アメフト

関西大LB武野公太郎 弟が入った関学と甲子園ボウルで戦い、ラストイヤーに日本一を

関学戦の敗戦をかみしめる関西大学のLB武野公太郎(10番、すべて撮影・篠原大輔)

関西大学と関西学院大学のスポーツ対抗戦である「第48回総合関関戦」が開催中だ。2月のスキーに始まり6月15日まで、お互いのプライドをかけた熱戦を繰り広げる。アメリカンフットボールの関関戦は前哨戦の一つとして5月25日に神戸・王子スタジアムであり、関学ファイターズが関大カイザーズを17-9で下した。負けた関大だが、五つのターンオーバーを起こしたディフェンス陣の奮闘が光った。中でもLB(ラインバッカー)の武野公太郎(たけの、4年、関大一)は3度のロスタックルを決め、インターセプトにファンブルフォース、パントブロックと躍動した。

大学ラストイヤーとなったこの春から、武野はLBのスターターとして試合に出ている。この春は慶應義塾大学、早稲田大学に勝ち、チームとして手応えを持って関学に挑んだ。

大活躍も「100点にはほど遠い」

関学の最初のオフェンスは自陣22ydから。ランから入って第2ダウン残り9yd。関学はエンプティ隊形から先発QBの星野太吾(2年、足立学園)が短いパスを投げた。これが関大DL伊藤侑真(3年、関大一)の上げた左腕に当たってフラフラと浮いた。LBの武野が反応よくこのボールに飛び込み、インターセプトだ。「飛んできたから捕っただけです」と謙遜した武野のビッグプレーがFG(フィールドゴール)成功による3点先制につながった。武野はFG、パント時のスナッパーも担っている。

DL伊藤(中央70番)の腕に当たって浮いたボールに武野(左手前)が飛びつきインターセプト

3-3の第2クオーター(Q)中盤には、第3ダウン6ydからのディフェンス左へのスイングパスに対して、武野が鋭い上がりから関学RB井上誉之(4年、関西学院)にソロタックル。関大側のスタンドが沸いた。広いサイドにブロック役のレシーバーを3人出してのオープンプレーだったが、関大のDB(ディフェンスバック)陣がブロックを押し返していたため井上には走るスペースがなく、武野のタックルをまともに食らった。

第2Q終盤には武野がブリッツからスルッと第一線を越え、パスに出るQB星野太吾へ向かう。サックとはならなかったが、武野の右腕がボールに当たってファンブル。関大DL生悦住勝也(4年、関大一)がリカバーした。武野はOL(オフェンスライン)をかわすときに左肩を入れ、スピードを落とすことなく第一線を突き抜けていた。

6-3と関大リードで迎えた第3Q中盤には、関学のパントに対して仕掛けた。パンターのキックポイントを守る3人のうち、左端の選手に対して武野とLBの東駿宏(3年、大産大附)がアタック。仰向けに倒すと、武野が上げた右腕にボールが当たった。ゴール前25ydからのオフェンスとなり、今回も攻めきれなかったが、FG成功で9-3とリードを広げた。敗れたが、試合後に関大の選手が「武野ボウルやったな」と口にしたほど、カイザーズの10番が輝いた関関戦だった。それでも武野は神妙な表情でこう言った。「100点には程遠いです。第4クオーターに14点入れられてる事実があるので。小学校からアメフトをしてきて、関学系列のチームって第3クオーターまでダメでも最後に盛り返してくる。それが分かってるのに上回られたのは全然あかんかったなと思います」

鋭い上がりでソロタックルを決めた武野

走る・投げる・当たる「やりたいことが詰まってる」

先の関学戦ではLBとスナッパーで出たが、武野はオフェンスのQB、FB(フルバック)、TE(タイトエンド)としてもプレーできる。15年目に入った豊富なフットボール経験が武野を支えている。

大阪府枚方市で生まれ、3歳から池田市で育った。小2のときにチェスナットリーグの池田ワイルドボアーズでフットボールを始めたが、きっかけは両親が見ていたアメリカの人気テレビドラマシリーズ「glee(グリー)」だった。オハイオ州の片田舎にある高校のグリークラブ(合唱部)を中心に描かれるミュージック・コメディー・ドラマ。主人公の一人がアメフト部とグリークラブをかけ持ちしていて、彼がアメフトをやっているシーンがカッコよくて、両親が武野に勧めた。

