名城大・細見芽生が日本人トップの2位 落ちたメンタルを立て直してくれた母親の言葉

第94回 日本学生陸上競技対校選手権大会 女子10000m決勝
6月5日@JFE晴れの国スタジアム(岡山)
優勝 サラ・ワンジル(大東文化大3年)31分48秒44=大会新
2位 細見芽生(名城大1年)33分23秒46
3位 野田真理耶(大東文化大3年)33分23秒77
4位 白川朝陽(筑波大2年)33分24秒17
5位 石松愛朱加(名城大4年)33分28秒35
6位 三宅優姫(拓殖大2年)33分32秒90
7位 村山愛美沙(東北福祉大3年)33分35秒17
8位 前田彩花(関西大3年)33分46秒50
6月5日の日本インカレ初日に開催された女子10000m決勝で、名城大学の細見芽生(1年、銀河学院)が日本人トップとなる2位に入った。4月下旬にあった学生個人選手権も同種目で2位。結果は同じでも、意味合いは異なるようだ。
中盤は日本人集団を引っ張り、スプリント勝負を制す
31選手が出走したレースは、1周目のバックストレートで早くも大東文化大学のサラ・ワンジル(3年、帝京長岡)がリードする展開。2021年に大東文化大の鈴木優花(現・第一生命グループ)が打ち立てた大会記録(32分04秒58)を上回るペースで独走態勢を築いた。2位以下の日本人集団は、立命館大学の土屋舞琴(4年、興譲館)が先頭を引き、1周約80秒ほどのペースで周回を重ねる。土屋が給水を取りにいったところで集団の真ん中あたりに下がり、中盤からは細見や筑波大学の臼井瑠花(1年、上水)といったルーキーたちが集団を引っ張った。

2位集団の5000m通過タイムは17分ちょうど。有力選手の資格記録は33分台のため、後半になってペースアップが予想された。7000mを過ぎたところで拓殖大学の三宅優姫(2年、流通経済大柏)が抜け出すと、集団が徐々に縦長に。細見は三宅にしっかりとついていき、すぐ後ろには名城大の先輩・石松愛朱加(あすか、4年、須磨学園)がついた。「スタート前、愛朱加先輩から『名城で表彰台に上がろうね』と声をかけていただきました。モニターを見たときに愛朱加先輩がいらっしゃったので、頑張ろうという活力になりました」と細見は振り返る。
8000m通過時点で日本人トップ争いは7人。残り4周で筑波大の白川朝陽(2年、大塚)が前に出ると、学生個人選手権女子10000m優勝の関西大学・前田彩花(3年、愛知)が遅れ始め、6人に。このままラスト1周を迎えた。集団の2番手にいた細見は残り200mで白川をかわし、大東文化大・野田真理耶(3年、北九州市立)とのスプリント勝負を制した。

記録が出るにつれて、目標がどんどん高くなっていた
初めての10000mレースだった学生個人選手権で2位となり、7月にドイツで開催されるFISUワールドユニバーシティゲームズ日本代表にも選ばれた細見。この1カ月間ほどは、ポイント練習以外のところを特に意識してきた。「ジョグの質を高めるところを個人的には意識していました。高校の頃から比べて距離が伸びているので、各自ジョグのときに『距離は踏むけど、ゆっくりになってしまう』というところがあったんです。今は『距離を増やしても、キレとリズムがいいジョグ』というのを心がけています」
10000mで世界の舞台に挑戦するため、順調に成長を遂げている細見だが、今回のレースの1週間前には少し体調を崩してしまったという。「風邪を引いてしまって……。一時はそこから立て直したと思ったんですけど、無理に早く復帰しすぎてしまって、最後にやらなければいけないポイント練習が全然できなかったんです」
メンタル面でも落ち込んでしまった。「レース間近なのに、自分は何やってるんだろうって……」。3日前ぐらいまでは、レースに出るかどうかも迷っていた。

本番までに立て直せたのは、周囲の支えがあったからだ。米田勝朗監督やチームメート、家族から数々の励ましの言葉をもらった。特に母親からの言葉は、細見の胸に響いたという。「『見ているところが高すぎる。1歩ずつ上がっていけばいい』とか、『初心に戻って、芽生は楽しく走ることが一番じゃないの?』と言ってもらいました」。それまでの細見は記録が出るにつれて、知らず知らずのうちに「絶対に日本人トップ」など、目指すべき目標がどんどんと高くなっていった。「1歩前を見ればいいところを2歩、3歩前を見ていて。チャレンジャー精神をいつの間にか忘れていたところがありました」。それに気付かせてくれたのが、母親だった。

「少しでも新しい1歩を踏み出せる大会に」
「チャレンジャー精神」は今回のレースでも発揮されていた。直前になって練習が思うように積めていないことには、不安もあった。だが、その分「何も出し切らずに終わるよりは、1回でも前に出て『10000mのレースを初めて引っ張ったぞ』と。少しでも新しい1歩を踏み出せる大会にしたかったので、思い切って前に出たら、自分のリズムを作れました」。中盤に日本人集団を引っ張ったのは、それまでの重荷を下ろして、気楽に臨めた結果でもある。
学生個人選手権のときは「2番以内」を意識し、他の選手たちの力も借りて、どこまで行けるかを考えていた。順位は当時と同じでも、レースの展開や「悪い状況でもしっかりまとめられた」と言う内容は、まるで違う。
普段の練習からポジティブな声かけをして、前向きに取り組むことが信条だ。その姿勢が浸透していったとき「チームに貢献できているかなと思えます」と細見。その心がけは、きっと世界の舞台に立ったときも、秋以降の駅伝シーズンを迎えたときも、自分の力を出し切る上で役に立つだろう。

