法政大学に26歳の若きヘッドコーチ 菅野洋佑氏「熱狂を巻き起こすチームをつくる」

法政大学オレンジは過去4度、アメリカンフットボールの学生日本一を決める甲子園ボウルを制している。その関東大学リーグ1部TOP8きっての強豪に、若きヘッドコーチ(HC)が誕生した。26歳の菅野洋佑(すがの・ようすけ)氏だ。兵庫県出身で中学、高校と関西学院でプレーし、本場アメリカの高校へ。セント・フランシス大学(ペンシルベニア州)、シラキュース大学大学院(ニューヨーク州)と進み、LB(ラインバッカー)としてプレーした経験を持つ。昨年の甲子園ボウルの再戦となった5月11日の立命館大学戦(3-31で敗戦)のあと、菅野氏にインタビューした。

何が足りないのか、提示してもらえた立命館戦
――昨年の王者立命館との再戦でしたが、完敗でした。
圧倒的な準備不足と、春はフィジカルに取り組もうっていうところで、正直コールもかなり絞ってました。この隊形ならパス、この隊形ならランみたいな感じで、めっちゃ分かりやすいことをオフェンス、ディフェンスともにやってまして。
と言いますのも、秋に法政が毎年やっているように、うにゃうにゃ(プレー前に相手を惑わすような動きをするという意)やったりするのはなんとでも準備できるんですけど、「そうじゃないよね」というところから始まって迎えた立命館戦でした。結果を見ていただいたら分かるように、ディフェンスでいうとこれだけランを出されましたし、オフェンスでいうと後半の頑張らないといけないパスシチュエーションのライン戦で負けてサックを許したところは、選手たちも結構厳しく受け止めてくれてるんじゃないのかなと思ってます。

というのがネガティブなところで、ポジティブな面でいくと、選手たちもオフェンスでしっかりランが出せていたところは自信を持ってくれていたり、ディフェンスの選手も去年の甲子園ボウルでトラウマ的に嫌なところがある中、今年はタックルをしっかり頑張ろうと。甲子園の1プレー目でミスタックルからタッチダウンされてますから。今日でいうと押し上げられていたものの、目立ったタックルミスはなかったように感じています。しっかり春から取り組んできている部分に関しての結果というところは付いてきているのかなっていうのはあるので、ポジティブにとらえると、改めて明確に自分たちには何が足りないのか、これから改めて何に取り組んでいかないといけないのかってところが、やっぱり立命館さんは強いので、改めて提示してもらえたかなという感覚です。
――法政のコーチには、去年から入ってたんですか。
去年加わって、実はディフェンスコーディネーター(DC)をやってました。僕がいたシラキュースのプレーブックからまるまる持ってきて、分からないことがあれば僕のアメリカのコーチに聞くみたいな感じで進めていますね。
――今日はOC(オフェンスコーディネーター)もやっていたように見えましたが。
本来のOCが体調を崩してまして、2週間前から急にOCになりました(笑)。プレーコールを覚えるところからやりました。ですからこの試合はHCとOCとDCをやってましたね。ディフェンスのゲームプランから考えて、オフェンスはQBと話しながらプレーコールを全部覚えてゲームプランを作って。だから終わりのハドルでも話したんですけど、完全に大人の準備不足で選手に迷惑かけちゃった部分が大きかったですね。

自分の性格上、新しいことにチャレンジしたい
――HC就任の話が来たとき、どう考えたんですか。
正直、去年の秋ごろから話はもらってて、本当のところ言うと何度も断ってたんです。去年までは(Xリーグの)オービックシーガルズの選手もやっていたので、もしこの仕事を受けるってなった場合は選手を引退することになる。正直、体は全然元気ですし、べらぼうに動くので、そのあたりでちょっと葛藤はあったんですけども、元々カレッジでプレーしているときからフットボールのコーチになるっていうのは一つの夢だった中で、甲子園ボウルに出場するような名門の法政大学からもらっているこのチャンスは誰でももらえるような機会ではないですし、自分の性格上、新しいことにチャレンジしたいっていうところはずっと昔からあったので、その機会をもらえたんであれば、一度やってみたいとの思いで始めました。法政大学さんと業務委託の形で、常駐でコーチをやらせていただいてます。
――選手としての思いを断ち切れた瞬間というか、一番大きな要因というのは。
どっちの方が楽しいかな、っていう感じで考えてました。あとやっぱり去年1年間、夏ごろから正式にDCになりまして、学生と半年間やっていく中で、学生スポーツにおいて学生の力ってすごくて、僕がまぶしくて食らっちゃうぐらいにパワーがすごい。法政は練習時間がすごく短いんですけど、その中で彼らがこれだけ強くなれてるっていうのは、本当に彼らはフットボールが好きなんですよ。ものすごくフットボールが好きで、すごくポジティブで明るくて、だからこそ他大学さんとかから「法政のヤツらは陽キャが多くて」みたいな感じで嫌われてる節があるんですけどね。
僕も中高が関学なんで、法政は嫌いだったんですよ。Instagramばっかり発信して陽キャで、って嫌いだったんですけど、実際に中に入ってみると、いろんな楽しみ方を知ってる中で、彼らは一番フットボールを楽しんでるんだなっていう感覚があって。フットボールを愛してるヤツらとともに日本一を目指していくところに心を動かされるシーンが多くて。彼らと一緒にプレーしたいなあ、彼らと一緒にちゃんとやってみたいなっていう思いが生まれていきました。

