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車いすバスケ日本代表・古澤拓也(パラ神奈川SC提供)

東京パラリンピック 車いすバスケ・古澤拓也 日本代表の責任と誇りを胸に

2021.06.30

夏季パラリンピックの人気競技・車いすバスケットボール。東京パラリンピックでメダルを目指す日本代表のなかで、“若き世代のチームリーダー”と言えるのが古澤拓也(25歳/パラ神奈川SC、WOWOW所属)だ。スタイリッシュな見た目に、テクニックやボールハンドリングで見る者をひきつける古澤の魅力に迫るとともに、車いすバスケの魅力と東京パラリンピックで目指すところを聞いた。

一般のバスケと同じ3.05mのリングを目指して

競技用車いすを駆使した華麗なターン、ドリブルをしながらプッシュ(車いすを手でこぐこと)してコートを駆け回る姿、そして車いすが激しくぶつかる音やダッシュからのターンでタイヤがコートをこする音……。

車いすバスケを観戦すると、一般のバスケと同じか、それ以上の激しさに目を奪われ、いつの間にか虜(とりこ)になる。この競技の世界の頂点を決める大会のひとつが、パラリンピックだ。

ルールは一般のバスケとほぼ同じで、一般と同じ高さの3.05mのリングを目指して1チーム5人の選手が試合に出場する。特徴的なのは、ダブルドリブルが適用されないところや、ボールを持っているときに車いすを3回以上プッシュするとトラベリングの反則を取られるところ、そして障がいの度合いによりクラス分けされるところだ。クラス分けは障がいが重い選手は1点、軽い選手は4.5点など選手個々に1点から4.5点までの点数がつけられ、コート上の5人の選手の合計点は14点以内。これがチームの戦略としても重要なポイントになっている。

パラ神奈川SC提供

車いすは、かっこいいんだ

この車いすバスケ日本代表の“若き世代のチームリーダー”が古澤拓也。先日6月17日に晴れて日本代表の内定が発表された。「やっとここまで来られました。ここまで長かったというのが正直な感想です」という古澤の「長かった」にはいろいろな思いが詰まっている。

古澤が車いすバスケと出合ったのは、今から13年前の12歳のとき。野球少年だった古澤は脊髄(せきずい)空洞症で車いすユーザーになった。そのときに母親が横浜の自宅近くにあるスポーツ文化センターの体育館で開催されていた車いすバスケの体験会に、古澤を連れて行ってくれた。

「車いすに乗るまでは野球ばっかりだったので、バスケはほとんどやったことがなかったです。リングも高くボールも重くて難しい……。でも、ベースボール投げならシュートが入る気持ちよさと楽しさもありました」

このときのリングの高さは3.05m。車いすに乗った小学生の古澤にとっては、とてつもなく高い場所だった。ただ、その体育館をホームにしていた車いすバスケチーム「YOKOHAMA DREAMER」の大人たちに魅了された。

「競技用車いすもかっこよかったですし、車いすの選手たちが自動車を運転したり、トランクにバスケ道具を積んだりする姿がかっこよくて『車いすでもいいんだ、かっこいいいんだ』と選手たちを見て感じられたんです」

当時、車いすテニスの国枝慎吾に憧れテニスも練習していたが、DREAMERの選手たちを見て車いすバスケの虜になり、13歳でドリーマーに入団した。

「大人たちと一緒に練習をすることで、より競技の楽しさを感じることができました。チーム練習は週2回ほどでしたけど、僕は週6、7回は通って練習しました。車いすに乗る前は野球の練習を放課後に週6回くらいやっていたので、その野球への気持ちと時間もバスケが埋めてくれました」

パラ神奈川SC提供

挫折をへた後の、世界選手権ベスト4

負けず嫌いな性格もあり、「早く上達したい」という一心で練習を重ねた古澤は、高校2年生でU23日本代表に選ばれる。「初めて日本代表に選ばれたときは、すごくうれしかったです。まわりの代表選手たちはそれぞれのチームの中心ですし、アイドルのように感じていました。あんな選手に早くなりたいと憧れの目で見ていました」

当時のA代表には、現在も日本代表の藤本怜央や香西宏昭も名を連ね、間近で見ることでより代表への思いは強まった。

早くにU23日本代表入りした古澤だが、順風満帆かと思いきや挫折も多く経験している。2014年にはA代表の強化選手の選考合宿に残ったが落選、2016年のリオパラリンピックでも代表に残れなかった。

「リオのときは内定者選考で補欠に選ばれたので自分の成長を感じながらも、やっぱり悔しかったです。これらの経験があって、またバスケに対する向き合い方がどんどん変わって、質もあがっていったんだと思います」

