ホッケー

特集:うちの大学、ここに注目 2025

中央大学・山﨑悠久 部員集めでも競技力でも先頭に立つ経験者「勝つことにこだわる」

部員が少ない中、チームの先頭に立つ中央大学の山﨑悠久(撮影・松岡明希)

2025関東学生ホッケー春季リーグ男子2部の初戦、中央大学ホッケー部は相手より1人少ない10人でフィールドに立った。スポーツ推薦を採用していないチームの課題は部員不足。昨年の4年生が4人抜けたことで、当初はフルメンバーがそろっても、規定の11人に満たなかった。今季は数少ない経験者として入部した山﨑悠久(3年、学習院高等科)が、部員集めでも競技力でも先頭に立つ。

高校最後の大会「負けて終わった」ことが心残り

山﨑は双子の弟として生まれた。母の名をとり、悠久(はるひさ)と名付けられた。静岡県から東京都に引っ越し、小学生の頃はサッカーや野球に取り組んでいたが、「あまり球技は得意ではない」と感じていた。中学で陸上部に入り、長距離種目へ。豊島区の大会で3位以内に入ってメダルをもらえたことがうれしくて、努力を重ねた。最後の大会でも3位入賞を果たし、陸上はやり切ったという気持ちが強かった。

高校では「チームスポーツをしたい」という思いに加えて「新しいことに挑戦したい」という思いもあった。初心者から始められるスポーツを探し、ホッケー部からの勧誘に心をひかれて入部。ホッケーはシュート時のボールスピードが時速150キロに迫り、地上で一番速いスポーツと呼ばれることもある。1クオーターあたり15分で、攻守が目まぐるしく変わるスピード感も魅力的だった。

初心者から始められるスポーツを探した結果、高校でホッケーと出会った(本人提供)

ただ始めた当初は、空振りしてしまうことも多く、つまらないと感じたこともある。もともとは高校3年間で競技生活を終えるつもりだったが、練習するたびに上達したことで、気づけばホッケーの虜(とりこ)になっていた。「高校の最後の大会で負けちゃったんだよね。引退した後はずっと、負けて終わったことが心残りで。ちょうど同じ部活があるっていうのを(中央大学)入学前ぐらいに知って。大学では勝って終わりたいなと」。自らInstagramでホッケー部の新歓アカウントにDMを送り、入部を決めた。

大学でも部活動を続けることには不安もあった。だが、学年の壁を越えて闊達(かったつ)に議論し合うホッケー部のスタイルは、山﨑にぴったりだった。数少ない競技経験者として実践的なアドバイスを求められることもあり、チーム内での信頼感も高まっていった。

忘れられない昨年主将の言葉「このチームで戦えてよかった」

2年の秋、チームに試練が訪れた。2部で最下位となり、3部との入れ替え戦に回った。2021年秋に先輩たちが手にした2部の座を、明け渡すわけにはいかない。相手は3部1位で勢いに乗る筑波大学。攻め続けたが、0-0でSO(シュートアウト)戦にもつれ込んだ。

数少ない競技経験者としてプレーで引っ張っている(提供・MY HOCKEY)

サッカーのPK戦にあたるSO戦で、1人目は両チームとも外した。中央大学の2人目は山﨑。緊張感漂う場面だったが、意外にも冷静に、ゴールだけを見つめることができていたという。試合展開を読んだ上で、万全の準備をしてきたからだ。

「点を入れられないことが、ずっとこのシーズンの悩みで。1カ月前ぐらいからSO戦になるんじゃないかっていう我々の読みがあった。だから練習の最後10分ぐらいは、必ずこの練習をやっていたんだよね。ひたすら練習してきたから、実戦でそれを出せば決められると思っていた」。山﨑は見事にゴールを決め、5人目を終えた時点で3-3。サドンデスに突入した。

中大は中学生の頃からホッケーをしてきた当時の4年生エース、相磯匠に6人目を託した。「この人で負けるならしょうがない」と周囲に言わせるほど、信頼は厚かった。緊張の場面をしっかりと決め切り、2部残留を決めた。山﨑は赤土正透主将(当時)が口にした「このチームで戦えてよかった」という言葉が忘れられない。「つらいシーズンだったんだけど、4年生に勝って終わってもらいたかった。今まで2部で戦えた、この瞬間は先輩たちのおかげだから。安堵(あんど)の気持ちが大きかった」と顔をほころばせた。

苦しみながらも2部残留を決めて喜ぶ中央大学ホッケー部の選手たち(提供・MY HOCKEY)

やれることは全部やってみた新歓活動

新チームとなり、山﨑たちには「勝てるチーム作り」が課せられた。だが、深刻な悩みは部員不足。2~4年生のうち、選手は9人しかいなかった。スポーツ推薦がないからこそ、春の新歓で他のサークルに交じりながら、選手やマネージャーに入部してもらわなければならない。

少しでも興味を持ってもらうため、選手たちにも「新歓担当」を割り振り、知恵を出し合った。「コミュニケーション不足があったんじゃないか」「新入生にDMで体験会の宣伝をしてみた方がいいのかな」「やっぱりご飯会の開催が大事なんじゃないか」。SNSもみんなで更新した。「英語のスピーキングの授業でCanvaを使ったことがあって。これSNS投稿にも使えるんじゃないかと思ったんだよね」とやれることは全部やってみた。

4月13日の関東春季リーグ初戦。新入部員は1人しか集まらず、規定よりも1人少ない10人で挑まざるを得なかった。しかしここでめげず、その後も真摯(しんし)に新歓活動と向き合った。現在は選手が13人、マネージャー3人で活動している。

山﨑は3年で幹部となり、自身のプレー以外にも考えることが増えた。昨年は春秋を通じて2勝9敗だった悔しさをバネに、勝ちにこだわる。「試合で勝つことが目的だったんだけど、みんな練習をやること自体が目的になっていた。19時~21時とか夜遅くの練習で、埼玉県の飯能までの移動時間もかかる。きついというのもあるんだけど、練習に来ることが目的になっている感じがすごくしていて。勝つことにこだわるのが今年の大きな目標」と決意は固い。

3年生で幹部になり、自身のプレー以外で考えることが増えた(撮影・松岡明希)

「僕は5年間ホッケーをやっていて、やっぱり楽しいから続けられてきたっていう側面もある。個人の体格差にあんまり依存しない、このホッケーというスポーツが面白いと思っているから。みんなにもホッケーについて考えて、好きになってほしい」。真っすぐな目で山﨑は語る。今春も苦しい戦いになっているが、チームを勝たせるために、プレーでも取り組む姿勢でも引っ張っていく。山﨑のホッケー愛から生まれるシュートで悠久の歴史を刻みたい。

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