立命館大・加藤大登 春夏連続甲子園出場の元球児、「全員野球」はオフェンスに通ず

昨年12月の甲子園ボウルで9年ぶりの学生王者となった立命館大学パンサーズが、この春も好調だ。5月11日に甲子園ボウルの再戦となった法政大学戦に31-3で快勝。1週間後の5月18日にはこれも昨年の全日本大学選手権準決勝の再戦となった早稲田大学戦に49-0と大勝した。新戦力もあちこちのポジションで躍動しているが、ここまでの春の4試合すべてで、OL(オフェンスライン)のスターターとして出場している一人が、野球から転向して3年目を迎えた加藤大登(ひろと、3年、静岡・日大三島)だ。高3のときにはキャプテンとして春夏連続で甲子園出場を経験している。
78番が似合う男に
「新歓ボウル」として立命館大学のびわこ・くさつキャンパス内で開催された早稲田戦。試合前練習で78番を付けた加藤を見つけ、「一回り小さくなった感じやな」と思ってしまった。昨年まで78番のOLとして暴れ回った森本恵翔(けいしょう、現・富士通)は身長193cmで体重125kg。立命の78番にはその残像があるから、184cm、114kgの加藤でも少し小さく感じてしまう。

2人には高校野球経験者という共通点もあり、加藤は森本からさまざまなアドバイスを受けてきたそうだ。「いま僕が試合に出てるのは恵翔さんがいたからです。番号を受け継いだっていう言い方はちょっとおこがましいですけど、付けさせてもらってそこから頑張ろうと。まだまだ荷が重い番号ですけど、似合う男になれるように頑張ります」。試合後、加藤はそう話した。高校野球時代に大人と接することが多かったからだろう。初めて話した気がしない。独特の物腰の柔らかさがある。
早稲田戦にはOLが5人横に並ぶ右端の右タックルとして出場。森本のように相手を圧倒するようなプレーはなかったが、どっしりと構え、相手をつかまえて押していた。とてもアメフトを始めて2年少しという感じはしなかった。それでも「あんまりいい動きができなかったです。スタンツへの対応もダメだった気がします。自分がブロックにいこうと思ったときに力が入りすぎて頭からいっちゃうのが多いので、しっかりファンダメンタルを固めたいです」と振り返った。整然とした自己分析だった。

高3の春には決めた「大学ではアメフトをやってみよう」
加藤にとってこれまでの人生で一番の恩師は、日大三島高校野球部監督の永田裕治さん(61)だという。母校の報徳学園(兵庫)を20年以上監督として率いて2002年の選抜大会で優勝経験もある永田さんが、加藤が入学するタイミングで日大三島へやってきた。高1の冬、永田監督と親交のあった立命館大学パンサーズの古橋由一郎監督(当時、現・近畿大学ヘッドコーチ)が来校したときに「大学からアメフトやらへんか?」と加藤に声をかけてくれた。
そこからずっとアメフト転向が頭の片隅にあった。親と話をすると、野球を続けてほしいと言われた。だが高3の春、38年ぶりの出場となった選抜大会のころに加藤の心は決まったそうだ。「大学の野球ってめちゃくちゃレベルが高いじゃないですか。自分の実力じゃちょっと厳しいかなと。高校で全力でやれば、もう野球はいいかなって。大学では新しいスポーツ、いま誘ってもらってるアメフトをやってみようと決めました」

加藤は背番号10のキャプテンだった。外野手だったがレギュラーはつかめなかった。身長はいまより少し低いぐらいで、体重は75kgだった。選抜大会は1回戦で金光大阪(大阪)と対戦し、0-4で敗れた。加藤は代打で出てライトを守った。打席ではふわふわした感じだった。そり立った観客席が近くに感じて、みんなに見られているような気がした。結果はセカンドゴロと三振だった。
夏の選手権大会では組み合わせ抽選会で加藤が開幕戦を引き当てた。國學院栃木に3-10で負けた。加藤は足にけがを抱えていて、出場はならなかった。「全力でやったんで悔いは残ってません。選手としては試合経験も少なかったんで、キャプテンを全うすることを考えてましたね。簡単に出られるもんじゃないのに春夏連続で出させてもらって、僕にとってはめちゃくちゃいい経験になりました」

