アメフト

関西学院大WR川﨑耀太郎 病を乗り越えラストシーズンへ、QB星野秀太と誓った約束

病を克服してフィールドに立つ川﨑は、誰よりもチームに貢献する覚悟を決めている(すべて撮影・北川直樹)

5月18日の関東学生アメリカンフットボール春季オープン戦で、関西学院大学が東京大学に70-0で大勝した。関学は副将を務めるWRの川﨑耀太郎(4年、鎌倉学園)が今季はじめて先発ローテーションで登場、序盤に2度の好キャッチを見せた。大学2年時に病を患い、一時は選手生命が危ぶまれたこともある。困難を乗り越え、ラストシーズンにかけている。

たとえスタッフでも「自分の働きで日本一に貢献したい」

試合序盤、関学のWRの位置に背番号9の川﨑がセットした。186cmと長身で目を引く立ち姿に、下級生時から注目してきたが、なかなか活躍の機会は訪れなかった。そんな川﨑が、この日はいいキャッチと走りを見せた。東大の守備陣を何人もかわしながら、生き生きとフィールドを駆け抜けていた。

川﨑にとってここまでの道のりは、しんどく苦しいものだった。大学2年の秋、トレーニング中に頭に強い痛みを感じた。「ベンチプレスで力をこめたとき、頭に圧がかかる感覚があって……」。それが続いたので病院に行ったら、病気の診断とともに運動禁止を告げられた。その時点でアメフトを続けられるかどうかは全くわからず、当時は状況を受け入れられなかった。「そんなことある? って思って頭が真っ白になりました」

診断を受けた後も体調が安定せず、半年近く自宅で療養した。「朝起きるのが本当につらくて、気温や湿度にも左右される状態でした」。治療は安静にすることと、薬の服用。復帰の見通しは不透明だった。

それでも川﨑は、入学時に抱いた強い思いを捨てなかった。「自分がここに来たのは、『日本一に貢献したい』という気持ちが一番だったんです。それがたとえ自分のプレーでできなかったとしても、スタッフとして自分の働きで貢献できたら、目的は達成できると考えていました」

苦しみを乗り越えフィールドで活躍できるようになった

叔父の無念を背負い、ファイターズを志す

幼少期から小学校高学年まで兵庫県西宮市で育った川﨑は、小学3年からファイターズOBが設立したタッチフットボールチーム「上ヶ原ブルーナイツ」に所属。小学5年で横浜に引っ越してからは野球一本に絞り、中学でも続けた。

高校はアメフト部がある鎌倉学園に進学。大学進学の際に再び関西を志したのは「西宮に帰りたい」という思いと、家族の影響だったという。

父の昌和さんは京都大学アメフト部のOBで、ポジションは守備のニッケルバック。母方の叔父(母の弟)はファイターズのOBで、大村監督の同期でもある荒木秀信さん。川﨑の祖父にあたる、叔父の父もフットボールが好きな人だった。秀信さんは途中で選手を断念した経緯があり、「その無念を背負う形で、自分がファイターズでやりたいと思うようになりました」と語る。

「叔父からはファイターズがどんな組織なのかも聞いていました。学生が主体的に考えて取り組んでいること、人間的な成長もできるという話を聞いていて、ただアメフトをするだけじゃないっていう部分に魅力を感じました」

ただ、父は当初、これを認めてくれなかったという。

「はじめは『関学以外ならどこでもいいよ。でも関学だけは行くな!』って言ってましたけど(笑)。僕としては父の出た京大を倒したいという気持ちもあって。どうしてもファイターズに行きたいと思うようになりました」

父は「試合で4回ボールを捕っても、1度落とせばそこを指摘される」ような厳しい人。最終的には、そんな父も認めてくれて、関学に送り出してくれた。

1年から試合に出場。秋の初戦は同期のQB星野秀太のターゲットにもなった

スタートダッシュに成功したが、その後は手探り

関学にはスポーツ推薦で入学した。当時はコロナ禍のため、各大学のリクルーティングが集中する地区選抜対抗の試合が行われなかったが、叔父の秀信さん伝手(つて)にファイターズへプレー動画を送った。大村監督に見てもらい、評価されて、合格することができた。

1年の春からJV戦に出場し、秋も序盤は出場機会をつかんだ。特に春の桜美林大学戦では、同期のDL前田涼太(箕面自由学園)とともに、フレッシュマンとして最初に戦列に加わった。「推薦が決まったとき、監督から『試合に出るためにはトレーニングの数値と規定体重をクリアする必要がある』と聞いていたので、オフの期間に鍛えてパスできるようにしていました。早い時期から試合に出たかったので」

スタートダッシュには成功したが、最初は手探りだった。特別に自信があったわけでもなく、とにかく地道に取り組んで力をつけることを大事にした。

しかし、2年の秋に病気を発症。その後の半年間は部活どころか、生活そのものが制限される日々が続いた。復帰後、練習への参加が許されたのは3年の春。5月ごろから徐々に練習に参加し、JV戦から出場を再開した。「頭を坊主にして復帰したんです。初心に帰って、一からやり直そうと思って」

