最強明治、維新の時(上)超強豪に押し上げた栗田大輔氏、10年間で与えた二つの視点

2024年末、明治大学体育会サッカー部を率いた栗田大輔監督の退任が発表された。2015年に監督に就任してから10年間。14個のタイトルに、五冠と無敗優勝。大学サッカー界最強にふさわしい実績を残し、新たな挑戦へと歩を進めることとなった。名将はいかにして明治大を超強豪へと導いたのか。その10年間を振り返る。
神川明彦氏「この強さは今のサッカー部に必ず必要」
栗田氏が就任する前の明治大は、古豪という印象が強かった。1960年ごろ、〝黄金の左足〟と呼ばれた杉山隆一氏らを擁し、初のリーグ制覇や日本一を経験したものの、その後は考えられない低迷期に入った。2000年代初頭まで1部と2部を行き来する時期が続いた。
転機は栗田氏の前任、神川明彦氏が監督に就任したことだった。「良い種でも良い土壌でなければ良い芽は出ない」(神川氏)と生活環境を中心に改革を実施すると、すぐに効果が出た。2004年に1部昇格を決め、2007年には約40年ぶりのリーグ制覇を果たし〝古豪復活〟を印象付けた。その後も半世紀ぶりの大学日本一を果たしたり、天皇杯で激闘したりする中、チームに帰ってきたのが栗田氏だった。
栗田氏は1993年に明治大を卒業した後、清水建設株式会社に入社。営業マンとしてキャリアを積んだ一方、2005年には横浜で小中学生を対象にしたクラブ・FCパルピターレを設立した。神川氏は当初「栗田君のことは自分がコーチをしていた頃に見ていたけど、正直いい選手ではなかった。はっきり言っていじけていて、全然信頼していなくて。それがコーチをやりたいなんていうから『何を言っているんだこの人は』なんて思いました」と振り返る。それでも「話をしているうちに清水建設で培われた知識や経験が分かった。自分が経験したことがないような修羅場を乗り越えて今ここにいる。この強さは今のサッカー部に必ず必要になると思った」
民間企業でもまれた経験に基づいて選手たちに人間性を追求することこそが、明治大をさらなる高みへと導くと確信し、2013年からコーチとして迎え入れることとなった。
2014年は神川氏がユニバーシアードを戦う全日本大学選抜の監督に就任したこともあり、栗田氏は助監督という立場で実質的に指揮を執ることになった。翌年には正式に監督に就任。以降10年間でリーグ戦5回、夏の全国大会である総理大臣杯を3回、インカレを2回制するなど、神川氏以上の実績を残し、明治大を強豪から超強豪へと押し上げた。

エンジンを大きくする育成と「明治の基準」
常にタイトル争いに絡み続けた栗田氏の10年間の中でも、間違いなく最強と呼ぶにふさわしいのが2019年のチームだ。チームスローガン「挑超」を掲げたこのシーズンは4年生に森下龍矢(レギア・ワルシャワ)、安倍柊斗(RWDモレンベーク)ら現在では欧州で活躍する選手たちに加え、瀬古樹(ストーク・シティFC)や中村帆高(町田ゼルビア)ら実力者がおり、3年生にも常本佳吾(セルヴェットFC)、早川友基(鹿島アントラーズ)、佐藤瑶大(名古屋グランパス)などそうそうたるメンバーがそろっていた。
シーズン序盤から3-4-1-2のフォーメーションのもと、強烈な個の力で攻守に圧倒する戦いを見せると、リーグ戦では18勝2分2敗でリーグ史上最多の勝ち点56を獲得。天皇杯予選となる東京都サッカートーナメント、夏の関東選手権と総理大臣杯、そして12月のインカレでも圧倒的な強さを見せ、関東の大学史上初の「五冠」獲得という金字塔を打ち立てた。
2019年のチームに劣らないのが2024年のチームだった。スーパーエースで主将の中村草太(サンフレッチェ広島)が率いたチームには、最後尾に上林豪(セレッソ大阪)、中盤には常盤亨太(FC東京)と現在主将を務める島野怜(4年、仙台育英)らが陣取る。リーグ戦では開幕6連勝、その間28得点を挙げる圧巻の攻撃力を見せると、その後も無敗でシーズンを駆け抜けた。筑波大学とのハイレベルな優勝争いを制し、現行制度のリーグ戦では初の無敗優勝を成し遂げた。
強さの源泉は何だったのか。前提には神川氏が作り上げた「良い土壌」があるわけだが、栗田氏がピッチの内外で与えた〝二つの視点〟がチームを超強豪へと押し上げた。栗田氏の言葉を借りると、一つ目は「エンジンを大きくする」選手育成だ。
欧州を見ればバルセロナ、国内では川崎フロンターレなど、長く覇権を手にしたチームには、DNAとも呼べる確固たる戦術的なスタイルが存在することが多い。しかし栗田氏が築いた明治大のDNAは「球際」「切り替え」「運動量」からなる三原則。戦術よりもう一歩手前の話で、どんなスタイルのサッカーをする上でも必要不可欠となる。近年ではインテンシティーという言葉で、サッカー界の常識となっている要素だ。毎週水曜日の過負荷トレーニングや、猛烈な走り込みを行う川上村合宿を通じて、選手を鍛えあげた。もとより超高校級の技術を持った選手たちに、一流のフィジカルや走力、戦う姿勢を加えることで、他校を圧倒するサッカーを展開してきた。
エンジンが大きく戦術的な癖がない選手は、プロ入り後も各チームの戦術に適応しやすい。それが10年間で74人もの選手をプロの世界へと送り込むことにもつながった。
もう一つは「明治の基準」を更新し続けることだ。栗田氏に試合後に話を聞くと、返ってくるのは相手のことではなく「明治がどう振る舞ったか」ということ。常に前年のチームと比較して、どれほどの強度の練習を行うべきか、どんな私生活を送るべきか。超えるべき、強かったお手本が前年にいるからこそ、強さを保てる。
特に印象的だったのが、昨季のJリーグで年間トップの総スプリント数を記録した福田心之助(京都サンガF.C.)だ。2019年の「五冠」を1年生として見た福田は、試合後の取材で常に「明治の基準」という言葉を口にしていた。3年時まではトップチームでの出場機会は限られていたが、常に先輩たちの基準を追いかけ、追い抜いてきたからこそ、今では代表入りが待望されるほどの選手にまで成長できた。各選手に追いかけるべき基準があることも、レベルアップにつながっていた。

コーチ就任から12年間、監督として10年間、明治大を超強豪へと押し上げた栗田氏は、今季からJ1東京ヴェルディの代表取締役副社長に就任することが発表された。新体制発表会では「ビジネスサイドと現場サイドをイコールに結びつけながら進んでいく」と意気込みを語った。大学最強を作り上げた栗田氏が、新しい挑戦でどんな旋風を巻き起こすのか。今後も目が離せない。