去年はDCと選手を両立していたので、途中ちょっとそこが苦しくて。たとえば12月、パナソニックと試合した翌日が甲子園ボウルだったんです。だから選手としてオービックのアサイメントを覚えながら、立命館との甲子園ボウルのディフェンスの準備を全部しないとダメという感じで。毎日午前4時ぐらいまで立命館オフェンスのスカウティングをしながら、パナソニック戦に向けてのコンディションも整えて。正直どっちも中途半端になっちゃって、どっちもあんまりパフォーマンスがよくなかった。逆に(全日本大学選手権)準決勝の関学との試合のときは、僕が法政のDCに全振りしちゃってたので、シーガルズでのパフォ―マンスがよくなくて、それはコーチにもしっかり怒られました。両立するのはちょっと無理だなっていうのは去年感じてました。それでどちらにも迷惑をかけたくなくてHCを選んだっていう流れですね。
――そういう意味では延長タイブレークで勝った関学戦は、DCとして会心のゲームだったんじゃないですか。
準備してきたことがちょうど当たったっていう感じで、関学さんも法政をめちゃくちゃ過大評価せずに来てくれたところで、やっぱりプレーコールも関学さんが本当に持ってるもののすべてじゃなかったでしょうし、そういったところがうまくかみ合って運がよかったかなっていうのが正直なところです。今年もKGと当たるってなると、去年みたいに甘くは見てくれないので、厳しい戦いになるだろうなと思いながら頑張ってます。

日本一を目指すことによる人間的成長を目指す
――26歳でHCになったというのをアメリカの知り合いたちはどう言ってますか。
僕のシラキュース時代のDCがトニー・ホワイトっていって、いまフロリダ州立大でDCをやってるんです。いまも密に連絡取ってて、めちゃくちゃバカにされました(笑)。「まだ26歳だろ!?」って。アメリカだとこの年齢では、まだグラデュエートアシスタントだったり、ポジションコーチになってる同期が何人かいる程度です。だから、よくイジられてますね。
――どんなシーズンにしたいですか。
法政大学の面白いところは、入ってみて自分もびっくりしたんですけど、目標を「日本一」と言うのはやめようみたいな文化がありまして。アメフトってプロの世界もあるんですけど、日本だとあんまりないじゃないですか。そういう中で日本一を目指してるだけだとあんまり意味ないよね、と。
日本一を目指すことによる人間的成長を目指そうよ、というところでやってますし、そこのアプローチでポジティブに頑張ろうよと。法政大学にしかないような文化を感じていて、そこは僕も素晴らしいなと感じています。去年の山田(晋義)キャプテンが甲子園ボウルに負けた直後のハドルで「楽しかった!!」って笑顔で言ったんですよ。僕はそこにすごく感動しました。

法政オレンジに関わってくれているすべての人が勝ち負けだけではなくて、たとえば親御さんであれば「子どもを法政に入れてよかったな」とか、子どもたちももちろん日本一を目指すんですけど、どんな形で終わっても「法政で4年間やってよかった」「法政ってやっぱカッコいいな」と思うような。ファンの人たちも負けたとしても「応援したくなるチームだったよな」と感じるような。見ている人も、やっている人も、みんなが熱狂するようなチームになるシーズンにしたいです。
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私は2016年12月23日、高校日本一を決めるクリスマスボウルの取材に大阪・キンチョウスタジアム(当時)へ行った。佼成学園(東京)が27-17で関西学院(兵庫)を下して初優勝を飾った。そのときの関学のキャプテンが90番を付けたDL(ディフェンスライン)の菅野洋佑だった。約1カ月前、チームメイトの一人が試合中のけがで亡くなっていた。菅野は涙をこらえて言った。「アイツがここにいたら、みんなに『泣くな』って言うはずです」
あの日から10年も経たないうちに、菅野が当時嫌いだったという法政大学のヘッドコーチになった。人生は面白い。そしてフットボールは面白い。

