陸上・駅伝

特集:第57回全日本大学駅伝

東海大学は5位通過 花岡寿哉に起きた不測の事態を、"代役"鈴木天智ら全員でカバー

東海大の最終4組を任された鈴木天智(撮影・井上翔太)

第57回全日本大学駅伝対校選手権大会 関東地区選考会

5月24日@レモンガススタジアム平塚(神奈川)
1位 中央大学   3時間50分27秒09
2位 大東文化大学 3時間51分28秒02
3位 順天堂大学  3時間51分33秒97
4位 日本大学   3時間51分57秒08 
5位 東海大学   3時間52分01秒05
6位 中央学院大学 3時間52分41秒58
7位 日本体育大学 3時間53分00秒83
----------ここまで本戦出場------------
8位 東洋大学   3時間53分12秒19
9位 神奈川大学  3時間54分45秒02
10位 明治大学   3時間55分05秒75

5月24日に開催された第57回全日本大学駅伝の関東地区選考会で、東海大学が5位に入り、12大会連続38回目の本戦出場を決めた。1組に主将の花岡寿哉(4年、上田西)を起用。力を発揮したとは言い切れない結果だったが、その後の組を走った選手たちが、しっかりとカバーした。

本番4日前から練習再開「走れるとしたら1組か2組」

前日に発表された最終エントリーには、正直驚かされた。10000mの持ちタイムがチーム内トップの花岡が、1組に入っていた。最初から突っ走りそうな中央大学についていくための作戦なのか、留学生選手や各校のエースたちが集まる最終4組までに多くの貯金を作りたいのか。ただ、大会要項には「4組に一番良い記録が期待される選手を配置する組み分けを要望したい」とある。もしかすると本調子ではないのか。チームの意図を考えながら、1組のレースを見ていた。

昨年は最終4組を走った花岡寿哉(左)、今回は1組にエントリーされた(撮影・藤井みさ)

走り終えた花岡には早速、1組起用に関する質問が飛んだ。本人によると、5月11日の関東インカレ男子1部5000mで5位入賞を果たした後、14日に発熱してしまったという。熱が下がった16日に少し練習を再開したが、今度は咳(せき)が出始め、再び休むこととなった。20日に走れるようになり、4日後の選考会を迎えた。

「うまく練習を積むことができずに、ここまで来てしまった。自分的には『走れないかもしれない』と思っていたんですけど、火曜日(20日)の練習に参加したタイミングで、監督とコーチから『まだ使う気でいるから』と言われて、走れるとしたら1組か2組ということも伝えて、無理やり合わせました」

レースは序盤から中央大の佐藤大介(2年、埼玉栄)が飛び出し、花岡もついていった。「中央大学が行くなら自分も行かなきゃと思いましたし、行かずに集団で行くなら後半の4000mぐらいから一気にペースアップして、後ろを突き放す走りをしないといけない」と花岡。1000mのペースが2分58秒に落ち着いた中盤、集団に吸収されたものの、宣言通りに5600m付近で順天堂大学の山﨑颯(4年、埼玉栄)とともに前へ出た。トップは山﨑で花岡は組4着。一緒に出走した中野純平(2年、清峰)は組13着だった。

順天堂大の山﨑颯(左)とともに飛び出し、花岡は最終的に組4着でゴール(撮影・藤井みさ)

1組終了時点で暫定3位、後ろの選手にも求められた粘り強さ

「本来であればチームのみんなに安心して1、2、3組を走ってもらって、最後の4組目を自分と(兵藤)ジュダ(4年、東海大静岡翔洋)で締めるのが、理想の形でした。それを崩してしまったので、自分は何としても組トップを取って、チームを勢いづかせなきゃいけなかった。出るタイミングは良かったと思うんですけど、後半は思うようにペースが上がらず、焦ってしまったのが最後、勝ちきれなかった要因かなと思います」

ほぼぶっつけ本番で臨んだことで、どこまで状態が戻っているのかをレース中に確かめていく必要もあった。1組終了時点で暫定3位につけ、選考会の通過には及第点と言える結果だった。ただ、より確実なものとするには、花岡自身が「簡単な戦いではない」と言う通り、出走する選手一人ひとりの粘り強さも試される展開にも思えた。

2組には檜垣蒼(9番)と水野夢大の2年生コンビが出走(撮影・井上翔太)

4組の鈴木天智「やるしかない」という気持ちで

主将の〝代役〟として、最終4組を兵藤とともに任されたのは鈴木天智(4年、一関学院)だった。花岡が20日まで思うように走れなかったことで、指導陣から「1回も外すことなく、最高の状態で練習ができていた」と白羽の矢が立ち、21日のチームミーティングで決まった。「全員に対して『本当に自分でいいのか』というのを聞いて、全員から『お前に任せるしかない』と言われました。花岡からも『頼む』と任されたので、『やるしかない』という気持ちでした」

ただ本人はこの半年間、3組を走るつもりで仕上げてきた。突然巡ってきた重責に「プレッシャーや不安があって、毎日のように吐き気に襲われて、きつい1週間を過ごしました」。本番2日前の夜には発熱もあり「アイス枕をして寝て、気合で乗り切りました。本調子じゃないのは自分だけじゃないですし、チームに悪い影響を及ぼしたくなかったので」と鈴木は明かす。

鈴木は兵藤ジュダ(29番)とともに落ち着いてレースを進めた(撮影・藤井みさ)

レースは留学生選手たちが1000m2分45秒のハイペースを作り、兵藤と鈴木はこれについていかず。ライバルチームとなる日本体育大学や中央学院大学、東洋大学の選手たちがいる日本人集団の中でラップを刻んだ。兵藤は組16着、鈴木は組23着でゴール。鈴木は「途中で頭がくらくらしたんですけど、前日より体調も良かった。最低限の走りができたんじゃないかと思います」と安堵(あんど)の表情で振り返った。

同じ失敗を繰り返さないため、最初の関門をクリア

結果発表で東海大は5番目に名前が呼ばれた。2組終了時点で暫定4位につけ、3組を終えたところで3位に順位を一つ上げていた。2組は水野夢大(2年、九州学院)が自己ベストの走りで組6着、檜垣蒼(2年、倉敷)が組15着。3組は永本脩(3年、九州学院)が組7着、竹割真(4年、九州学院)が組9着。2人とも自己ベストで、4選手中3選手が1桁着順をつかみ取った。

「特に永本と竹割は『自分を楽させてあげたい』という気持ちで走ってくれていたと思います。本当に感謝しかありません。3組までを走ってくれた6人には頭が上がらないです」と鈴木。花岡は体調不良で寝込んでいる間、「誰が走っても選考会は通過できる」という雰囲気を感じていたという。

ともに自己ベストをマークした3組の永本脩(29番)と竹割真(9番、撮影・井上翔太)

前シーズンは本戦の約2週間前にあった箱根駅伝予選会を突破できず、悪い流れのまま伊勢路に挑み、関東勢では最も低い15位に終わった。同じ失敗を繰り返さず、再び駅伝上位校の常連に引き上げるため、全員の力でまずは最初の関門を通過した。

in Additionあわせて読みたい