アメフト

3年生で止まった快進撃、どん底を知ってラストイヤーに臨む 関西学院大QB星野秀太

昨秋の最後の試合となった法政大学戦で唇をかみしめる星野 (中央奥、すべて撮影・北川直樹)

大学アメリカンフットボールの春の交流戦が4月19日から全国で本格的に始まる。各チームとも、新たにスターターに入ってくる選手に実戦経験を積ませるのが主な目的だ。一方で並々ならぬ思いを持ってラストイヤーに踏み出す選手たちがいる。その一人が19日に春の初戦を迎える関西学院大学ファイターズの星野秀太(4年、足立学園)だ。神戸・王子スタジアムで立教大学と戦う。

一時は選手生命の危機にも立たされた

2024年のファイターズは9年ぶりに甲子園ボウルで戦うことなくシーズンを終えた。全日本大学選手権準決勝の法政大学戦をタイブレーク方式の延長の末に落とした。1年生のときからクオーターバック(QB)としてオフェンスを支えてきた星野は、そのフィールドに立てなかった。関西学生リーグ1部第6節の関西大学戦で足を痛め、一時は選手生命の危機にも立たされた。何とか法政戦の会場へ駆けつけ、この一戦を任されたQBである弟の太吾(だいご、1年、足立学園)をサポートした。私は両チームの取材が一段落したあと、関大戦前の取材以来に彼と向き合った。

法政戦で先発した星野の弟の太吾。苦境を打開するプレーは見せられなかった

「弟のサポートをするのが、いま僕のできる仕事だと思ったんで、ここに来られるようにリハビリを頑張りました。太吾はすごく緊張してて、なかなかエンジンがかからなかったですね。僕の責任だと思ってます」。1時間ほど前まで負ければ終わりの戦いが繰り広げられたフィールドを見ながら、星野は言った。

「最後のシーズンは関西1位でトーナメントに出て、法政には関東2位から勝ってきてもらって、僕らが法政を倒して甲子園に行きたい」と星野

不完全燃焼の一年だった。春はアメリカ遠征の南オレゴン大学戦にのみ出場。入学してきたばかりの弟の成長もあり、首脳陣は星野に無理をさせず、秋のリーグ戦が始まっても背番号2は出てこなかった。第5節の京都大学戦で途中出場してエースらしいパフォーマンスを示し、第6節の関大戦にスターターとして臨んだ。

関大戦の舞台は東大阪市花園ラグビー場。天然芝がこれまで経験したことのないほど長かった。最初のシリーズの6プレー目。スクランブルに出た星野はヒットを受けないようにスライディングで終わろうとした。そのとき花園の長い芝がスパイクに絡まった。満を持して大一番に投入されたエースは担架で運び出され、救急車で搬送された。けがの状況は深刻で、シーズンアウトが確定した。

「感じたことのないくらいの虚無というか。選手として復帰できるかどうかも分からないくらいだったんで。入院中はもう祈るしかなかったです」。練習の合間を縫ってチームメイトたちがお見舞いに来てくれて、少し気持ちが前向きになれたという。2週間で退院し、2日後には練習に顔を出した。「見てるのがしんどかった。今年は何もできひんかったな、と感じて何とも言えない気持ちになりました」

昨秋の関大戦での星野。この試合だけはまだ、見ることができないという

「星野に託してよかった」と思ってもらえるように

小学1年生で始まったフットボール人生で初めて、試合を見るのがこわいとも思った。「誰かが走るたびに、自分の(けがをした)シーンが(頭に)出てきちゃうんで」。そんな思いをしながらも、リーグ最終の立命館大学戦と全日本大学選手権初戦の慶應義塾大学戦はネット中継で見守った。

幸いにも足は順調に回復し、ラストイヤーを見すえられる状況ができた。どんな一年にしたいかと尋ねると、星野は言った。「まず『星野ならやってくれる』と、選手もスタッフも全員に信頼してもらえるような取り組みをしていきたいです。そして全員に『星野に託してよかった』と思ってもらえるようにします。いまの僕はどん底ですけど、春の初戦には間に合いそうなので、そこで今年のファイターズというものを見せる。負けて終わった次の年の一発目にどんな試合をするか。生ぬるい試合なんて絶対にできないんで」

1年生の秋初戦で関学のスタートQBとなったのは1996年の有馬隼人さん以来だった。走ってよし、投げてよし。的確な判断も光った。2年生で甲子園ボウル最優秀選手に輝いた。いつ会っても必要以上に明るいQBは、このままどこまでも駆け上がっていくのかもしれないと思った。だが、星野秀太の快進撃は止まった。

いざ、ラストイヤー。どん底を見た男は強い。

2年生の甲子園ボウルでの星野。ラストイヤーに真のエースとなり、ここにたどり着けるか

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