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中京学院大・池ノ内亮介コーチ プロ野球選手と警察官を経て「アウトプット」の日々へ

母校の中京学院大学で指導者となった池ノ内亮介コーチ(撮影・川浪康太郎)

「元プロ野球選手」で「元警察官」という異色の経歴を持つ指導者が中京学院大学硬式野球部にいる。2011年から2015年まで広島東洋カープでプレーした池ノ内亮介だ。現役引退後の2017年、大阪府警察に入庁。地域課巡査として交番勤務を続けていたが、昨年から母校のコーチに就任した。池ノ内はなぜ、野球界に舞い戻ったのか。

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高3で投手に挑戦して開花、大学初のNPB選手に

池ノ内は三重県伊賀市出身。小学1年生の頃に野球を始めた。「田舎のチームで人数も少なかったのでいろいろなポジションを守りました」と振り返る時を経て、中学では内野手、高校では外野手がメインポジションになった。

転機が訪れたのは中京高校3年時の5月。試しに投手に挑戦すると140キロ台を計測し、練習試合での登板機会を得た。「投手としてなら、もっと上を目指せるのではないか」。元々高校卒業後は野球をやめて就職するつもりだったが、投手としての自分に可能性を見いだした。

とはいえ高校での実績が乏しかったため、当初は大学や社会人から声がかからず、中京学院大には「拾ってもらうかたち」で進学した。4年間で順調に成長を遂げ、2010年のドラフト会議で広島から育成2位指名を受けた。中京学院大の選手がNPB球団に指名され、入団するのは初の出来事だった。

広島から育成選手として指名された後、地元の伊賀を訪問した(撮影・朝日新聞社)

戦力外通告を受け引退、異例のセカンドキャリア

広島では3年目に支配下登録を勝ち取り、翌4年目には1軍デビューを果たした。しかし1軍登板は2試合にとどまり、2015年に戦力外通告を受けた。池ノ内は5年間のプロ生活について「支配下になってようやくスタートラインに立てたのに、そこで満足してしまった部分があった。終わってから『もっとできた』と痛感しました」と回顧する。

「戦力外通告は『必要ない』ということ。それを突きつけられて野球に対する気持ちが切れてしまいました」。12球団合同トライアウトを受けたが、NPB球団から契約の話が来ることはなく、一時は社会人野球などで競技を続ける選択肢も検討した。しかし、最終的に野球から離れる決断を下した。

その後は一般企業に就職。1年弱の間に2社を渡り歩き、いずれも土木関係の会社で現場仕事や営業を経験した。就職してからは、常に新しいことを学ぶ「勉強」の日々。「野球しかやっていない人生」を歩んできた池ノ内にとっては、苦悩の日々だった。「野球から離れたのは失敗だったかな……」。そんな思いが頭をよぎることもあった。

モヤモヤが晴れない中、ある時「無理やりにでも『勉強』するような場所に身を置く方が自分のため」と思い立ち、警察官を志した。2社目の会社を退職して勉強に専念し、見事に採用試験を突破した。

母校に戻る前は一般企業に勤め、警察官の任務も従事した(提供・中京学院大学硬式野球部)

「アウトプット」と「恩返し」のため野球界へ復帰

大阪府警察には約6年半勤務した。警察官の仕事は「時には人の命を守らないといけないし、悪いことを見逃してもいけない。責任感もやりがいもある仕事」。野球に打ち込んだ過去と同様、がむしゃらに働いた。一方、野球との距離感についても考えるようになった。

「結果は残せなかったけど、プロ野球での経験はなかなかできるものではない。その経験をアウトプットしたい気持ちが出てきたタイミングで、母校からオファーがありました。学生時代に拾ってもらった恩もありますし、学校や後輩たちに恩返しできるのであれば、野球界に戻りたいと思いました」

昨年、警察官の職を辞し、9年ぶりに野球界へ復帰した。指導者1年目から「アウトプット」を実践している。例えば、現代の大学生はYouTubeなどで得た知識に頼る傾向が強い。池ノ内はプロの世界であらゆる練習やトレーニングに取り組む選手を見てきたからこそ、「そのやり方が(選手本人に)合っているか、合っていないか」を伝えることができる。また、メンタル面など動画では得がたい元プロ野球選手ならではのアドバイスも直接与えることができる。

元プロ野球選手ならではのアドバイスも送る(提供・中京学院大学硬式野球部)

広島では制球難に悩んでいた際、横山竜士(現・広島2軍投手コーチ)から「コースより高さを間違えないように投げるといい」と助言を受け、豊田清(現・埼玉西武ライオンズ投手チーフコーチ)からは最適な投球フォームを教わった。大先輩から授かった教えを参考に指導するのも「アウトプット」の一環だ。

予測不能な未来でも「野球にずっと携わりたい」

コーチ就任当初は「野球のために身を削り、何かを犠牲にする『野球小僧』のような選手が少なくなった」と自身の現役時代とのギャップを感じた。オンとオフの切り替えができない学生の多さにも驚かされた。

それでも根気強く教え子の一人ひとりと向き合ううちに、「野球に対する姿勢や顔つき、野球の技術はこの1年で良くなってきている」と手応えをつかみ始めた。選手も元プロ野球選手に教わる機会をプラスに捉えており、投手陣の中心を担う木下元佑(新4年、赤穂)と玉田優斗(新4年、南筑)は「キャッチボールをしながら的確なアドバイスをしてくれる」と声をそろえる。

池ノ内コーチの指導を受けている投手の木下(左)と玉田(撮影・川浪康太郎)

池ノ内は落ち着いた口調で自身の今後を展望する。「野球で生きてきた人間なので、ずっと野球界にいられるかどうか分からないことは分かっています。結果が出なかったら切られる可能性もあるし、野球をやりたくてもやれない状況になるかもしれない。それでも、野球にずっと携わりたいと今は思っています」。まだ見ぬ未来に向かって、再び歩み始めた野球の道を突き進む。

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