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特集:New Leaders2025

慶應義塾大・外丸東眞 投手主将がいつも淡々としている背景「気合を入れると力みに」

慶應義塾大で投手主将を務める外丸東眞(ユニホーム姿はすべて撮影・井上翔太)

1年春から東京六大学リーグ戦に登板し、ここまで通算18勝を挙げているのが、慶應義塾大学の外丸東眞(4年、前橋育英)だ。チームでは17年ぶりの投手主将にも就任。どんな状況でも淡々と投げる右腕の裏側に迫った。

もともとはショート、チーム事情から投手に専念

外丸は野球センスの塊だ。リーグ最多の6勝をマークした2年秋は、投手ながら9安打をマーク。規定打席には達しなかったが、3割7分5厘の高打率を残した。バント処理などのフィールディングもうまく、50m走のタイムが6秒4と足も速い。高校では2年秋からエースとなった一方、練習試合に「1番DH」で出場したことも。肩のコンディションが良くなかった3年春の群馬県大会では、背番号「7」を付けて1番を打ったという。

投手に専念したのは前橋育英に入学してからだ。小中学生時代も、最上級生になるとエースを担った。ただ、そこにはチーム事情があった。「他に投手をできる子がいなかったので……しんどそうだし、本心では投手はしたくなかったんです(笑)」

2年秋は9安打をマークするなど、バッティングも非凡なものがある

本来の持ち場はショートだった。「子どもの頃からショートが好きで、将来的にもショートで勝負したいと思ってました」。小学校時代は読売ジャイアンツの坂本勇人に憧れていた。一方、当時からコントロールは良かった。「ストライクはいつでも取れましたし、四球は少なかったと思います。当時の指導者の教えもあり、小学生の時からアウトローに投げることもできました」

転機が訪れたのは、桂萱(かいがや)中の軟式野球部に所属していた3年の夏だった。チームは外丸の好投で前橋市大会を勝ち抜いた。群馬県大会での投球が、高校野球関係者の目に留まり、県内の複数の強豪校から声がかかった。この頃は持ち味の制球力の高さに加え、ストレートの最速が130キロを超えていた。変化球はカーブとスライダーを操ることができた。

外丸は投手としてのポテンシャルを見込まれ、2013年夏の甲子園で初出場初制覇を果たした前橋育英に進んだ。だが、すんなりと投手になったわけではなく、入学から2カ月ほどは、投手か野手かで迷っていたという。それだけショートへの思いが強かったのだろう。

「投手でいこうと決めたのは、投手の方が試合に出られるチャンスがあると思ったからです。現実的な選択です。最初は内野手だったんですが、同期だけで31人もいたので、1年生大会にも出られなかったんです。チーム事情がなかったら、今もショートをやっていたかもしれませんね」

チーム事情から投手に専念し、今にいたる

まだ自分のポテンシャルを使い切っていない

投手に専念して最初に取り組んだのは、球速を上げることだった。「入学時は135キロだったストレートの最速を、まず140キロに到達させようと思いました」。1年冬のトレーニングの成果でこれをクリアすると、その後も少しずつスピードが上がり、3年夏の甲子園では144キロを計測した。

現在の最速は149キロ(オープン戦では150キロ)。ストレートについては、「いかに力感なく投げるか」にこだわっており「140キロを投げる力感で150キロを投げたい」と口にする。

投球術に長(た)けている外丸は、大きく曲がる変化球などを駆使して、ストレートを球速以上に見せるタイプに見られがちだ。しかし、本人にはそういう認識が全くない。進化の途中であり、自分のポテンシャルを使い切ってもいないと言う。

「球速は上げようとして上がるものではなく、勝手に上がるもの。そのための瞬発系のトレーニングはずっと続けています。メカニズム的にもフォームが不安定なので、それがかみ合えば……と思っています」

真っすぐは「いかに力感なく投げるか」にこだわっている

打者を観察し、少しずつ心理が読み取れるように

外丸は高校時代、あまりコントロールを意識していなかった。考えていたのは「ボールが先行しても四球を出さなければいい」。当時、連続四球は練習試合を含めても1度しか記憶にない。

意外にも、コースは狙っていないと言う。「なんとなくこのあたりという感じで、投げたいところにフォーカスし過ぎないようにしています。ぼんやりミットを見るイメージですね」