その悔しさを糧に、2017年にはU23日本代表のキャプテンとしてU23男子世界選手権ベスト4を達成し、古澤自身も大会の「オールスター5」に選出された。

「これまで心が折れることも多かったです。逃げ出したいと思うことも多かったです。でも、挫折と喜びを繰り返しているうちに、『自分はどこまで上に行けるのか』という気持ちの方が強くなりました。負けず嫌いな性格もありますけど、『ポジションを他の選手に取られたくない』『もっと他の選手よりもできるようになりたい』とか、譲れないものが人より多いんだと思います」

負けず嫌いのエピソードをもうひとつ。古澤は神奈川大学に入学した後、U23日本代表の活動をはじめ車いすバスケが生活の中心だったため大学を中退しようかとも思った。ただ、「バスケ以外も達成しないと」という思いが勝り、バスケと学業を両立できる桐蔭横浜大学に編入。今年卒業を迎えたが、古澤が書いた卒業論文は、見事、優秀卒業論文賞を受賞した。テーマは、「我が国の車いすバスケットボールU23世代の強化育成の特長と課題 強豪国イギリスとオーストラリアとの比較から世界に通用する選手育成とは?」で、イギリスやオーストラリアの選手にも取材をおこなって書き上げたものだった。

大学の仲間たちと

パラリンピックは、もうすぐそこに

子どもの頃から長い間憧れたパラリンピック。いまやっとパラリンピックへの出場のチャンスを手に入れた。25歳の古澤は日本代表ではちょうど真ん中くらいの年齢だ。「いまの日本代表はかなり若いと思います。U23世代も6人います。世界で一番強いと言われるイギリスも若いですが、他国はもっと年齢層が上で、強豪国のひとつアメリカは30代が中心だと思います」

若い選手が多い日本代表の魅力のひとつは、“トランジションバスケ”だ。トランジションとは攻守の切り替えを意味し、オフェンスになったら、選手全員が速攻を狙って走り、ディフェンスでは素早く戻る。このアップテンポなバスケが、観客を魅了する。

「日本代表はトランジションバスケを戦略のひとつにしたことによって、攻守の切り替えが今までの1.5倍くらい早くなっています。どの選手も早いので、誰が試合に出場しても戦える強さがあります。世界の強豪オーストラリアやイランにもこのバスケで勝てましたし、世界に通用すると思っています。東京パラリンピックでは、メダルを取ることに最大限集中していきたいですし、最高の準備をしてチームに貢献して、自分の力がどれだけ世界に通用するのか見たいです」

若い選手が多いなかで、ベテランの存在も心強い。「『すごい!かっこいい』と思って見ていた北京パラリンピックの車いすバスケ。この大会に出場していた藤本さんや香西さんと一緒に、東京パラリンピックでプレーできるのは感慨深いです。ふたりを含めた先輩たちが言う『日本のトップ12人だからこその責任と誇り』。この言葉を胸に、絶対勝ちたいと思っています。自分のプレータイムが長かろうが短かろうが、チームのために自分の責任を果たしたいと思っています」

パラ神奈川SC提供

古澤のプレーの、ここに注目

古澤のプレーでは、ボールハンドリングとスリーポイントに注目だ。「僕は両利きで右でも左でも同じようにプレーができるので、ボールハンドリングも他の選手とは違う特徴がありますし、スリーポイントは高校生の頃から強みにしようと思って、練習でひたすら本数を打って、世界のトップレベルを目指してきたので自信があります」

特にボールハンドリングは、ドリブルがクイックで細かく、車いすの後ろにボールを回したドリブルなどテクニックが秀でている。「バスケだけでなく他のスポーツも参考に、ドリブルを磨いています。サッカーのテクニシャンの細かいボールタッチやリズムも参考にします。ほかにも漫画を見たり、いろいろなテクニックにチャレンジしたことで、独自の武器になったのかなと思います」

東京パラリンピックの後は、海外にも挑戦したいという古澤。「世界一のポイントガードになるのが目標です。世界の強豪国、イギリスやアメリカ、オーストラリアなどに行ってバスケを続けたいです」

まず、その目標のための大きな一歩が東京パラリンピックで、多くの人に見てもらいたいと思っている。「僕が車いすバスケをはじめた頃に比べて、注目度は上がっていると実感しています。各チームにサポーターがついたり、観客も増えています。出場選手の合計点が14点以内であることで公平性やリスペクトを大切にしたスポーツでもありますし、僕が子どもの頃に代表選手を憧れの目で見ていたようにかっこいい選手もたくさんいます。何より車いすバスケはスピード感もありますし、シンプルにスポーツ観戦として面白いものだと思います。ぜひ東京パラリンピックを見てより興味を持っていただけたらうれしいです」