サッカーをやりたいと思っていた武野だったが、ワイルドボアーズの練習に入ってみて、「これは楽しい」とアメフト人生が始まった。「走る、投げる、当たるっていう、やりたいことが詰まってるスポーツやなあというのを最初に感じて、それを全部やらせてもらって楽しくて仕方なかった」

最初はOLの左ガードの練習から始めた。ちゃんと投げられるようになるとQBに。レシーバーやTEもやり、ディフェンスもやった。1学年上には昨年の関学のエースRBだった伊丹翔栄(現・IBM)がいた。伊丹が小6、武野が小5のときに日本一になった。

小学生のころから責任感が強かった

「久保田薫杯」を2度受け、一般受験で関大一高へ

小5が中心のチームで日本一になったため、連覇を大いに期待された。キャプテンになった武野は小6ながらにそのプレッシャーをひしひしと感じていた。連覇を逃すと、その責任を背負い込んでしまった。いったんチームを離れようと考えた。するとコーチが「すぐチームを離れるのはしんどいと思うから、ジュニアのコーチをやって、また自分でやりたくなったら戻ってきて」と言ってくれた。そうすることにして、中1の夏ごろに戻った。

小6のとき日本一にはなれなかったが、武野は2015年度の「久保田薫杯」に選ばれた。チェスナットリーグに所属する小学生の全選手、チアリーダーの中から1人だけ選ばれる学業面も含めての年間最優秀賞だ。中3の2018年度にも再び選ばれた。「親の教えで勉強は結構頑張ってました。大阪の公立進学校から京大に進んでアメフトを続けることも考えたんですけど、やっぱり自分は高校でも強いチームでアメフトをやりたい思いが強くて、関大一高を受けることにしました」。関一からは推薦入学の話ももらっていたが、進路を最後まで考えた末に一般受験で入った。

高3春の関西大会の立命館宇治戦でQBに入り、駆け出す武野

関一に入ると磯和雅敏監督(当時)から「フルバックやってみいひんか」と声をかけられ、高校アメフトはFBとして始まった。しかし夏ごろに大けがをして、手術を経てリハビリの日々。高2の9月ごろに練習に復帰するとQB、FBとLBでプレーした。

高3のときは春秋ともに関西大会で立命館宇治に敗れた。春の立宇治戦での武野のプレーを、私はよく覚えている。いまと同じ10番をつけ、FBとLBで奮闘していた。7点を追う第4Q、敵陣に入っての第3ダウン残り2yd。武野はワイルドキャット隊形のQBに入った。誰もが「10番のラン」と考える状況で武野が持った。もちろん立宇治もそう読んでいる。左からすごい勢いで武野に向かってきた選手がいた。武野は彼のタックルをスピンでかわした。体勢を整えて前進。さらに足元へ飛び込んできたタックラーを跳び越えてかわし、攻撃権更新だ。

ゴール前6ydからの第3ダウン1ydではFBに入り、プレーアクションパスをキャッチ。エンドゾーン左端へ飛び込むタッチダウン(TD)。キックも決まって同点になった。追い詰められた状況での腹の据わったプレーに「ただ者じゃないな」と思わされた。「覚悟を決めてやりました」。4年前のことを、武野はそう振り返った。

フリーで入ってきた選手のタックルをスピンでかわす

スペシャルプレーが日の目を見た関学戦

関大に入るにあたり、武野はディフェンスでやっていきたいと思っていた。LBの4年生には前野貴一(現・富士通)と中村優志という学生トップレベルの二人がいた。彼らからLBのすべてを学び取ろうと考えて過ごしていた。しかし、1年生の冬に再び大けがを負う。2年生の1年間は、ほぼ何もできなかった。ただ、スペシャルプレーだけは入れてもらった。

そのプレーが日の目を見たのが2022年秋の関西学生リーグ1部の最終戦。相手は全勝優勝のかかった関学だ。0-6の第2Q中盤、敵陣36ydからの第3ダウン4yd。エースQBの須田啓太(現・パナソニック)が右のナンバーワンレシーバーに出て、QBに48番をつけた武野が入った。左にいたキャプテンのWR横山智明(現・エレコム神戸)が右へモーション。スナップを受けた武野が横山にハンドオフし、横山は須田にトス。完全にフリーとなったWR岡本圭介(現・オービック)へのTDパスが決まった。

