チステルナ・垂水優芽3(完)筑波大で得たかけがえのない財産「同期の存在は大きい」

今回の連載「プロが語る4years.」はバレーボールのSVリーグ・大阪ブルテオンから、今季はレンタル移籍の形でイタリア・チステルナでプレーした垂水優芽です。3回連載のラストは10年ぶりに制した4年時の全日本インカレを振り返り、現在イタリアで戦う理由も語ります。
「とにかく壮絶だった」大学ラストイヤー
筑波大学の主将として臨んだ最後の1年を、垂水は「とにかく壮絶だった」と苦笑いしながら振り返る。
「練習がとにかくきつかった。秋山(央)先生からは『垂水は練習嫌いなんだから、やりたいことをやるだけでなく、やるべきことをやれ』と言われ続けてきたんです。確かに子どもの頃は練習嫌いでしたけど(笑)、大学に入ってからはそんなことを思う余裕すらなかった。とにかく結果で証明したい、と思っていたんですけど、春と秋のリーグも勝てなかったし、東日本(インカレ)も負けた。自分たちで『四冠』という目標を掲げたのに、現実は一つも取れない。焦りしかなかったです」
秋季リーグを終えてから全日本インカレ開幕まで、実質1カ月弱しかない。その限られた時間で何ができるか。何をすべきか。同期のエバデダン・ラリーや西川馨太郎と必死で考えた。自身とエバデダンが〝おちゃらけ担当〟で、ふざけもするけれど〝しっかり者〟が西川。2人は垂水にとって「家族みたいな存在」で、1年の頃から練習や日常生活で苦しいことがあっても、時に励まし、特にちゃかし合いながら乗り越えてきた。だが、大学ラストイヤーは、ふざける余裕など一切なかった。
「毎日とにかく全力。大げさじゃなく、バレー以外のことは考えられなかったし、毎日の練習を終えると疲れ果てていました。同期の存在がなければ絶対無理。途中で投げ出していたかもしれないです」

秋季リーグ後、プレーの精度を追求してミスを潰した
練習メニューは選手たちで考えていた。秋季リーグまでの反省を生かし、まず重視したのは、プレーの精度を追求してミスをなくすこと。個別の技術はもちろんだが、試合を想定してさまざまなシチュエーションで行う実戦練習の際も、まずは3本、ミスなくスパイクを決めるというノルマを課し、それがクリアできれば次は5本連続。もしも途中でミスをすれば、イチからやり直した。
スパイクだけでなく、そこまで持って行くためのトスやセッター以外の選手が上げるハイセットも同様で、その時点で生じたミスもスパイクミスとカウントして、もう一度はじめから行った。いつになれば、練習が終わるのか。そもそも本当に終わるのかと不安になるぐらい、徹底した。
「1本、1個のミスをそのまま流すのは絶対ダメ。試合でミスを出さないようにするためには、練習からそれだけやらないとダメだと思ったんです。めちゃくちゃしんどかったですけど、ここまでこだわって、ここまで時間をかけてやってきたんだから、絶対どこにも負けない、俺たちが優勝するのが当たり前だ、と思えるぐらいの自信がありました」
これが最後。覚悟を決めよう、と思わぬ行動にも出た。
4年生で話し合い、「四冠という目標を達成できていないんだから、最後に勝つために気合を入れよう」と髪の毛を刈った。「坊主になるのが嫌で洛南を選んだのに、結局学生最後は坊主でした(笑)」

洛南高校の盟友と戦った準決勝・決勝
迎えた全日本インカレ。3回戦まですべてストレート勝ちを収め、準々決勝は駒澤大学に3-1で勝って準決勝に進んだ。ここで対戦したのが、1年時の全日本インカレ決勝で敗れた早稲田大学だ。6連覇がかかる相手で、洛南高校時代は盟友としてともに戦った大塚達宣と中島明良がいる。日本一になるためには、避けて通れない相手だった。
第1セット中盤、大塚が着地で足首を負傷して途中交代した。早稲田はもちろん、筑波にとっても想定外のアクシデントだったが、第1セットは25-19で筑波が先取。第2、第3セットを早稲田が取り返し、セットカウント1-2と追い込まれた。ここで垂水が覚醒した。
前衛からのスパイクだけでなく、バックアタックやサーブとすべてのプレーで躍動。大げさではなく「打てば決まる」という活躍で第4セットを取り返し、フルセットへ。12-14と先にマッチポイントを握られたが、エバデダンのブロックが要所で続けて決まって同点とし、ジュースの末に18-16で筑波大が勝利。3年ぶりの決勝進出を果たした。

決勝はこの年の春季リーグと東日本インカレを制した東海大学と対戦した。早稲田と同様、洛南高の盟友・山本龍が主将を務めていた。準決勝と同じく第1セットを先取され、第2セットも追う展開。ここから徐々に追い上げ、潮目を変えたのが垂水のサービスエースだった。劣勢をはねのけ、第2セットを奪った筑波大が第3セットから圧倒し、最後は垂水のスパイクで25-19。10年ぶりの全日本インカレ制覇を成し遂げると、垂水は両手でネットをつかみ、人目をはばからず号泣した。
「とにかくホッとしました。やった、という歓喜よりも終わった、という安堵(あんど)の方が大きかったですね。実は3セット目に入った頃から疲労がたまって、足がつりそうだったんですけど、体がギリギリになったおかげで逆にものすごく集中できた。完全にゾーンに入っていたし、自分でも『打てば決まる』と思いながらプレーして、実際に勝つことができた。あー、よかった、やっと終わる、って。心から思いました」

日本代表としてオリンピックに、そのために海外へ来た
とにかく苦しかった、と振り返る筑波大での4年間。「もう一度繰り返せ、と言われたら絶対に無理だと思う」と笑う一方、かけがえのない財産も得た。
「同期の存在は本当に大きいですよね。自然に(卒業後も)みんなでパナソニック(現・大阪ブルテオン)で頑張ろう、という気持ちになれたし、『あれ以上しんどいことはないから、この先何があっても大丈夫だ』と思える日々を一緒に乗り越えてきた仲間ですから。目標を達成するためにどれほど大変だったとしても、生きていける。それだけの力を筑波大の4年間でつけることができました」
日本代表だけでなく、アメリカやキューバなど各国の代表選手がずらりと顔をそろえるパナソニックでは、なかなか出場機会を得られず、試合に出て味わうものとはまた違う悔しさも味わった。だから海を渡り、自ら世界へ飛び出して己を磨く。もっと強くなるための場所として、垂水はイタリアを選んだ。
「日本では決まるだろうと思えるスパイクも、イタリアではブロックされる。そうすればまた自分の打ち方を考えて、新しいことができるようにならないといけない。悔しいことや大変なこともありますけど、毎日課題が見つかる環境でプレーできるのは楽しいです」
そして、その先に描く目標もある。
「日本代表としてオリンピックに出たい。そのために海外へ来たので、かなえるまでは日本に帰らない。それぐらいの気持ちでやっているし、もっと強くなりたいです」
どんな高い壁があっても、一歩ずつ。自分を信じて乗り越えていくだけだ。

