青山学院大・藤原夏暉 4連覇の栄冠も東都の怖さも知る主将「また新しい歴史を作る」

一昨年春から東都1部リーグで4連覇。昨年は大学四冠(春秋の東都リーグ、全日本大学野球選手権、明治神宮大会)を達成した青山学院大学で、今季は藤原夏暉(4年、大阪桐蔭)が主将に就任した。高校時代から「王者」と呼ばれるチームでもまれてきた男は、どんなリーダーシップで常勝軍団を引っ張っていくのだろうか。
去年のチームより、あらゆる面で一つ上のラインを
ちょうど1年前、前のチームで主将を務めた佐々木泰(現・広島東洋カープ)に同じテーマでインタビューしたところ、佐々木の言葉はいたってシンプルだった。前年にあと1勝のところで逃した「大学四冠」を最重要目標に掲げ、最終的に成し遂げた。
では、すべてを勝ち取った次のチームの主将として、藤原はどんな目標を掲げたのか。
「もちろん、四冠を目指しています」と藤原は即答した。しかし、挑戦者の立場だった1年前とは違い、今年のチームには上り詰めた王者ゆえの苦しさがある。

「四冠を取っても現状維持。一つでも落とせば『去年より下』と言われてしまう。そのプレッシャーがないと言えばウソになりますが、達成できるチームだと信じているので。それに、四冠を2年連続で達成したチームは過去にないんですよね? それをやったら、また新しい歴史を作れるじゃないですか」
藤原は前向きにそう言った。確かに記録の上では、最高でも現状維持。ただ、取り組みが現状維持だったら、そこにはたどり着かないこともわかっている。「相手も『青学を倒す』という気持ちで向かってくるわけで、それをはね返すには、去年のチームよりも、あらゆる面で一つ上のラインを目指さなくてはいけないんです」
それでいて、チームメートには「上を見すぎず、一戦必勝で」と事あるごとに伝えている。「一つ歯車が狂えば、入れ替え戦に回ることもありえるリーグですから」と自戒を込めて藤原は言う。その言葉の背景には、東都1部リーグの怖さも味わった経験がある。

主将指名に安藤寧則監督「まったく迷わなかった」
1年の春。開幕戦から「9番・ショート」でスタメン出場を果たし、初安打も記録した。ところがチームは思うように勝ち星が伸びず、中央大学、日本大学との3チームによる順位決定プレーオフに回り、そこでなんとか入れ替え戦行きを免れた。東都特有のヒリヒリする緊張感に、藤原は「あの時は、試合に出るのが怖かった」と振り返る。
続く秋には、最終カードで優勝に王手をかけながら、九回1死からミスをきっかけに逆転負け。土壇場で優勝をさらわれた。「僕らの代は、野球の怖さ、1球の怖さを知っている学年なんです」としみじみ口にする。4連覇は、その翌シーズンから始まった。
主将就任は「びっくりしました」と笑う。野球人生で初の主将だ。もともとは一匹オオカミタイプ。てっきり下級生とコミュニケーションを取るのがうまい初谷健心(4年、関東第一)がやるものだと思い込んでいた。
指名した安藤寧則監督は「まったく迷わなかった」と言う。「コイツとだったら心中できる、という気持ちにさせてくれる選手なんです」と全幅の信頼を寄せている。だからこそ、1年春からレギュラーで起用した。

当時は、さすがにまだ力不足だったようだ。4試合目でスタメンから外れ、上級生にポジションを奪い返された。それでも秋はセカンドに回り、今度はレギュラーに定着。4連覇がスタートした2年春には、優勝を決めた國學院大學戦で初ホームランを放った。
だが秋は打撃不振に陥り、打率はリーグ最下位の1割4分3厘だった。翌年春には復調し、2割8分9厘まで打率を上げたが、秋は再び調子を落として、またしてもリーグ最下位の1割2分8厘。スタメン落ちも味わった。安藤監督は「(先発を)外す時には本当に悩みました。守備で欠かせない存在だし、チームの軸になってくれないと困る選手ですから。『頼む、打ってくれ』と思いながら打席に送り出していたんです」と苦笑する。
ユーティリティープレーヤーに収まるつもりはない
なぜ、これほどまでに打てなくなってしまったのか。それは藤原の持ち味でもあるスイッチヒッターが、一つの原因となっていた。生真面目な性格から、左右のどちらかが良くても、もう一方で結果が出ないと、ダメな方をひたすら練習した。それによって、良かった方の打席でも、感覚が狂ってしまうことがあった。「打てない打席が続くと、フォームとかを試合中でも考え始めて、もう止まらなくなってしまうんです」
両打ちに転向したのは大阪桐蔭1年時の夏。もともとは左打ちだった。一方、大学でこれまでに打ったホームランはいずれも右打席。「右打席は『作ったもの』だから、逆にシンプルに振れるというか、変な癖がない」と自己分析する。反対に、すでに体に染みついている左打席は、自分であれこれと操作しすぎてしまう。

