4years.
Presented by JBA/B.LEAGUE

三谷は名門・筑波大に進み、新しいプレースタイルを学んでいる © Masami SATOH

三谷桂司朗 地元・広島でプロも経験した高校時代、筑波大で目指す不動のエース

2020.12.10

2019-20シーズン、河村勇輝(当時・福岡第一高、現・東海大1年)がBリーグで強烈な印象を残したが、「高校生Bリーガー」としてプレーしたのは彼だけではない。広島皆実高校3年生だった三谷桂司朗(19)も、特別指定選手として当時B2リーグ所属(20-21シーズンはB1に昇格)の広島ドラゴンフライズに加入し、9試合に出場。今は大学バスケ界の名門・筑波大学でルーキーイヤーを戦っている。

特別なウインターカップ「後悔だけはしてほしくない」

「インターハイが中止になり、すごく大変な年になってしまったことは自分も悲しいです。ウインターカップではインターハイができなかった悔しい気持ちも活力にして、思う存分楽しんでほしい。やっぱり後悔だけはしてほしくないので、大会までの残された時間を有効活用して、自分たちが満足して終われるよう頑張ってほしいなと思います」

12月23日に開幕するウインターカップ2020に対し、三谷はそう高校生たちにエールを送った。今年は新型コロナウイルスの猛威によりインターハイと国体の中止が余儀なくされたため、高校生にとってはウインターカップが最初で最後の全国大会となる。

高校時代、三谷は1年生の頃からチームの得点源として活躍し、3年連続でウインターカップに出場。最高ベスト8の成績を残している。ただ、チームが8強入りした時、三谷はまだ1年生。「自分が何かしたというわけではなく、先輩たちに恵まれてメインコートの舞台を経験させてもらえました。僕はただガムシャラにやっていましたし、正直、ウインターカップベスト8という重みがよく分かっていなかったです」と、当時を振り返る。

広島皆実高時代は2年生の時からチームの絶対的エースとして活躍してきた ©JBA

三谷の魅力は、190cmを超える身長ながらスリーポイントシュートを難なく沈め、インサイドでもプレーできるオールラウンドな点だ。2年生からはチームの絶対的エースとして毎試合のように得点を量産した。しかし、2~3年生でのウインターカップはともに初戦で敗退。2年連続で苦杯をなめる結果となったが、三谷は同じ結果でも「それぞれの気持ちは全く違いました」と打ち明ける。

「2年生の時は自分がチームの中心にならなきゃいけなかったんですけど、まだ自覚がなくて……。周りに頼ってしまって不完全燃焼でした。(初戦で対戦した)桜丘が3位まで勝ち進んでいきましたし、2年生のウインターカップは本当に悔しかったです。最後の年はとにかく後悔しないように出し切りたいという思いが強かったですね。自分のワンマンチームと言われていたことも悔しくて、ウインターカップまでには連携プレーを増やそうとチームで話していました。負けはしましたけど試合の中でそれが出せた場面がけっこうあったので、3年生の時は後悔していないです」

頂点に立てるのは男女合わせても2校しかいない。優勝だけが全てではなく、120校が出場すれば120通りの目標があっていい。自身の経験も踏まえて「後悔だけはしてほしくない」とエールを送る三谷の言葉には、そういった意味が込められているのだ。

高校生Bリーガーとして地元・広島でプロのレベルを体感

昨年の12月24日に高校バスケを引退したが、前述の通り、三谷は大学進学前に高校生Bリーガーとして貴重な経験を積んだ。広島ドラゴンフライズの選手として迎えたデビュー戦では「とにかく取りたかった」という思いが実り、いきなり初得点をマーク。地元・広島のファンを大いに沸かせた。

「岡本飛竜さんから『パスをするからカットインしろ』と言われて、信じて走ったらいいパスがきました。決めさせてもらったシュートですけど、入った瞬間は集中していたので何も聞こえてなかったですね。後で映像を見返した時に(歓声が)すごいなって感じて鳥肌が立ちました」

地元・広島でプロを経験し、取り巻く環境全てに刺激を受けた ©B.LEAGUE

プロ選手と過ごした時間は、当然日々の練習でも発見の連続だった。体の当て方、ボールをもらう前の動きの大切さ、外国籍選手のブロックをかわす技術、常に100%でプレーするのではなく時にはうまくサボること……。三谷が高校生ながら肌で感じたプロのレベルは、現在の大学生活においても十分に生かされている。

「今は常に学ぶことしかない」

高校時代から名を馳(は)せ、U16とU18、3×3のU18日本代表としても国際試合に出場した経験を持つ三谷には、数々の大学から進学のオファーが届いた。悩んだ末、三谷が決めたのは筑波大への進学。毎年のように全国トップクラスの選手たちが集う名門大学の門を叩くことに「不安はなかった」が、現在はプレータイムの確保に苦しんでいる最中だ。

大学ルーキーとして初の公式戦となったオータムカップ2020(関東大学男子リーグ戦代替大会)では、計4試合で5分以上のプレータイムをもらえたのは初戦の中央大学戦のみ。三谷は改めて痛感させられた。このチームで、ましてや1年生からプレータイムを勝ち取ることがどれだけ大変なことなのかを。

更には高校時代とは違い、周りにもエース級の選手がズラリと並ぶ中で新たな課題にも直面している。「高校までは自分が得点を取ることを一番にやっていましたけど、大学では周りを生かすプレーを身につけないと苦労すると思っています」

もちろん、1年生からベンチ入りしているという点では評価に値する。それでも、「とにかく試合に出てプレータイムを勝ち取りたいですし、練習でアピールしていくしかないと思っています」と三谷は言う。「今は常に学ぶことしかないので、これからも失敗を恐れずに積極的にプレーすることが大事だと思っています」

プレータイムを勝ち取る難しさを感じながら、積極的なプレーで自分をアピールし続ける  ©Masami SATOH

筑波大での4年間を経て、三谷桂司朗はどんなプレーヤーへ進化を遂げるのだろうか。ひとつ言えることは、近い将来、日の丸を背負って世界の舞台に立つことを志す三谷の目線は、常に高いということだ。

「高校時代から筑波大の試合を動画で見ていて、特に馬場雄大さん(現・メルボルン・ユナイテッド)のプレーに引かれました。自分も雄大さんのように、見ているみんながワクワクするようなプレーができる選手になりたいです」(文・小沼克年)