川﨑はこのとき、ファイターズで2度目のスタートを切った。

3年の春シーズンから徐々に復帰。秋も序盤戦は出場した

甲子園ボウルの道が途切れた直後、幹部への立候補を決意

3年生だった昨シーズンは、チームに貢献できている手応えがなかったという。自分のプレーにも納得感が得られないうちにシーズンが深まり、全日本選手権の準決勝で法政大学に敗れた。川﨑はその試合の直後、幹部に立候補することを決意した。

病気の間にスタッフ的な仕事を手伝ったことで、「一歩引いた視点から組織を見ることの重要さ」に気付いたという。「選手じゃなくても組織に貢献できると感じたし、復帰後もプレーヤーでありながら組織全体を見る意識を持ってやっていました」。だからこそ、組織を引っ張る立場で最終学年を過ごしたいと考えた。幹部になった今、目指していることは「当たり前の基準を引き上げること」だという。

「去年は、序盤戦からの初歩的なミスが最後まで改善できなかったシーズンだったと思います。それが法政戦の敗因につながった。反則や集合の遅れなど、そういう当たり前をまず徹底することが、チームを強くするための第一歩だと思っています」

主将の前田や主務の大竹皓陽(4年、啓明学院)とともに「うるさい幹部になろう」と決めた。

昨秋法政に負けた瞬間、幹部に立候補することを決めた

プレーヤーとしては2~3番手だと自覚

選手としての川﨑は現在、2~3番手の立場だと自覚している。WRで1本目を張る五十嵐太郎(4年、関西学院)や小段天響(3年、大産大附)、百田真梧(3年、啓明学院)に食い込んでいくことが目標だ。

「去年までは五十嵐を〝超えられない存在〟だと、自分で勝手に思い込んでいた部分がありました。でも、それが自分の成長を止めていた。今は、同じラインに立って勝負したいと思っています」

練習で落球が続いたことで「ボールが怖くなっていた」時期もあった。それでも「この2、3週間で意識を変えた」と言い、東大戦には強い決意で臨んだ。「最初のパスは、絶対に落とせないと思っていました。練習は同じプレーで落とした悔しさがあったので、結果を出せてよかったです」

これまでは手についたボールを落球することもあったが、東大戦ではキャッチ後のランにもつなげた

QB星野秀太「いてくれるだけで助かります」

エースQBの星野秀太(4年、足立学園)とは、関東から一緒に関学へやってきた。高3夏の進路が決まり始める頃、川﨑が星野にSNSで「関学へ行くんでしょ?」と連絡したことがきっかけでやり取りをするようになった。パスを投げるQBと、パスを受けるWRというポジション柄、二人はすぐに意気投合した。星野は言う。

「自分が足立にいたときは、ランチームでパスをほとんど投げることがなかったんです。川﨑はサイズも大きいし、こういうWRが同期にいてくれると良いパスユニットをつくれるんじゃないかと思い、ワクワクしましたね」。推薦入試に合格後、2人で甲子園ボウルを観戦し「ここで一緒に戦って勝とう」と誓い合った。

川﨑が病気で苦しんでいた時期、星野はあえて連絡を控えたという。

「スマホを見るのもしんどいと聞いていたので、自分から何か連絡するより、ただ待つことが一番だと思いました。あいつが一番苦しいのはわかっていましたし、余計なプレッシャーやストレスになってしまうと思ったんで。最初、『選手はもうできひんかもしれん』って言われたんで、『別に選手ができなかったとしても、お前がいる価値はあるで』っていう話はしましたね」

3年の春合宿、川﨑は体調を考慮しスタッフ側に回った。自分がトレーニングに参加できないのに、相手に求めることの難しさに悩んでいた川﨑の話を、星野はただ聞いていた。星野と川﨑は強い信頼関係で結ばれている。

「今は副将で皆に厳しいことも言わなあかん立場ですが、川﨑は優しいんで、最後まで言い切れない時があるんです。そこは僕が助けたりして、今は一緒にオフェンスをつくっています。WRのターゲットとしては、スピードがあって高さもあるんで、DBからしても脅威やと思います。QBからしても、なんとかしてくれる安心感があります。そういう部分でも、やっぱいてくれるだけで助かりますね」

4年前に甲子園の地で誓った約束は、今年果たさなければならない。「途中で彼はいなくなりかけて、僕も去年けがをしていなくなりかけたんで。最後は2人そろって、いいワイドユニットをつくって優勝したいですね。あいつがやると決めたことは、僕も支えようと思います」

後輩にも優秀なWRが多い。彼らが活躍すれば、しっかりチアアップする姿が昨年から目立った

自分の姿勢が、そのままチームに波及する

副将としても、一人のプレーヤーとしても、川﨑は自らの存在をチームの推進力に変える必要がある。「時間は限られてるんです。だから僕が1日怠けたら、チームが1日遅れる。そう思って、毎日をやりきろうとしています」。立場上、その覚悟の熱を仲間たちにも伝える必要がある。こう決意を口にした。

「チームの〝今〟を、自分が変える。そんな責任感を持って1日1日を戦っていきたいです。自分がどんな姿勢で練習に取り組むか、それがそのままチームに波及すると思っています。今日やれることをしっかり行動に移し、日々積み重ねていく。自分のためじゃなく、チームのためにこの1年を過ごします」

ラストイヤーを迎え、精悍(せいかん)な表情がさらに引き締まった。4年前に星野と約束した「甲子園ボウル優勝」を目指す

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