それでも、スイッチヒッターをやめようと思ったことは一度もない。
「両打ちだからこそ目立てる部分があると思うし、誰もやったことがないようなことを達成できる可能性もある。だからこそ続けているんです」
守備でも、内野はどこでも守れる。ただ、単なるユーティリティープレーヤーに収まるつもりはない。「はじめは『便利』に使ってもらえたらいい。でも、そこから何か目立つものを見せて、自分のポジションを作っていける選手になりたい」
大阪桐蔭で鍛えられたことを、これからも大事に
4連覇中のチームでほぼフル出場していながら、まだベストナインなどの表彰には縁がない。それは同じセカンドのポジションに、中央大学の繁永晟(4年、大阪桐蔭)がいる影響が大きい。高校時代は2人で二遊間を組んでいた。大学では藤原が打撃不振に苦しむ一方、繁永は3年春に首位打者を獲得し、昨年は春秋ともにベストナインを受賞。ラストイヤーは2人そろってチームの主将になった。
優勝チームにいながら個人としては無冠の藤原に対して、毎シーズン好成績を残しながら優勝に届かない繁永。野球選手として、どちらがより評価されるものなのかは、意見が分かれるだろう。残る2シーズン、2人がどんな成績を残し、どんな勲章を手にするのかにも注目していきたい。

毎年、高校時代に実績を残した選手が入学してくる青山学院大。安藤監督は「〝勝ちたい選手〟ではなく〝勝たなくてはいけない選手〟」というスカウティングの基準を持っている。強豪校や名門校と呼ばれ、無意識のうちに勝つことを義務づけられた中、高校3年間を過ごした選手という意味だ。
大阪桐蔭で中心選手だった藤原は、その典型的な存在だろう。ただ、高校時代の栄光にいつまでもすがっていては成長できないという側面もある。青山学院大で結果を出せたのは、大阪桐蔭出身という誇りを常に持っていたからなのか。それとも、きっぱり忘れたからなのか。藤原は「両方ですね」と言う。
「高校時代に大事にしていた部分は今でも持っていますが、捨てるべきものは捨てて臨んでいます。『大阪桐蔭のショート』というだけで勝手に有名になって、別に僕の実力が評価されたわけじゃないですから。そういう無駄なものは全部捨てて、野球の内容や『やりきる力』といった桐蔭で鍛えられてきたものは、これからも大事にしようと思っています」

攻めの気持ちを持ち続けさせることが自分の仕事
青山学院大の今年の4年生は、1年春から中軸を打っていた小田康一郎(4年、中京)やエースの中西聖輝(4年、智弁和歌山)ら、それぞれに癖の強い一匹オオカミが集まった学年だ。藤原は「自己チューの集団」と表現する。だからこそ早くから結果を出す選手が多かった。藤原自身も「1春からレギュラーで行く気しかなかった」と振り返る。
藤原は下級生の頃、練習でもプライベートも1人でいることが多かったという。ただ、二遊間は前後左右の選手とのコミュニケーションが求められるポジション。「それじゃダメだよな」と気づいて、自分から周りに関わるようになった。自分のプレーについても「今のはどうやった?」と仲間に意見を求める。寮では同級生と1対1で野球談議をする機会も増えた。藤原だけでなく他のメンバーも、それぞれが3年間で技術的に伸び悩んだり故障したりなどいろんな経験をして、少しずつ周りが見えるようになっていた。
開幕カードの中大戦は、第1戦を落とした。翌日の第2戦で目に付いたのは、各ポジションで大きな声を出し、チームを叱咤(しった)する4年生たちの姿だった。「受け身でいたら、のみ込まれてしまうリーグなんです」と藤原。そうさせないのが自分の仕事だと考えている。
「ちょっとでも悪い空気があれば、それを潰していく。とにかくチームとして攻めの気持ちを持ち続けること。攻めに入ったら、ウチは一番強いと思っていますから。そこにどう持っていくかです。言葉で鼓舞する部分は初谷に任せて、僕は背中で見せて引っ張っていくようなキャプテンであろうと思っています」

勝ち続けることは苦しい。しかし、優勝を手にした時の喜びは何物にも代えられない。だから頑張れる。「やっぱりウチは負けず嫌いが多いんです。一つの勝ちでも本気で喜べますし、そのために頑張っていますから。最後まで勝ちきって終わりたいという気持ちが強いんです」
頼もしい4年生たちが、5連覇に向かって力強く走り始めた。