学生アメフトファンなら記憶に新しいスペシャルプレーでQBの位置に入っていたのが武野だった。「あんまり緊張するタイプじゃないんで、あのときも『やって当たり前』と思ってました。ただ、ボールを渡したあと、左から入ってくる選手を止めるのが僕の仕事で。『いかれたらヤバい』と思ってました。東田が来たんですけど、完璧にブロックできました」。たった1プレーだったが、確かに関学戦勝利の力になった。

アウトサイドラインバッカーの位置からQBの動きに目をこらす

心に刻んでいる前キャプテン・須田啓太の言葉

3年生の昨年は7番をつけ、LBとQBの控え。主にキッキングゲームでカイザーズを支えた。QBとしてはリーグ戦第4節の大阪大学戦で2回投げてともに成功。55ydのロングパスと5ydのTDパスだった。最後の試合となってしまった全日本大学選手権準々決勝の早稲田大学戦については「めちゃくちゃ悔しかった」と振り返る。第2Q、0-17となった場面での相手キックオフ。左利きのキッカーが蹴った鋭く低いボールが、リターンチームの最前列中央付近にいた武野に当たり、早稲田の選手がリカバー。失点にはつながらなかったが、責任感の強い男は「あの日はチームにいろんなミスがあったんですけど、あれが一番大きかったと思ってます」と話す。

昨シーズンが終わり、QBのメンバーでキャンプに行った。そのとき、エースQBでありキャプテンだった須田が話してくれたことを、武野は心に刻んでいる。「最後の一年に大事にしてたことを聞いたら、須田さんは『最初はみんなを信じる努力ができてなかった』って話をしてくれたんです。信じてもらえるように努力はしてたけど、信じる努力はしてなかったと。チームメイトの悪いところを指摘するばかりじゃなくて、いいところを見つける。その努力が必要だと気づいたのが遅かったと。僕自身も4年生としてネガティブじゃなくポジティブな指摘を心がけるようにしています」

大きな弟は昨年のクリスマスボウルで優勝

先日の関関戦は武野家にとっての記念日でもあった。長男が活躍しただけでなく、関学に入ったばかりの弟でDLの晋平(1年、追手門学院)も初のスタメンに名を連ねた。身長175cm、体重86kgの兄に対し、弟は187cm、114kgとデカい。昨年12月の高校日本一を決めるクリスマスボウルで追手門学院の初優勝に大きく貢献し、最優秀ラインマン賞を受けた。

関学に入学したばかりの武野晋平(77番)は関大戦で大学初スタメン

弟が大きくなったのには、はっきりとした転機がある。兄が小5、弟が小2のときに家族でサンフランシスコへ旅行した。そこで弟がアメリカの食文化に目覚めた。帰国後もハンバーガーやポテトを食べ続けたという。「ずっと『おなか減った』『ポテトフライが好き』って言ってました」と兄。どんどん大きくなり、わんぱく相撲で大阪の2位に。全国大会で東京・両国国技館の土俵にも上がった。中3で身長が180cmを超えた。

昨年のクリスマスボウルは家族そろってスタンドで応援した。両親が必死に応援する様子を見て、兄は「武野家ステキやなあ」と思った。進学にあたって弟は兄のライバル校を選んだ。兄が今年から下宿を始めたので、日々顔を合わせることはない。兄は言う。「弟は内向的やけど、裏でめちゃくちゃ努力するんです。チーム関係なく、お互いのプレーを尊敬しあってやっていきたいです」。関関戦の直後、私が弟に「お兄さんがめっちゃ活躍したね」と話を振ると、「よかったですね、お兄ちゃん」と笑顔で返した。

憧れの関学に進み、「練習はもちろん楽しいです」と話す武野弟

兄は大学ラストイヤーの目標について「絶対に日本一になりたい。弟と甲子園ボウルで戦って勝ちたいです」。もし甲子園ボウルで関関戦が実現したら、両親はどちらのスタンドに座るのか。「もうそういう話はしてて、『今年は公太郎や』って言ってます。関大です。弟はまだチャンスあるんで」。兄はそう言って笑った。

日本一のためにはLBとスナッパーはもちろん、求められればオフェンスでもプレーするつもりだ。その準備は日々やっている。両親が海外ドラマを見ていたおかげで始まったフットボール人生。その15年目には、どんなドラマが待っているのだろうか。

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