関西学院大が3位で伊勢路へ 昨年はマネージャーの主将とエース山下慶馬の力が融合

第57回全日本大学駅伝対校選手権大会 関西地区選考会
6月1日@ヤンマーフィールド長居(大阪)
1位 関西大学 4時間03分37秒03
2位 大阪経済大学 4時間04分38秒26
3位 関西学院大学 4時間04分50秒06
----------ここまで本戦出場------------
4位 京都産業大学 4時間05分09秒05
5位 立命館大学 4時間07分06秒08
6位 龍谷大学 4時間10分29秒19
7位 京都大学 4時間17分37秒57
8位 摂南大学 4時間17分46秒76
9位 同志社大学 4時間19分50秒51
10位 神戸大学 4時間21分43秒16
11位 大阪大学 4時間22分16秒55
近畿大学は途中棄権などがあり順位はつかず
6月1日にヤンマーフィールド長居(大阪)で開催された第57回全日本大学駅伝の関西地区選考会で、関西学院大学が通過ラインぎりぎりの3位に入り、2大会ぶり14回目の本戦出場を決めた。出走した10人の中で4年生は1人だけ。3年生主体のチームは、次回以降も連続出場を見据える。
5秒差で通過を逃した悔しさから、選手に復帰
前回の伊勢路本戦での結果を受けて、今回は関西地区の出場枠が4から3となった。1枠少なくなった中、昨年の丹後駅伝で優勝した京都産業大学や24大会連続出場を続けていた立命館大学、前回トップ通過の関西大学などが争った。関西学院大は4枠だった前回、通過まで約5秒及ばず、雪辱に燃えていた。
1組には尼子和磨(1年、岡山商大附)と合川歩輝(3年、智弁和歌山)が出走。立命館大の倉橋慶(4年、智弁学園奈良カレッジ)が早々に飛び出し、後ろに有力校の選手たちで形成された集団が続いた。徐々に倉橋のペースが落ち、立命館大の茶木涼介(4年、立命館守山)が6000m過ぎに飛び出していった後も、2人は集団で力をためた。終盤になって尼子が遅れ始めたが、合川は最後まで粘り組6着。尼子も組8着に入った。

2組に唯一の4年生として、主将の山本雅也(4年、小豆島中央)が起用された。橋口孟史(2年、千種)と山本聖琉(1年、智弁学園奈良カレッジ)の後輩2人と出走し、関大勢の3選手が序盤の1000mを2分台で刻むペースにも、「焦らず、レースの状況を把握しながら、後半に上げていこう」と冷静だった。第2集団に位置取り、迎えたラスト1周は「もう何も考えず、がむしゃらにがむしゃらに。無我夢中で走りました」と山本。最後まで絞り出し、組4着でフィニッシュすると、小さく右拳を握った。「1秒を稼ぐ走りで、結果的には40秒ほど自己ベストを更新しました」と笑った。
山本は2大会前の全日本大学駅伝で16人のエントリーメンバーに入ったものの、メンバーエントリーでは補員にも入れなかった。もともとケガが多く、一昨年の全日本後も続いたことから、昨年のこの時期はマネージャーだったという。選手たちのタイムを取るといった業務をしながら「去年の今頃はここで応援していました」。選手復帰を決めたきっかけは、その時に味わった悔しさだった。5秒差で本戦出場を逃し「自分たちの代では、自分が走って全日本出場に貢献する。キャプテンも務める」。宣言通りとなった。

山下慶馬「4年生のためにも頑張りました」
冨永己太朗(3年、加藤学園暁秀)と片山堅友(2年、洛西)が出場した3組を終えた時点で、チームは暫定5位。3位の京産大とは14秒差がついていた。ただこの途中経過は、これまでに走った選手の10000m平均タイムで順位がつけられており、最終的には各校上位8人の合計タイムが正式順位となる。最終組での逆転も十分にあり得た。

「山本さんが必死に食らいついていたので、何とか伊勢路に連れていってあげたい。4年生のためにも頑張りました」と言うのが、最終4組を託されたエースの山下慶馬(3年、報徳学園)だ。
5月4日の関西インカレ男子1部10000mを制し、持ちタイムも28分台の山下。高校の後輩でもある大阪経済大学の岩坂蓮太(2年、報徳学園)らとともに、スタート直後から飛ばしていった龍谷大学の伴遼典(4年、石部)を追った。2000m過ぎで伴をとらえると、4000mを過ぎてからは山下、岩坂、同志社大学の南部悠陽(3年、同志社香里)との三つどもえに。寺川直央(3年、高輪)、嘉味本謙信(3年、郡山)の2人も京産大の選手たちと激戦を繰り広げた。
山下は組3着、寺川が組8着、嘉味本が組12着でフィニッシュ。京産大を19秒上回り、閉会式では3位で学校名が呼ばれると、部員たちが詰めかけていたスタンドから歓声が上がった。

山本雅也主将「来年はこのメンバーから僕しか抜けない」
山下によると、今年のチームには4年生が2人しかいない。確かに主力は3年生以下の選手たちだが、今回の選考会を通じて「チームを引っ張っていくのは、やっぱり4年生だと思います」と言った。それだけ2組を走った山本の走りに刺激を受けたのだろう。
山本は主将就任当初、チームをまとめあげるのには苦労したと振り返る。「もともと人にガツガツ言えないタイプなので、『山本さんがキャプテンだから楽してもいい』みたいな雰囲気がありました。僕はもうちょっと厳しくしたかったんですけど……」。慕ってくれるのはありがたいが、それが本当に選考会通過という大きな目標につながるのか、疑問に感じることもあった。そこで山本はチームに「メリハリ」を意識付け、「だべるときは、だべってもいいけど、ちゃんとするときはやろう」と根気強く言い続けた。

一つの結果を残し、今では「頼もしいですね」と後輩たちを優しく見つめる。「来年はこのメンバーから僕しか抜けないんで、ぜひ関大さんにも勝ってもらいたいです」。一時はマネージャーとしてチームを支えたキャプテンが、信頼を寄せる後輩たちとともに、伊勢路で襷(たすき)をつなぐ。
