破を襲っていた。

「11月の終わりごろからまた梨状筋が痛くなり、その張りがなかなか取れなくて、走れはするけれど痛い感じがありました」。年末の富士山女子駅伝にはエントリーされず、年が明けると痛みが増してきた感覚があり、検査をすると右大腿骨(だいたいこつ)の疲労骨折が判明した。治療は3月までかかった。

日本インカレを制した後は、新たな試練が待っていた(撮影・藤井みさ)

3年生になった4月にジョグを再開し、6月から7月にかけてポイント練習を始めた矢先、今度は恥骨を疲労骨折してしまった。「夏合宿は全く練習できませんでした。9月に入ってようやくジョグを始めましたが、他にも痛い箇所があったりして駅伝シーズンには間に合いませんでした」

1年目の大活躍を見ると、不破は日々、ハードなトレーニングをしているのだろうと考える人は少なくない。実際には逆のようだ。五十嵐利治監督は「距離も本数も設定も、それほど高いものはやっていません」と話し、関係者の間では「あれだけしかやっていないのに、あれほど走れるのがすごい」というのが不破の評価だ。

だからこそ、3年目は「その練習量で故障したのなら、やはり体作りにもっと着目しないといけない」というのが五十嵐監督と不破の共通認識だった。不破も故障を繰り返すたびに「チームのみんなと一緒に練習したいな」という思いを胸の奥にしまい、地道な体作りに黙々と取り組んだ。

チームのみんなと練習したい気持ちを抑えて体づくりに励んだ(五十嵐監督提供)

最後の富士山女子駅伝、チームの過去最高順位に貢献

大学ラストイヤーとなる2024年は、2月の終わりにケガが治り、3月になってジョグとペース走を始めることができた。「また痛みが出たら……と考えてしまい、不安もあった」と言うが、復帰への階段を着実に上っていった。

約1年半ぶりの実戦レースとなった4月7日の国士舘大学競技会5000mを経て、5月の関東インカレは10000mで9位に入った。「入賞まであとちょっとだったので、そこは少し悔しかったですが、スタートラインに立てたことが一番うれしくて、あの舞台で走れたことが自分の中で自信になりました」

4年目の関東インカレ10000mは9位。久しぶりのレースで自信がついた(撮影・藤井みさ)

関東インカレ後にまたしても大腿骨の疲労骨折があり、6月までは治療に専念した。夏合宿から本格的にポイント練習を再開し、9月の日本インカレ(10000m7位)では「関東インカレの時より良いイメージでレースに臨めて、結果も自分が思っていたより良かったので満足でした」と、確かな手応えをつかんだ。

「夏合宿からずっと良い感じに練習ができて、今年は走れそうだ」と考えていた全日本大学女子駅伝は、1週間前に胃腸炎になってしまい、5区で区間7位と本領発揮とはいかなかった。ただ、仲間と襷(たすき)をつなぐ最後の富士山女子駅伝は、不破もチームも絶好調と言える状態だった。

「直前の鹿児島・徳之島合宿では全てのメニューをこなせて、ケガも体調不良もなく当日を迎えられました。チームのみんなも調子が上がっていて、最低でも3位以内で優勝が目標でした」

1年生3人を含む下級生4人が、4区までを10位でつないだ。3年ぶりの富士山で5区を任された不破は、伸びのあるフォームで前を行く選手を次々ととらえ、区間2位の快走で6人抜きを達成。掲げたチーム目標には届かなかったものの、拓大の過去最高順位となる4位入賞に大きく貢献した。

富士山女子駅伝終了後には各大学の4年生が集まって記念撮影(五十嵐監督提供)

苦しんだ時間が長くても「挫折とは思っていません」

山あり谷ありの4年間だった。1年目こそシーズンを通じてまばゆい輝きを放ったものの、2年目以降は故障に苦しんだ時間の方が長かった。世界選手権やオリンピックへの挑戦を断念せざるを得なかった心残りもある。だが、不破はそうした経験を決して挫折とはとらえていない。

「走れない時でも補強をしたり食事面を考えたり、その時々でやるべきことがあってそれを追い続けてきました。走れる、走れないに関係なく、今できることをやり続けてきただけなので、自分の中では全く挫折とは思っていません」

目先の結果ではなく、常に将来を見据えて指導してきた五十嵐監督は、不破の4年間の成長をこう見ている。

「他の選手に比べたら注目度が高いので、故障が重なれば、周りからいろいろ言われます。でも、そういう中でも自分自身のやるべきことを貫けたのは、精神的に強くなった部分かなと。また、3年生の時に体作りをしっかりやったことで、血液検査も骨の数値も高くなり、それまでと比べると疲労骨折のリスクは格段に下がりました。肉体的な面でもだいぶ成長したと思います」

思うようにいかないときも、今できることをやり続けた4年間だった(撮影・井上翔太)

不破のよりどころは、どんな時も支えてくれた家族や「自分以上に世界で戦えると信じてくれている」という五十嵐監督、1年時から苦楽をともにしてきた門脇奈穂(4年、仙台育英)をはじめとするチームメートたちだった。また「治療院の先生など、ケガをしなければ出会わなかった方もたくさんいます。ケガをして良かったとは思いませんが、今後も陸上を続けていく中で本当に良い出会いができました」と語る。

最終的にはマラソンをメインに

拓大で果たせなかった駅伝日本一の夢を後輩たちに託し、不破は春から三井住友海上で、実業団選手としての新たな一歩を踏み出す。

「今後は少しずつ距離を伸ばして、最終的にはマラソンをメインにやっていきたいと考えています。もともとマラソンには興味がありましたが、五十嵐監督が『マラソンなら世界で戦える』と言ってくださってから、本当に目指したいと思うようになりました。やるからには3年後のロサンゼルス・オリンピックを目指したいです」

競技に向き合い続け、レースでは私たちに数々のインパクトを残した不破の大学4年間が、まもなくフィナーレを迎える。しかし、その競技人生は、まだ道半ばだ。そう遠くないであろう未来に、世界の舞台でどんな輝きを放つのか。不破のこれからにも目が離せない。

競技人生は、まだ道半ば。最終的にはマラソンで世界の舞台を目指す(撮影・井上翔太)

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