東北福祉大・滝口琉偉「幼かった」1年時を経て、4年越しに大観衆が見守るマウンドへ

かつて150キロの速球で甲子園を沸かせた男が、最速155キロ右腕となって4年ぶりに全国のマウンドへ帰ってくる。東北福祉大学の滝口琉偉(4年、日大山形)。今春はリリーフでチームトップタイの5試合に登板し、何度もピンチを救って仙台六大学野球リーグ優勝に貢献した。6月10日に初戦を迎える全日本大学野球選手権でも、「無失点が最低条件。(球速の)マックスも更新したい」と活躍を誓う。
甲子園で計測した150キロは「注目されたがり」のたまもの
「大観衆の中で投げたい。人に見られている方が良い投球ができるんです。注目されたがりなので」
3年前、当時はリーグ戦未登板の1年生だった滝口が、取材でそんなことを口にしていた。高校3年の夏に出場した全国高校野球選手権大会では、3回戦の石見智翠館戦で150キロを計測。その夏の山形大会までの最速は146キロで、甲子園で投げるたびに自己最速を更新し、最後に大台を突破した。大観衆が見守る聖地で「注目されたがり」の本領を発揮した瞬間だった。
滝口はさらに、「全国大会に出てこそのプロ野球だと思う。神宮に行って、勝って、プロ野球選手になりたい」とも意気込んでいた。高校時代は甲子園で名前を売り、プロ志望届を提出したが、指名漏れ。悔しさを味わったからこそ、プロへの思いが強くなった。明るい未来を夢見る滝口の目には、希望と情熱が同居していた。

リハビリ期間中に学んだトレーニングや解剖学
しかし、大学で表舞台に姿を現すまでには時間を要した。一昨年の7月に以前から痛めていた右ひじを手術。リハビリ生活が続き、大事な大学2年目を棒に振った。
「高校である程度実績を積んで入ってきたので、早い段階から投げたいという気持ちがありました。堀越や櫻井がリーグ戦で投げているのを見て、嫉妬したというか、悔しかったです」。同期の投手陣では堀越啓太(4年、花咲徳栄)が1年春に全国デビューを果たし、櫻井頼之介(4年、聖カタリナ学園)も2年秋から先発ローテーションに定着。大観衆の中どころか、マウンドにさえ立てない日々がもどかしかった。
それでも腐らなかった。滝口は「あのけががあったから今の自分がいる」と断言する。リハビリ期間中にトレーニングや解剖学に関する知識を蓄え、それらを応用して球速や投球フォームを安定させるための練習法を編み出した。「何を練習すればいいか分からず、提示されたメニューをこなすだけだった」という1年時の自分を「当時は幼かった」と言えるほど、野球に対する考え方や向き合い方が変化した。

嫌なムードを断ち切る投球とパフォーマンス
昨年に復帰し、3年秋にようやくリーグ戦デビューを飾った。初登板となった東北大学戦では150キロ台を連発し、三者連続三振に仕留める圧巻の投球を披露。ウェートトレーニングの効果で体も一段と大きくなっていた。滝口はこの時も「けがをしてしまったけど、自分と向き合ってやるべきことをやってきました」と胸を張っていた。
そして迎えたラストイヤー。オフシーズンから例年以上に練習量を増やし、コンディションが万全ではなかった春先はBチームで調整した。その間はこれまで経験していなかった先発登板や連投を経験。球速を意図的に抑え、本来のスタイルである「三振を取りにいく」抑え方以外の投球術も身につけた。
リーグ戦では引き出しの多さを見せつつ、再び150キロ台を連発して打者をねじ伏せた。4月下旬に行われた社会人チームとのオープン戦では、昨年までの最速を1キロ上回る155キロをマーク。けがや投球の試行錯誤を経て、豪速球に磨きがかかったのは明らかだった。
また今春はマウンド上で感情を爆発させ、雄たけびを上げながらベンチに戻るシーンが目立った。「もともとクールな人間ではないので、元気を出そうと。自分が投げて、抑えて、声を出して、チームに流れを作りたい」。実際に接戦を制した東北学院大学戦や仙台大学戦では、滝口が嫌なムードを断ち切る投球とパフォーマンスを見せた後、試合が好転した。

堀越啓太や櫻井頼之介に対し、もう嫉妬心はない
優勝を決めた5月25日の仙台大2回戦。2点リードの九回1死の時点で隣にいた堀越が目を潤ませ始め、つられて滝口のほおにも涙が伝った。3アウト目を取ったと同時に「やっと全国に行ける」と喜びをかみ締め、人目をはばからず泣いた。
今はもう、堀越や櫻井に対する嫉妬心は消えた。滝口は「2人はライバルというより、認めている相手。負けたくない気持ちもありますが、お互いに成長したい。何よりピッチャー陣を一つのチームとして考えた時に、『自分のためよりもチームのためのピッチングをしたい』という思いが強くなりました」と話す。大学選手権でもそのスタンスを貫くつもりだ。
一方、現段階での進路は「神宮(大学選手権)次第」。夢の実現へ向けたアピールの機会にもなる。高校3年時のドラフトで指名漏れした直後、東北福祉大のグラウンドを訪れ「4年後、絶対にドラ1でプロに行く」と心に誓った。その時描いた青写真には、もう一度全国の舞台で輝く自身の姿があった。いざ、大観衆が見守る神宮のマウンドへ向かう。

