卓球

早大・舟山真弘 全日本で1勝挙げたパラリンピアン、パリから6大会連続出場を夢見て

今年1月の全日本卓球選手権でプレーする早稲田大の舟山真弘(試合はすべて撮影・鈴木健輔)

卓球の国内最高峰大会、全日本選手権。2025年1月に開催された男子シングルスでは、当時早稲田大学2年の舟山真弘(現・3年、早大学院)がパラリンピック出場選手として初めて勝利を挙げた。歴史的な「1勝」の重みをかみしめ、舟山は2028年のロサンゼルス・パラリンピックを見据えている。

効果的だったバックハンド

1月21日、東京体育館。初出場の舟山は初戦となった2回戦で、日本リーグに所属する実業団選手と対戦した。

普段は、肢体不自由で最も障がいの程度が軽いクラスでプレーしている。フットワークを生かしたフォアハンドに加え、この日は、練習を重ねてきたバックハンドが効果的だった。

左手で持ったラケットを、コンパクトに振り抜く。小差の展開でゲームを奪い、ゲームカウント3-1で勝利。「やってきたことが出せたと思います。うれしいです!」と破顔した。

天皇杯・皇后杯を争う全日本選手権には、各都道府県の予選を勝ち抜いた実力者が集う。24年大会からは「肢体不自由」などの障がいがある選手が所属する三つの団体に、男女各1人の推薦出場枠を与えている。その枠から出場した選手の中で勝利を挙げることができたのは、現時点で舟山だけだ。

2回戦で歴史的な1勝を挙げた

パリで味わった悔しさ「借りを返せるのは4年後しかない」

舟山は4歳の時、利き腕だった右上腕骨の骨肉腫を発症した。右上腕骨と肩関節を切除し、代わりとして右足の骨を移植。細い骨のため、右腕が上がりにくい。

スポーツはずっと好きだ。友達とサッカーやバスケットボールをしたり、家族でマラソン大会に出場したり。ただ「卓球は、自分の中でちょっと違った」という。

家族で泊まった旅館の卓球台で遊んで気に入り、小学5年から埼玉・大宮の自宅近くにある卓球場へ通うようになった。そこで紹介してもらった埼玉県障害者スポーツセンターで、パラ卓球と出合った。小学6年で埼玉県のパラ卓球強化指定選手に選出されたという。

「それまで、なかなか一つのものにガッと集中することはなかったんですけど、生活の中心が卓球になりました。卓球という打ち込めるものができて、すごく充実したかなと。それまでも楽しかったけど、卓球で競い合ってやっていく中で濃い生活になったかな」

フォアハンドからの強打を武器の一つにしている

早大学院高校時代、全国高校総体に出場できたことで自信がついた。パラリンピックへの意識が芽生えたのもこの頃だ。

「自分の体を持ってして、どこまで強くなれるのか。もっと時間をかけて卓球と向き合えば、もっともっと上に行けるんじゃないのかな。どこまで行けるのかな、という興味、好奇心ですね」

23年、早稲田大文学部に進学。Tリーグにも参戦する1学年上のエース、濵田一輝とダブルスを組むなどリーグ戦にも出場し、昨夏のパリ・パラリンピックに出場した。

八木克勝と組んだ男子ダブルスは初戦で敗退したものの、シングルスでは立位で最も障がいの程度が軽いクラス10で準々決勝まで進んだ。準決勝をかけた戦いは地元フランス出身で世界ランキング上位の選手にフルゲームの末、2-3で敗れた。卓球人生で初めて「燃え尽きた感があった。練習したくないと思った」。

ただ、それを感じたのは「数日」だけだった。悔しさと、向上心が湧いてきた。パラリンピックは3位決定戦がないため、準決勝に進んでいればメダルが確定した。なのに、あと1勝が届かなかった。

「この借りを返せるのは4年後しかない」

パリ・パラリンピックの前には早稲田大で壮行会が開かれた(撮影・岩堀滋)

「パラも強いんだ、と見せることができた」

得意とするフォアハンドは強打につながる一方、自分の体付近に打たれた時は大きく回り込まなければスイングしづらい。舟山はフォアに頼りすぎるあまり、ハイレベルな相手に攻撃パターンを読まれやすい面もあった。

世界レベルでは、前陣で速いテンポでプレーする「高速卓球」が主流になってきている。これに対応するために磨いたのがバックハンドだった。

パラリンピック後に磨くうち、体に近いボールや、想定の逆を突かれた時の対応力がついたと実感する。全日本選手権でも「練習してきたことを発揮できた」という手応えがあった。

パラリンピック後に磨いたバックハンドを全日本選手権でも発揮した

パラリンピックへ出場とはまた違う充実感を手にした全日本。この1勝にどんな価値があるか、と報道陣から問われた舟山は言った。

「ここでも戦えることを証明できた。パラも強いんだ、と見せることができた」

パラ卓球界を見渡せば舟山はまだまだ若手で、30~40代に強豪がひしめいている。パリ・パラリンピックのクラス10で金メダルを獲得したパトリック・ホイノフスキは当時34歳だった。

「自分はまだまだできるっていうことを、皆さんに見てほしい」と舟山。目標は40代まで大好きな卓球を続けること。パリを含め、パラリンピック6大会連続出場を夢見ている。

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