青森大学・須藤竜童「俺の出番が来た!」"クレイジー軍団"を率いる応援団長の素顔

「クレイジーにやろう」。今春、5季ぶり38度目の北東北大学野球リーグ優勝、そして17年ぶりの全日本大学野球選手権出場を決めた青森大学の合言葉だ。それを体現したのはメンバー入りした選手だけではない。須藤竜童(3年、東京成徳大高)は応援団長として奇抜な応援を先導し、スタンドで「クレイジーさ」を存分に発揮した。プロ野球選手を目指していた右腕が、オールバックにサングラス、タンクトップという独特ないでたちで球場に現れるまでの軌跡をたどった。
実家の「焼き鳥丼」を食べて大きく育ち、中高でエースに
須藤は日本で生まれたが、小学2年までは料理人兼画家の父・隆太さんの故郷である中国で過ごした。野球と出会ったのは中国の日本人学校に通っていた頃。隆太さんとキャッチボールをした際に肩の強さを自覚し、白球を追い始めた。
小学3年からは東京都葛飾区に移り住み、少年野球チームに入った。当時は練習を終えると、実家であり両親が営む居酒屋である「焼き鳥はーばーど(翔鳥)」で夕食を取るのが日課だった。秘伝のタレを使った焼き鳥丼が一番のお気に入りで、毎晩かきこむうちに体が大きくなっていったという。須藤は「こう見えて帰国子女ですけど、地元は葛飾です」と胸を張る。

中高時代は投手か一塁手を務めることが多く、いずれも最終的にはエースナンバーを背負った。東京成徳大高では3年春の春季東京大会で創部初の8強入りに貢献。最後の夏もチームを東東京大会5回戦まで導いた。
マウンドで雄たけびを上げながら投げる、気迫あふれる投球スタイルが持ち味。もともと吠えるタイプだったといい、中学生の頃、甲子園で躍動した創志学園(岡山)のエース・西純矢(現・阪神タイガース)に憧れ、そのスタイルに拍車がかかった。

2年時まで公式戦登板なし、突然訪れた"団長就任"
気迫の投球に一目ぼれした青森大の三浦忠吉監督に明治神宮野球場で声をかけられ、関東の複数の大学からも誘いを受ける中、プロ入りを目標に地元を離れる決断を下した。
高校3年の11月に右ひじを手術した影響で、大学1年の夏ごろまではリハビリ生活が続いた。復帰後も投げては痛めることを繰り返し、2年時まで公式戦登板なし。「高校生の頃は自信もあったので、入学したばかりの時期はプロになれると思っていました。けがを治して2年生から投げられればいいなという気持ちでいましたけど、周りのピッチャーを見ていたら『簡単じゃないな』と。気づいたら球がいかなくなってしまって……」。思い描いていた日々から遠ざかっていった。

そんな中、今年4月、応援団長に就任した。角野快斗コーチからのサプライズ指名に驚いたが、「自分を団長にしたことを後悔させるくらい暴れてやろう」と気合が入った。「馬鹿になる」術は高校で身につけていたため「クレイジー」が新チームのテーマになった際は「俺の出番が来た!」と燃えた。
「誰かの二番煎じになるのは嫌だし、団長がなめられてはいけない」と独自のファッションを確立。一方、「普段は真面目」と自負する性格の通り、一人ひとりに希望の応援歌を聞いて、そのモデルとなる動画を探すなど、応援の練習や準備にも時間を費やした。独特な歌詞やかけ声を交え、観客の目を引くような応援を作り上げた。

長井俊輔主将も感謝「本当に力になりました」
須藤は「正直、自分ではあまり応援している感覚はないんです」と話す。しかし、八戸学院大学との開幕戦に敗れた後、「嫌々応援しているやつが一人もいない。負けたのは選手なのに応援団も悔しがっていて、良いチームだな」と胸が熱くなった。翌日も午前5時に青森を出発。約3時間半かけて応援に駆けつけ、チームの今春初勝利をお膳立てした。
そこから怒濤(どとう)の9連勝で頂点に立った。須藤は最終週の初戦を終えた段階で優勝を確信。その日のうちにバズーカやクラッカーを買いに走った。優勝の瞬間はフェンスをよじ登って喜んだ。主将の長井俊輔(4年、横浜創学館)が「ヒヤヒヤしながらもすごいなと思って見ていました。応援が本当に力になりました」と振り返ったように、須藤主導の応援団が青森大を勢いづけたのは間違いない。
もちろんプレーヤーとして、球場で投手陣が活躍する姿を目にし「かっこいいな。自分もあそこに立てたらな」と思うこともあった。それでも、今春は自身に求められた役割を全うした。須藤は「結果的にピッチャーより自分の方が目立っていたので、楽しかったです」と笑う。

母が倒れ野球とバイトを両立、大学選手権で凱旋へ
2年前の冬、母の幸子さんが倒れた。ステージ4の大腸がんだった。「青森で野球をしている場合ではない」との考えも頭をよぎったが、道半ばで夢を捨てるわけにはいかなかった。「俺も頑張るから、頑張ってくれ」。そう励まして遠く離れた地で野球に打ち込んだ。
昨冬からはバイトを始め、実家からの仕送りを断ってバイト代で生活費をまかなうようになった。「ここまで野球をやれているのは両親のおかげ。お金を少しでもお母さんの治療費とかに充てて欲しかったので」。優勝を決めた日も、数時間後にはオールバックを保つ整髪料を落として居酒屋で働いた。
これまで公式戦のマウンドには立てておらず、プロ入りの夢は諦めた。だが幸子さんは奇跡的に回復を遂げ、応援団長としての活躍を「すごいね」と喜んでくれている。地元・東京で開催される全日本大学野球選手権では、スタンドでその雄姿を目に焼き付けてもらうつもりだ。
「新しいパフォーマンスも採り入れつつ、他の人がやっていないような応援をして騒ぎたいです。あと『焼き鳥はーばーど』の宣伝も忘れません」。初戦は6月9日、東京ドームでの東海大学戦。心優しき応援団長が、クレイジー軍団を引き連れ凱旋する。
