東京大学・佐藤かえで 医学部とチアリーディングを両立、人を笑顔にできる存在に

学生アスリートにとっては永遠のテーマでもある「文武両道」。東京大学医学部という国内最難関の学部に籍を置きながら、運動会(体育会)の応援部チアリーダーズの責任者を務めているのが、佐藤かえで(4年、公文国際学園)だ。人を笑顔にできる存在になれるよう、どちらにも全力で向き合っている。
フロイトに感銘を受け、医学の道を志す
佐藤が医学の道を志したのは、公文国際学園中等部3年の時だ。高名な心理学者で精神科医のジークムント・フロイトの伝記を読んだのがきっかけだった。
「まず大きな関心を抱いたのが、『人間のすべての行動には必ず心理的な裏付けがあり、その裏付けのほとんどが〝無意識〟である』というフロイトの理論です。自ら確立した理論を実践していたことにも感銘を受けました。フロイトは人のものの考え方や不安をよく分析し、その原因を取り除く仕事をしていたのです。私もフロイトのように人の苦痛を和らげ、人を笑顔にする精神科医になろうと、心に決めました」
医師になるため、難関の医学部に入るため、大きな決断をしたのが、中学3年の12月だった。それまでの自分を変えないと医学部の試験には受からないと、スマートフォンを手放したのだ。「勉強していても、ついいじってしまうほど、スマホ依存症だったんです。ある種の中毒だったかもしれません」。佐藤はスマホの契約を取りやめ、必要最小限の機能しかない「ガラケー」に変更した。
「だらだらと時間を浪費していた自分と決別したかったのもありました」
スマホを手放せば、スマホ上のグループから抜けることになり、友だちとの手軽で迅速な連絡手段が断たれる。友達との人間関係に支障はなかったのだろうか?
「幸い友人たちは理解を示してくれまして。部活の連絡もメールに転送してくれたので助かりました」
常に手が届くところにあったスマホと決別したのは、国内最難関と言われる東京大学医学部(理科三類)を目指す決意と覚悟の表れでもあった。明確に東大医学部を第一志望としたのは高校1年の時だが、すでにこの時、医学部に行くなら東大へ、と考えていたという。

ただ本人によると、「高校1年の段階では、学力レベルが追いついていませんでした」。模試ではD判定だったという。それでも東大にこだわり、国内最難関の医学部を志望したのには理由があった。
「フロイトの本を読んで、人の考えは人の成長過程で形成されると知り、ならば優秀な人たちに囲まれて、その中でいろいろな考えに触れられたら、自分が成長できると思ったんです」
ストップウォッチで自らをタイムマネジメント
佐藤は勉強一筋のタイプではない。高校では陸上競技部に所属し、スピードと持久力の両方が求められる1500mに打ち込みながら、勉強と部活を両立させた。「県大会出場まであと1歩でした」と振り返る陸上部時代、部活は週に5日あり、平日は午後6時に練習が終わると、塾の自習室へ。そこで夜10時まで勉強に励む生活が、部活引退となる3年生の6月まで続いた。
東大に合格した学生は、ひとたび目標を設定すると、そこに向かう集中力が優れていると言われる。佐藤もまた、目標に立ち向かう力が秀でていた。そして勉強すれば、その都度成果が出るという達成感が好循環を生み、その力はどんどん大きくなっていった。
新型コロナウイルスの影響で高校2年時に約2カ月半の間、休校になった時も、佐藤のベクトルはぶれなかった。「東大の理科三類は勉強の積み上げに時間がかかるので、休校になった期間を有効に使いました」
この頃から自宅で勉強する際は、首からストップウォッチをぶら下げ、タイムマネジメントするようになった。受験生時代に作られた時間を無駄にしない習慣は、東大生になっても変わっていない。通学の時間や、ちょっとした隙間時間も大切にしながら、医学部生としての学業と、多忙な応援部の活動を両立させている。