出番なく終わった甲子園ボウル
立命館にやってきて、最初はTE(タイトエンド)の練習をした。ヒットを教わり、当たり負けないように体重を増やした。9月ごろ、当時の長谷川昌泳コーチ(現・大産大附高監督)からOLへの転向を告げられた。2年生になった昨年はずっとセカンドチームにいた。出場機会はあまりなかったが、練習ではけが人の代わりにファーストチームに入ることもあって、常にファーストと同じ準備をしておく必要があった。「けがもなく終えられたし、そういうマインドを1年間保ち続けられたのはよかったと思います」

チームが9年ぶりの甲子園ボウルへ進み、加藤にとっては高3の夏以来で高校野球の聖地に戻ってきた。「甲子園ボウルは内野の土の部分が芝生になるじゃないですか。だから僕にとっては野球の甲子園とはまったく違うものに感じました。新しい甲子園を見たという思いがありました」。接戦となったこともあり、出番は回ってこなかった。
昨年の立命オフェンスは、3人の4年生OLの存在が大きかった。左タックルの森本と右ガードの木坂太一、センターの粟原亮。森本と木坂は圧倒的なサイズがあり、とにかく強かった。粟原には並外れた機動力があった。加藤は3人の背中から学んだ。「練習から1対1の勝負へのこだわりが僕らとは全然違いました。きっちり勝ち負けをつけるために、その一本に臨む。最上級生という意識もあると思うんですけど、一選手としてのすごみを感じていました」

仲間に推され、今年からパートリーダーに
アメフトには野球とは違う喜びがあると、加藤は言う。「自分だけじゃない、ってとこですね。野球は自分が打てばいい、投げて抑えればいい。決してそれだけじゃないんですけど、結果につながるのはそこなんで。アメフトは一人のラインが押したからってランが出るわけじゃない。オフェンスとして求めていくロングゲインやタッチダウンのために、フィールド上の11人がまとまって、それぞれの役割をやりきる。その結果みんなで喜べたら最高です。高校の永田先生がずっと言ってた『全員野球』の考え方が僕には染みついているので、そこはオフェンスには通じるものがあると思ってます。みんなでやれば、いい結果がついてくる」
始めて関西へやってきて、とくにカルチャーショックもなく過ごせているのは、永田監督の存在が大きい。「ずっと永田先生の(強烈な)関西弁を聞いてきたんで、まあだいたい大丈夫です(笑)」。母校にあいさつに行くと、「そんなに太ってどうすんねん」とイジられる。キャプテンになったときから、優しい言葉をかけられた記憶がない。周囲の人から「監督が褒めてたよ」と聞かされることはあったが、直接はない。だからいまも、褒めてもらえるとは思っていない。「顔を合わせて、僕からいい報告ができればそれでいいです」

OL歴は1年の9月からと短いが、仲間から推されて今年からパートリーダーに就いた。「毎日同じようなことを言ってます(笑)。責任感はより強くなってます。自分がやってないことを人には意見できないので。真剣に毎日取り組んで、後輩にも先輩にもビシッと言えるパートリーダーになります」。彼の言葉を聞いていると、高校時代にレギュラーでないながらもキャプテンになった理由がよく分かる。
取材の最後、どんなOLになりたいかと加藤に尋ねた。「ランブロックで(森本)恵翔さんみたいにゴリゴリゴリゴリ押すのを目標にしたいです。ワンヒットで吹っ飛ばすとかじゃなく、しっかり相手をつかまえて、足をかいて押していく。そういうのが理想です」。偉大な先輩たちの背中を追って、加藤のフットボール3年目が始まっている。

