早稲田大が「怒濤の5連勝」で3連覇、エース伊藤樹のノーヒットノーランから始まった

今年創設100周年を迎えた東京六大学野球連盟は、早稲田大学が春のリーグ戦で通算49回目の優勝を決めた。昨年は決勝で青山学院大学に敗れた悔しさを胸に、6月9日に開幕する全日本大学選手権へと挑む。
今春は何度も優勝に「黄色ランプ」がともった中でたどり着いた頂点だった。明治大学との2回戦から始まった「怒濤(どとう)の5連勝」の裏側に迫る。
偉業達成翌日も救援、5試合連続登板でチームに貢献
徳俵に足がかかってから、押し返してのリーグ戦3連覇。昨秋の再現になった明大との優勝決定戦を制すと、早稲田大の小宮山悟監督は「怒濤の5連勝でした」と胸を張った。
始まりは4月19日の明大2回戦だ。負ければ優勝の可能性が消滅するこの試合、エースの伊藤樹(4年、仙台育英)がノーヒットノーランの偉業をやってのけた。東京六大学リーグ史上26回目。打者32人に対し、11奪三振、5四死球という内容だった。
「いつも通り丁寧に投げた結果です」。試合後の伊藤は普段と変わらず、淡々と語っていたが、実は2日前に風邪をひき、体調が万全ではなかった。それでも、接戦にもつれ込んだ翌日の3回戦もマウンドへ。九回1死から救援すると、ここでも相手に安打を許さない好投で勝利を呼び込んだ。

チームは伊藤の投球で優勝戦線に残ったが、予断を許さない状況は続いた。最終週の早慶戦で1敗でもすると、明治大の優勝が決まってしまうのだ。
エースはこの厳しい状況でも八面六臂(はちめんろっぴ)の働きをした。1回戦では雨でぬかるんでいたマウンドに対応し、8回を2失点。悪条件の天候にも「自分と戦うことなく、バッターに集中すれば何とかなると思っていた」と冷静だった。
クロスゲームになった早慶2回戦は九回2死から登板。ヒットを打たれれば同点という難局を乗り切った。決して状態は良くなかったが、最後は空振りやフライアウトの確率が高いカットボールを選択。意図したボールを意図したところに投げ、意図した通りにファーストフライに仕留めた。
5試合連続登板になった優勝決定戦では、三回に5点を失うも、それ以外はスコアボードにゼロを並べた。早大の3連覇が決まると、冷静沈着な伊藤の目に涙がにじんだ。今季、伊藤は昨秋に続く6勝をマーク。公式記録にカウントされない優勝決定戦の1勝を合わせれば7勝だ。大エースなくして「怒濤の5連勝」はなかった。
3連覇は伊藤が早大のエース番号「11」を背負った昨春から始まった。この3シーズンで積み上げた勝ち星は15(敗戦はわずか1)。3連覇もまた、伊藤なくしては成し得なかったと言えよう。
ただ、抜群の制球力と投球テンポの良さを誇るエースも今季は苦しんだ。1イニングあたりの球数を見ても、昨秋は約14.5だったが、春は15.5。他校に徹底的に研究されていた証しでもあるが、エースはそれを上回る投球でチームを優勝に導いた。
3連覇が決まった後、伊藤はいつもの静かな口調でこう言った。
「一人ひとりのバッターに集中して投げていた結果、5試合連続登板になりましたが、こうやって優勝まで何とか投げ切れたのは本当に誇りに思います」

小宮山悟監督「勝敗は準備で99%決まる」
春の早大は伊藤をはじめとする投手陣が踏ん張り、失点はリーグ最少の45。一方、得点もリーグ最多の83と攻撃陣も存在感を示した。3番を打った主将の小澤周平(4年、健大高崎)はリーグ4位の打率をマーク。二塁手部門で初のベストナインに選出された。
小澤は2カード目の法政大学戦から話題の「魚雷バット」を使用して注目を集めた。ただ、東京大学との開幕カードは体調を崩していた。「実は開会式の選手宣誓の時も足がふらふらで……」。早稲田の背番号10を背負って3連覇に挑戦する重圧もあったのだろう。
「プレッシャーはあまり感じないタイプなんですけど、去年のチームが良かっただけに(シーズン通して)多少はあったかもしれません」
小澤は昨年の春秋連覇もレギュラーとして経験しているが、主将としての今回の優勝は「人生史上で一番うれしかったです」と誇る。小宮山監督からは常日頃、「(チームとして)準備を大切にしろ」と言われているという。怒濤の5連勝は、想定しうる準備ができていたたまものだ。

小宮山監督は「大学野球レベルなら勝敗は準備で99%決まる」と考えている。
「大学レベルまでたどり着いた選手であれば、見たこともないプレーは絶対にないと思うんです。ならば、相手の投手が150キロのボールを投げると事前に分かっていたら、それにどのようにアプローチして、どう対応するかという話なので。準備ができていれば、レベルが高い連中なので、あとは普通にやれば勝てるのでは。そういうことです」
他方、「普通にやる」のは簡単ではない。本番では様々な心理が影響するからだ。早大の選手たちは「普通にやる」ために、練習グラウンドの「安部球場=神宮」という気持ちで普段の練習に励んでいる。安部球場で球際に迫れなければ、神宮でも球際に強いプレーはできない。
石郷岡大成(4年、早稲田実業)が優勝決定戦の最終回に見せたライトからの好返球も、その積み重ねだろう。返球がそれていたら、同点に追いつかれていた。
特別な試合になった優勝決定戦
優勝決定戦で逆転の2点適時打を含む4打点をマークしたのが寺尾拳聖(3年、佐久長聖)だ。昨秋までリーグ戦通算2安打だったが、春の開幕戦から4番に抜擢(ばってき)されると、4割を超えるリーグ3位の打率をマーク。打点もリーグ2位の15打点をたたき出し、満票で初のベストナインにもなった(外野手部門)。
勝負強い寺尾は「ガッツマン」でもある。明大1回戦では外野の飛球を追って、センターの尾瀬雄大(4年、帝京)と衝突。大量の鼻血を流して担架で運ばれた。2回戦の出場が危ぶまれていたが、翌日もスタメンに名を連ねると、9回にサヨナラ打を放ち、伊藤の偉業達成をアシストした。

ところで、早大が3連覇を決めた優勝決定戦は「特別な試合」でもあった。前日の3日に立教大学のOBで、在学時に当時の通算本塁打記録(8本)を樹立し、「ミスタープロ野球」と呼ばれた国民的ヒーローの長嶋茂雄氏(読売ジャイアンツ終身名誉監督)が死去。神宮球場には半旗が掲げられ、立大ナインが右袖に喪章をつけて行進した。試合後の閉会式では、全選手が黙禱(もくとう)を捧げた。
早大の伊藤は2003年生まれ。長嶋氏がユニホームを着ていた時代は知らない。しかし、東京六大学の先輩である長嶋氏に追悼の意を示した。

「今日の優勝決定戦は平日にもかかわらず、これだけのお客さん(公式発表1万6千人)が来てくれたのも、長嶋さんが東京六大学の人気を高めてくれたから。本当に感謝しなければならないですし、長嶋さんのことをもっとよく調べて、(自分自身の)次のステージにつなげていきたいです」
2季連続となった明大との優勝決定戦に競り勝ち、リーグ3連覇を遂げた早大。しかし春のシーズンはまだ終わっていない。昨年、決勝で敗れた全日本大学野球選手権で、必ずや大学日本一の称号をつかみ取る。
