城西大学・金子陽向 2年ぶりの主将返り咲き、スローガン「一」に込めた四つの意味

昨年の全日本大学女子駅伝で20年ぶりに表彰台に上がった城西大学。2000年以来の頂点を目指す今季は、金子陽向(4年、市立橘)が2年ぶりに主将を務める。「これまでの3年間は、4年目に最高の主将として、最高の競技者として迎えるための時間でした」と明るく語るキャプテンの存在が、「入学してからチームの仲の良さは毎年更新している」という結束力の高さを生んでいる。
駅伝日本一を目指し、同期で熱く語り合った夜
2022年の全日本大学女子駅伝で、城西大は3年連続となる7位でフィニッシュした。当時1年生だった金子は故障でメンバー外だったが、その夜、慰労会や食事が終わった後に同期4人でホテルの一室に集まった。
「テレビのYouTubeでレースを最初から再生して見直し、『どうやったら勝てるんだろうね、どんなチームなら優勝できるのかな?』と朝まで語りました」
そんな熱い思いは、大学に入学した半年前から胸に抱いていた。その頃の大学女子駅伝界は、名城大黄金時代の真っただ中。同期とは「どうしたら名城大に勝てるか」を話す機会が多かったという。
そもそも進学先を城西大に決めたのも「指導者との信頼関係を大事にしたかった」と思う中、赤羽周平監督と赤羽有紀子コーチの存在にきらめく予感があった。「4年間を陸上に振り切って、駅伝で日本一を目指すと考えた時に、そういう環境があること。たとえ4年後に日本一が取れなかったとしても、ここで4年間をやり切れるなら、私はきっと後悔しないだろうと思えたんです」

城西大は駅伝でシード校の常連になりつつあり、「これから伸びるチームだな」というイメージがあった。全日本で2度の優勝経験があることは知らなかった。
市立橘高校で全国高校駅伝初出場に貢献
生後6カ月から始めた水泳や器械体操、バレエダンスなど様々なスポーツに親しんできた金子は、中学の部活動で陸上に出合った。神奈川県駅伝2位で全国の舞台に立てなかった悔しさを原動力に、「高校でも続けたい」と強豪の川崎市立橘高校に進んだ。
高校では2年時に全国高校駅伝初出場。金子はエース区間の1区を任された。3年時には1500mと3000mでインターハイに出場し、入学当初に掲げた目標を果たした。「全国大会は有名な人がいっぱいいて楽しかったです。でも、同時にレベルの高さも知りました」
顧問の田代洋平先生との出会いも大きかった。決して距離の近い関係性ではなかったが、「都大路出場を決めた時は泣いて喜んでくれたし、南関東大会1500mで2位に入ると、『頑張ったよ』と頭をなでてくれた。生徒思いだからこそ自分で考えさせ、生徒主体でやらせる姿勢が私にはとても合っていて、そこで人間としても磨かれました。厳しいけれど、あれほど愛のある先生はなかなかいない」と金子は話す。
3年でキャプテンを任された時は、「お前は何でもかんでも1人でやり過ぎだ」と伝えてくれた。その気づきは、後に大学に進んでからも生きることになった。

100点満点だった初の全日本大学女子駅伝
城西大で2年目の新チームが始動すると、金子は赤羽監督から主将に指名された。学年に関係なく、それにふさわしい人が幹部を務めるというチーム方針から1年時に副主将を担ったが、主将となれば話は違う。しかも金子は故障続きで、選手としては結果を残せていなかった。
「そのことを監督に伝えると、『次のシーズンでは期待しているから』と言われました。人間性を評価していただいてキャプテンに指名されたのなら、期待に応えなきゃいけないなと思いました」
上級生がいる中で2年生の自分が主将をやることに、不安がないわけではなかった。それでも、「言葉遣いや伝え方を工夫したり、事前に先輩たちに相談してから全体に伝えたりした」ことで問題らしい問題は起きなかった。

競技面でも、金子は長引く故障が夏前に癒え、いよいよ大学駅伝デビューを果たす。規模や注目度の大きさに「これが大学駅伝か」と感じた全日本大学女子駅伝は、アンカーに起用されて区間3位の快走。チームも13年ぶりのトップ5となる4位に食い込んだ。
「自分とチームの目標が5位だったので、5番で襷(たすき)もらって1人を抜いて4番。すごく楽しくて100点満点の出来でした」
しかし、続く2カ月後の富士山女子駅伝は、「11月中旬から12月にかけて体調を崩し、足も捻挫。本番直前には貧血だったこともわかりました。人数がいなくて、山を上る自分の代役はいない。キャプテンでもあったので重圧と不安につぶされてボロボロでした」と本来の走りができなかった。いい時もあれば、うまくいかない時もある。それが陸上であり、駅伝だ。
主要大会で存在感を高めていった3年目
3年生になると、唯一の4年生だった田代なのはが新主将に就任し、金子は再び副主将を任された。赤羽監督から「君をキャプテンにしたくてスカウトしたんじゃない。競技者として頑張ってほしい」という思いを聞き、「結果を残さないと」という覚悟が芽生えた。
トラックシーズンは関東インカレ女子1部10000mで6位に入り、2位の髙橋葵(4年、日体大柏)、5位の白木ひなの(3年、山田)とともにトリプル入賞。3月の日本学生女子ハーフマラソンで7位に入ったことと合わせ、「私は長い距離の方が得意かもしれない」と思うようになっていった。

夏も順調に練習を積み、2度目の全日本大学女子駅伝はエース区間の5区(9.2km)へ。万全の状態で本番を迎えたが、走り始めてすぐに大東文化大学のサラ・ワンジル(3年、帝京長岡)にかわされた以外は、ほぼ単独走を強いられ、「あと先のことを考えて前半に攻められなかった。不完全燃焼のような感じ」に終わった。それでもチームは前年を上回る堂々の3位入賞。富士山女子駅伝も序盤で18位と大きく出遅れながら、4区に入った金子の区間3位の力走などで6位に入った。
城西大は悲願の駅伝日本一に着実に近づいていた。
10年間の競技生活、集大成のシーズン
2年ぶりに主将に復帰し、すでにスタートを切った学生最後のシーズン。チーム目標は「学生駅伝二冠」と定め、4年生を中心にスローガンを「一」とした。
「そこに四つの意味を込めました。一つ目はチーム力日本一と駅伝日本一。二つ目は一体感。三つ目は練習でも試合でも1番にこだわること。これは日常生活でも、あいさつや行動にしっかりこだわることも含みます。最後の四つ目は初心を大事にすること。『素直に正直に』という赤羽監督や赤羽コーチの一番大切な教えを大事にしながら、チームの全員が学生駅伝日本一を取りたいと城西大に入学してきたので、自分が最初に立てた目標を忘れず、持ち続けようということです」
金子個人としては、「主力としてしっかり走って、チームを優勝に導きたい。監督やコーチを優勝させてあげたい」と駅伝での活躍を誓う一方、トラックシーズンも「関東インカレで表彰台に立ったり、日本インカレで入賞したりすることがキャプテンとして見せるべき姿」と考えている。

3月の日本学生女子ハーフマラソンはコンディションが整わずに欠場したが、同期の髙橋が3位に食い込み、7月のFISUワールドユニバーシティゲームズ日本代表に内定した。「葵がしっかりつかみ取ってくれたことが、同期として、チームの一員としてめちゃめちゃうれしかったです」と大きな刺激を受けた。
金子は、陸上は今季限りと決めている。競技生活10年間の集大成となるシーズンは、大学入学当初に描いた熱い思いを実現させるため、全力で駆け抜ける。