制球への意識が高まったのは大学に入ってからだ。それがないと打たれる、インコースを使わないと痛打を浴びると、入学直前のオープン戦で思い知らされた。

同時に大学では、どんなにベストピッチをしても通用しないことがある、と気付かされた。「高校までは通用していたストライクからボールになる低めの変化球も狙い打たれ、『自分がしたい投球をしているだけでは抑えられない』と思ったんです」

そこで始めたのがバッターの観察だった。オープン戦で自分が投げない時、敵味方問わずバッターを見て、どの球を狙っているのかを感じ取った。少しずつ観察眼が養われると、自分がマウンドに立った時に打者心理が読み取れるようになった。

「もちろんすべて当たっているとは限りませんが、本当はストレートを投げたいけど、それだけでは打たれると考えられるようになりました」

ベストピッチでも通用しないことがあると気付き、観察眼を養うようになった(撮影・上原伸一)

今ある実力で、どう抑えるか

試合後、記者会見場に呼ばれた際の外丸は、いつも淡々としている。口癖は「いつも通り」。好投すれば「いつも通りに投げました」と言い、コンディションが悪い日は「こんな日もあると思って投げました」と口にする。

一定の精神状態で投げられるようになったのは、大学2年になってからだという。

「それまでは『どうにかして』と力ずくで投げてました。でも『打者を抑えてやろう』という気持ちが前に出過ぎると、自分のことしか考えられなくなり、バッターが見えなくなります。特に連打された時がそうです。自分が打たれている時に、どうにかしようと気合を入れると、それが力みにつながってまた打たれる。2年春の開幕前のオープン戦で実感しました」

実は人一倍の負けず嫌いである。だが、一喜一憂したら勝負には勝てない。自分のことをよく知っている。

「今現在、圧倒的な実力がない僕にとって大事なのは、実力を出し切ることではなく、今ある実力でどう抑えるかだと思ってます。言葉は悪いですが、バッターをよく見て、いかに相手を見下すような投球ができるかだと」

得意とする変化球はカットボール。この球種をストレートと同じ腕の振りから繰り出し、バットの芯を外す。外丸のストレートはややシュート回転をするため、打者からすると変化する幅が大きくなり、凡打の確率が高まる。こういう投球は力んだらできないだろう。

人一倍の負けず嫌い。しかし一喜一憂したら勝負に勝てないと心得ている

励みになっている先輩・廣瀬隆太の言葉

外丸は今年から主将を担っている。慶應義塾大では17年ぶりの投手主将だ。自身としては小学生以来の重責である。

「入部したばかりの頃を思えば、『まさか自分が……』という感じです。(背番号10は)高橋由伸さんら、そうそうたる方々が付けていた番号なので、やはり重たいですね」

そしてこう続けた。

「僕は自分が1年時の主将だった下山悠介さん(現・東芝)のように、言葉でチームを鼓舞できるタイプでもなければ、2年時の主将だった廣瀬隆太さん(現・福岡ソフトバンクホークス)のように圧倒的な実力で盛り上げるタイプでもありません。背中で引っ張りたい気持ちはありますが、入部してからずっと(リーグ戦メンバーが入寮する)第1合宿所にいる経験も生かして、選手間のコミュニケーションを大事にしていきたいと思ってます」

主将のシンボル、背番号10は「やはり重たいですね」

今年は外丸にとってドラフトイヤーでもある。プロは小学校低学年の頃に初めて東京ドームで試合を見て以来、憧れでもあり、ずっと行きたいと思っている世界でもある。

大学に入ってから、1年時は萩尾匡也(現・巨人)と橋本達弥(現・横浜DeNAベイスターズ)が、2年時は廣瀬がドラフト指名を受けた。1年時からリーグ戦で投げてきた外丸からすると、3人とも近しい先輩であり、橋本と廣瀬は合宿所で同部屋だった。「プロに進んだ先輩の姿を間近で見て来られたのは財産ですし、もちろん、刺激にもなりました」

廣瀬とはいまもよく連絡を取り合っている。オフには食事に誘ってくれる。「廣瀬さんはプロがどういう世界とかそういう話はしないんですが、『外丸なら絶対行けるよ。行ける、行ける』と言ってもらいました」。日本代表「侍ジャパン」のトップチームに初選出された先輩の言葉は、大きな励みになっている。

淡々とした振る舞いで熱さを包み隠し、計算し尽くされた奥深い投球で勝ち星を積み上げてきた外丸。2023年秋以来の日本一にチームを導き、正真正銘の勝てる投手としてプロへの扉を開く。

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