陸上・駅伝

特集:うちの大学、ここに注目 2025

東洋大学・藤原孝輝 けがに苦しんだ8mジャンパー、想定外のルートでも同じ到着点へ

東洋大学卒業後はそのまま大学院に進み、競技を続けている藤原孝輝(高校時代を除きすべて撮影・東洋大学スポーツ新聞編集部)

高校2年の時に走り幅跳びで8m12という大記録をマークし、高校記録やU20、U18の日本記録を塗り替えて鳴り物入りで東洋大学へと入学した藤原孝輝(M1年、洛南)。この記録はいまだに破られていない。ただ、藤原自身もまた自身の記録を超えられずにいる。4年間は度重なるけがに悩まされた。春からは大学院に進み、再び鉄紺のユニホームを身にまとって新たなスタートを切った。

「その時の体でできる100%を出せたのかな」

藤原は小学2年のとき、兄の影響で陸上を始めた。彼を一躍有名にしたのは、高校2年時の全国高校総体(インターハイ)だった。8m12のビッグジャンプで、高校生として初めての8m超えを果たし、従来の高校記録を16cmも塗り替えた。

当時のことを、藤原はこう振り返る。「正直なんで跳べたのか、今でもわかっていないんです。全部がかみ合っていたなとは思いますし、その時の体でできる100%を出せたのかなと。人間って『自分の力の80%しか出せない』ってよく言われると思うんですけど、それを超えたパワーをたまたま出せたんじゃないかなってしか思えないですね」

藤原は110mハードルでも高校時代に13秒台を出し、高校陸上界屈指の二刀流選手として名をはせた。

洛南高校時代、110mハードルのスタート前に集中する藤原(本人提供)

リハビリ期間が「自分を成長させてくれた」

大学でも走り幅跳びと110mハードルの両方で戦っていくため、東洋大に進学した。1年時は110mハードルで自己ベストを更新し、初の日本インカレで5位入賞を果たした一方、走り幅跳びは7m55で6位。結果を出せずに苦しんだ。

2年の7月に高校2年以来となる8m超えのジャンプを披露し、復活の兆しが見え始めた矢先、藤原を試練が襲った。練習中に足を痛めて病院に行くと、右舟状骨(しゅうじょうこつ)の骨折を告げられた。手術を余儀なくされ、1年近く走れない時期が続いた。

「ただただ時間が過ぎていきました。練習に来て、その時にできる補強をやって帰るだけ。機械的で、惰性のような感じで続けて、けがが治るのを待っていました」

今ではつらかった時期について、「自分を成長させてくれた時間だった」と振り返る。「身長の高さに合わない筋力であったり、弱いところや使えていないところ、力の出し方などをリハビリを通じて見つめ直すことができました」

けがで苦しんだ1年間に自身の体と向き合い続け、「二度とやりたくはないですけど、次につながっている部分もあったと思います」と藤原。長いリハビリもあり、3年時に出場できたのはわずか2試合だったが、復帰戦となった日本インカレで8m05をマークして2位に。故障期間も逃げなかった成果が、形となって現れた。

けがで苦しんだ期間は、自身の体とひたすら向き合い続けた

最後まで諦めなかったパリ・オリンピック

昨年はパリ・オリンピック出場を目指していた。だが、なかなか思うようにはいかなかった。「パリを見据えて練習や試合で跳んでいたんですけど、試合のたびにけがをしてしまって……。治ってけが、治ってけがというのを3回、4回と繰り返しながら試合に出ていました」

代表選手を決める大一番の日本選手権は、けが明けの復帰戦だった。前年の日本インカレは復帰戦で結果を残しただけに、諦める気持ちは一切なく、パリ・オリンピック参加標準記録の8m27を超えることだけを考えて藤原は臨んだ。記録は7m77で6位に。日本代表の座をつかむことはできなかった。

「けがを重ねるうちに、冬季練習で積んでいた練習の貯金がなくなって。復帰戦はそこまでいいパフォーマンスを出せる状態ではなくなってしまっていました」。最後までけがと戦い続けた4年間だった。

昨年のパリ・オリンピック出場をめざしたが、またもけがに泣かされた

夏に世界の舞台へ、復活劇はこれから

藤原にとって、陸上競技人生のターニングポイントは――。そう尋ねると、答えはすぐに返ってきた。「高校2年生ですね。8m12を跳んだ瞬間しかないと思います」

自身の記録は、いまだに立ちはだかっている。「ずっと超えられなくて、もちろん壁にはなっていますが、同時に、自分がその記録を出す力を持っているということの証明にもなっています」。あの瞬間があったから、今の藤原がある。「大学入学時に思い描いてきたものとは、かけ離れてしまったんですけど、スプリントの能力や筋力的なものなどをしっかりとつけられた部分もあります。思っていたのとは別のルートだけど、それが最終的に同じ到着点につくためのルートなのかなと思っています」

これまでのいばらの道も、すべては先の未来へとつながっている。それが最短距離でなくても、目指す場所は変わらない。

藤原はこの春から東洋大の大学院に進み、自身の跳躍を分析する研究に励んでいる。4月26日には日本学生個人選手権で7m70を跳んで優勝を果たし、7月にドイツで開催されるFISUワールドユニバーシティゲームズの日本代表に内定した。これからも自身の競技を突き詰め、世界と戦う。藤原の復活劇はこれからだ。

4月の学生個人選手権で優勝し、この夏は世界の舞台に挑む

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