陸上・駅伝

特集:第104回関東学生陸上競技対校選手権

青山学院大・折田壮太が6位入賞 けがを乗り越えて世代トップの座を取り戻すために

度重なるけがを乗り越え、復活を期す青山学院大学の折田壮太(撮影・松崎敏朗)

第104回 関東学生陸上競技対校選手権大会 男子2部5000m決勝

5月11日@相模原ギオンスタジアム(神奈川)

優勝 スティーブン・ムチーニ(創価大3年)13分32秒59
2位 デニス・キプルト(日本薬科大3年)13分35秒50
3位 ブライアン・キプトゥーブ・シューアキットゥ(麗沢大2年)13分40秒92
4位 ラファエル・ロンギサ(拓殖大3年)13分43秒99
5位 野中恒亨(國學院大3年)13分52秒93
6位 折田壮太(青山学院大2年)13分57秒12
7位 ネルソン・マンデランビティ(桜美林大4年)13分57秒67
8位 小池莉希(創価大3年)13分57秒73

関東インカレ最終日の5月11日にあった男子2部5000mで、青山学院大学の折田壮太(2年、須磨学園)が、13分57秒12で6位に入った。世代ナンバー1と評されたが、ルーキーイヤーの昨年はけがで不本意な日々を送った。箱根駅伝で活躍した同期の姿も刺激に、今シーズンは、捲土重来(けんどちょうらい)を期している。

【写真】第104回関東インカレフォトギャラリー、母校の誇りをかけて戦った主役たち
4日前に体調を崩しながらもスタートラインに並んだ(撮影・井上翔太)

34人が参加したレースは、スタート直後から縦長となりハイペースで始まった。拓殖大学のラファエル・ロンギサ(3年)と帝京大学の松井一(2年、大分東明)が先頭を引っ張る中、折田は中盤に位置取った。ほどなくして、先頭集団は國學院大學の野中恒亨(3年、浜松工業)と留学生が中心となって形成し、1000mを2分39秒で通過した。

折田は、2000m手前から動き出す。ペースを上げて徐々に順位を上げ始め、青山学院大の飯田翔大(2年、出水中央)と宇田川瞬矢(4年、東農大三)も抜いて、先頭集団の後方につくと、そのまま、野中も抜いて日本人トップに立つ。先頭が2000mを5分20秒ほどで通過後、徐々に差が広がり、折田は一人旅に。3000m手前で野中に追い抜かれるが、ズルズルと後退することはなく粘りの走りで前を追った。時々、目線を落として苦しそうな表情を見せるも、ラスト1周のスパートでペースを上げ、日本人選手では野中に次いで2位となる全体6位でゴールした。

目標は留学生に勝つこと

レース後はトラックに座り込んで、なかなか立ち上がらなかった。この日のレースプランは「行けるところまで、ついていく」。日本人トップをとったとしても、留学生に負ければ、悔しいことに変わりはない。だから、チャレンジするつもりでスタートラインに立った。「留学生に勝つことを目標にしていた中で、すぐ離れてしまったことは、まだまだ課題です。でも、日本人2位という結果でまとめられたことは、力がついているのかな、と思います」と、折田はレースを振り返った。

高校3年のインターハイ5000mで日本人トップの5位入賞を果たし、国体少年男子Aの同種目で優勝。5000mの高校歴代2位(当時)の13分28秒78をマークするなど、世代トップのランナーと目され、全国高校駅伝の1区では当時の日本人最高記録タイとなる28分48秒を記録した。多くの実績を挙げて青山学院大に進み、入学後もU20アジア選手権男子5000mで金メダル。しかし、その後は試練の日々だった。

ラストスパートをかけ日本人2位でゴール(撮影・井上翔太)

度重なるけがに泣かされた

昨年も関東インカレの同種目に出場して予選を通過したものの、決勝はけがで欠場した。日本選手権の5000mでは、30人中28位という結果に終わった。3大駅伝では、全日本大学駅伝で3区に出走して区間5位と好走したが、その後、再びけがに泣かされ箱根駅伝ではエントリーメンバー入りも果たせなかった。

今年4月の個人選手権も練習の一環として5000mに出場し、タイムは14分31秒46。満足にはほど遠い結果となった。「自分の中では自信もあったので、ショックはショックというか……。『なんでだろうな』っていう思いは、やっぱりありました」。そして、関東インカレの4日前には、胃炎を起こして救急搬送された。万全ではないコンディションの中、原晋監督に出場を直訴し、学生個人で思うような結果を残せなかったことも「引きずっていられない」と気持ちを切り替えて、レース当日を迎えていた。

國學院大學の野中(左端)の前に出て、一時、日本人トップとなった(撮影・松崎敏朗)

心の支えになった野村昭夢への感謝

けがばかりの1年間だったが、青山学院大というチームにいるからこそ、成長を実感したこともある。「意思や強い思い、スタートラインに立つまでの準備を大学に入って培ってくることができたと思います」と折田は語る。大きな心の支えになったのは、昨年の4年生から受けたフォローだった。思った通りに走れないで落ち込んでいると、その雰囲気を察してか、鶴川正也や太田蒼生(ともに現・GMOインターネットグループ)らが声をかけてくれたという。

単独走になっても後退せずに前を追った(撮影・松崎敏朗)

「何げない言葉をかけてチームの輪に戻してくれたのは野村昭夢さんです。本人は気づいているか分かりませんが、落ち込んでいる時に声を掛けてくれたことに感謝しています。うまくいかなくても、めげずにスタートラインに戻ってこられたのは、皆さんのおかげです」。同期からも、刺激を受けている。男子2部10000mには同期2人が出場し、安島莉玖(2年、大垣日大)が28分19秒81で日本人トップの4位、黒田然(2年、玉野光南)も28分24秒38の5位と、それぞれ上位に食い込んだ。小河原陽琉(2年、八千代松陰)も1500mで2位に入った。徐々に同期の活躍が目立ってきたが、折田に気負いはない。「同期の活躍が負担ではなく、すごくいい刺激になっています」

「小河原世代」ではなく「折田世代」と言えるように

今は日本選手権への出場を目指しているが、3大駅伝にも意欲を持っている。箱根駅伝で走りたい区間を聞かれた折田は迷いなく「2区」と言い切った。今年はメンバー入りを逃し、3区・鶴川の付き添いに回った経験からだという。2区の選手が権太坂や「戸塚の壁」を上り切って中継所に入ってくる姿を見て「大学生のトップランナーが嗚咽(おえつ)しながら上がってきて、走り終わった楽しそうな幸せそうな顔を見て、『死ぬほどきついだろうけど、死ぬほど楽しいんだな』と感じました」

その箱根駅伝では、小河原が最終10区に出走し、区間賞でゴールテープを切った。「やっぱり、『小河原世代』じゃなくて、『折田世代』と言えるような1年にしたいと思っています」。もがくような1年を経て同期と競い合い、さらに大きな姿となって世代トップとしての復権を目指す。

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