陸上・駅伝

特集:第109回日本陸上競技選手権大会

日体大・小林美月が日本学生記録更新の4m31「これからは世界でも戦えるように」

日本学生記録更新の4m31で、日本選手権を制した日体大の小林美月(すべて撮影・藤原伸雄)

第109回日本陸上競技選手権大会 女子棒高跳び決勝

7月4日@国立競技場(東京)

優勝 小林美月(日本体育大3年)4m31
2位 大坂谷明里(愛媛競技力本部)4m20
3位 田中伶奈(吉田石油店)4m10
4位 村田蒼空(筑波大3年)4m10
5位 佐々木琳音(日本体育大4年)4m10
6位 若林人生(福岡大4年)4m10
7位 那須眞由(KAGOTANI)4m00
8位 岡田莉歩(日本体育大2年)4m00

7月4日の第109回日本陸上競技選手権大会初日にあった女子棒高跳びで、日本体育大学の小林美月(3年、明星学園)が4m31を跳んで初優勝を果たした。それまでの自己ベストを16cmも更新し、大学記録や日本学生記録も更新。指導する父の史明さんも1998年に日本選手権を制しているため、親子2代での優勝となった。

好調だったからこそ「自分にプレッシャー」

女子棒高跳びには16選手が出場。日本記録の4m48を持つ諸田実咲(アットホーム)がケガの影響もあって出場せず、混戦が予想された。3m70から試技が始まり、小林は「自分の中では絶対に跳べる高さ」になってきたと感じている4m00までをすべて1回目でクリア。ただこのとき、本人は硬さがあったと振り返る。

「シンプルに気持ちの問題で、始まった時からすごく緊張してしまって、手や足に力が入らなくて心配だったんです」。緊張の要因は、6月29日の跳躍練習で調子が良かったためと自己分析している。難易度の高いポールを使い、4m40の高さにバーの代わりとなるゴムを張って跳んでいた。「そのポールは練習で使えることがあまりなかったので。自分にちょっと自信があっての緊張かなと思います。自分でプレッシャーをかけてしまった」

好調だったからこそ、序盤の跳躍では硬さもあったと振り返る

今大会の目標設定は、4m30だった。心技体とグラウンドコンディションがかみ合えば達成できるほど、充実していたのだろう。指導する史明さんからは前日、「明日は4m30を跳ぶから、20を跳んでも喜ぶな」と言われていたと明かす。しかし、緊張感が悪い方へ作用してしまったのが、4m10に挑んだときだった。

助走も踏み切りも空中も「ハマった」自分との戦い

ライバルたちが成功させていく中、自身は最初の2回を失敗し、後がなくなった。小林は「もう跳ぶしかなかったし、そもそも4m30を跳びに来ているので、10で終わるわけにはいかない」と気持ちを入れ直し、3回目で成功。「そこからはリラックスしていけました」と4m20を2回目で成功させ、この時点で優勝争いは、園田学園女子大学(現・園田学園大学)時代から学生トップの座を争ってきた大坂谷明里(愛媛競技力本部)との2人に絞られた。

続く4m25の試技で、小林は「今まで使えていなかったマックスポールに挑戦しました」。この14フィート、130ポンド、フレックス(曲げやすさ)25.5のポールは、6月の日本インカレで4m23に挑戦したときも手にし、当時は「ちょっと硬くなるぐらいの感じなんですけど、びびって踏み切れないところがありました」と振り返っていた。あれから約1カ月で扱えるまでになり、この日は1回目で4m25をクリアした。

マックスポールを扱えるようになり、それまでの自己ベストを16cmも更新

対する大坂谷は1回目を失敗した後、パスしたために高さが4m30に。棒高跳びは3回連続で失敗すると、その選手は競技終了になるため、大坂谷のチャンスは2回まで。先に跳んだ小林、大坂谷ともに2回失敗した時点で、小林の初優勝が決まった。「見てる側としては、すごいヒヤヒヤしていたんですけど、優勝が決まったことで、またちゃんと気持ちを切り替えられました」

この後、小林は4m30をパスして4m31に上げた。先ほどの理由から、残されたチャンスは1回だけ。高さを1cm上げた理由について尋ねると、「お父さんに『31』って言われたので、31にしました(笑)」と小林。自分との戦いは「助走も踏み切りも空中も『ハマったな』という感覚があって、踏み切った瞬間『これは跳べた』と」。見事に成功させ、競技を終えた。

最後の跳躍後は、重圧から解き放たれたような笑顔を見せた

「試合が終わって初めてお父さんにハグしてもらいました」

4m31という記録は、台信愛(だいのぶ・めぐみ、日体大SMG)が持っている日体大記録(4m20)を更新し、諸田が中央大学時代にマークした日本学生記録(4m30)も塗り替えた。いずれも小林が今シーズン中に更新したいと狙っていたものだ。さらには、日本選手権で史明さんとの「親子優勝」。この話題に話が向けられると、「試合が終わって初めて、お父さんにハグしてもらいました。うれしかったです」と感慨に浸った。

子どもの頃から日体大のグラウンドで遊ばせてもらい、小学6年で棒高跳びを始め、大学ではケガもありながら、日本一をつかんだ。もちろん、ここでは終わらない。「これからは日本だけじゃなくて、世界でも戦えるように、さらにレベルアップしていきたいです」。この記録は伸び盛りの小林にとって、通過点でしかない。

優勝カップを手にする小林、これからは世界で戦える選手を目指す

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