応援部を選んだ選択を正当化するのは自分の努力だけ
高校3年夏に模試の判定が「A」になった佐藤は、「結果が分かるまでは自信がなかった」ものの、現役で東大理科三類に合格した。入学後、応援部に入ったのは、チアリーダーズの華やかなコスチュームへの憧れと、いろいろな人に出会って自分を磨きたい、という思いからだったという。
だが、実際に部員になると、その活動は想像以上にハードだった。「実は入部して1カ月経った頃、勉強との兼ね合いもあって、続けていくのは難しいかな……と考えたこともありました」と明かす。
それでも応援部を続けたのは、活動する中で、たくさんの人が笑顔になる瞬間に出会えたからだ。
「目標に向けて努力を続ける運動部の方々、わざわざ時間を割いて応援席にお越しくださるお客様、そして人を笑顔にするために全力を尽くす応援部員、たくさんの素敵な方に出会い、笑顔が生まれる瞬間に立ち会ったことで、もっと多くの人を笑顔にしたいという気持ちが生まれました」
応援部の活動は年間通して多忙を極めるが、佐藤がこれまでチアを続けてきた根底には、この気持ちがある。
「応援を続けている中で、自分の笑顔も増えました。自分が心から笑っていないと、人を笑顔にすることはできないと思ってます」
先輩からもらった「金言」も支えになった。
「ある先輩から『応援部を選んだ選択を正当化してくれるのは、自分の努力だけだよ』と言われまして。医学部の勉強と応援部としての活動を両立すると決めたのは自分なのだから、その選択を後悔しないよう努力しようと決意しました。学年が上がるにつれて両立はどんどん大変になってきましたが、医学部だからチアリーダーとして不十分でも仕方ないとか、応援部にいるから成績が悪くても仕方ないといったことは思いたくないという一心で、なんとか頑張っています」

実は重たい「頑張れ」という言葉
応援の世界につかると、応援の本質や奥深さが分かってきた。
「頑張れと口にするのは簡単ですが、実はそれは重い言葉なんです。選手に頑張れと言うなら、応援する者は戦っている選手以上に、勝ち負けはない応援の世界で自分を高めなければならない。それができている人だけが、頑張れと応援する資格があると思います」
そしてこう続けた。
「応援に伺うスポーツについてよく勉強し、相手部の方のニーズにも耳を傾けることが、相手の気持ちに寄り添った応援をするために不可欠です。また、応援部には、数字で示すことのできる成果もないので、信頼していただけるような言動を常に心がけることが重要になります。医師の仕事においても、共感と信頼関係は非常に重要になると考えています。医学を志す上で、部活に入ることは遠回りであったようにも感じますが、チアを経験したからこそ得られたものが多くあったと思っています」
佐藤は今年、応援部・チアリーダーズの責任者とともに、東大が東京六大学応援団連盟の当番校であることから、同連盟の副委員長も担う。
「4年生になり、チアリーダーズ責任者に就任しました。チアリーダーズ責任者を志望したのは、自分を育ててくれたチアリーダーズという組織が、これからも愛される組織であってほしいという思いがあったからです。部員には、自分なりに目標を持ち、それに向けて努力してほしいと思っています。応援部には決められたことも多くあり、それに従うことで頭がいっぱいになってしまいがちですが、誠意を持って相手に向き合い、相手を笑顔にするために考え続けるチアリーダーになってほしいと思い、その環境を整えるために日々奮闘しています」

いまではすっかり「応援団文化」に魅せられている。東京六大学のリーグ戦では、各校の応援団、応援部、応援指導部が毎試合応援を繰り広げているが、この光景は日本独自の「文化」とも言えるだろう。
「今年は東京六大学野球連盟が100周年で、応援団も注目されると思います。応援団がこれからも持続可能な愛される組織になるように、応援団連盟の副委員長として尽力していくつもりです」
東大医学部の学生は6年間、大学に通うが、チアと医学部生の「二足のわらじ」を履くのは今年が最後。これまでと同様に、チアリーダーとしても、医師としても、人を笑顔にできる存在になれるよう、どちらにも全力で向き合う。
