陸上・駅伝

特集:New Leaders2024

中央学院大・吉田礼志「リーダーシップだけでなく、競技力も」、背中で引っ張る新主将

中央学院大の吉田礼志は競技力でもチームを引っ張る(撮影・藤井みさ)

1年目からチームの主力を担ってきた中央学院大学の吉田礼志(4年、拓大紅陵)がラストイヤーで主将に就いた。10000mで27分47秒01の自己ベストを持ち、箱根駅伝予選会などでは他校の外国人留学生にも果敢についていく強気の走りが信条。チーム内で突出した力を持つ吉田は、どのようにチームをまとめようとしているのか、本人に尋ねた。

【新主将特集】New Leaders2024

前年2位の学生ハーフではチームメートを応援

日本学生ハーフマラソンが開催された3月10日、前年2位の吉田はフィニッシュ地点付近でチームメートを応援していた。年始の箱根駅伝後に左の腸頸靱帯(ちょうけいじんたい)を痛めたためだ。「グループLINEを使って『何キロ地点で何位』というのをみんなで報告していました」。中央学院大では近田陽路(こんだ・ひろ、3年、豊川)が15km過ぎまで4位にいたことを吉田は把握していたが、近田を待ち受けた際は「まさか2位で帰ってくるとは思いませんでした」と驚いていた。

中央学院大・近田陽路が学生ハーフ2位 吉田礼志に続く「準エース」の役割に向けて

吉田はチーム内で唯一、10000m27分台の持ちタイムを持つ。力が突出しているだけに、1人で練習することも多い。「僕が1年生だった頃の4年生だった栗原啓吾さんが卒業されてからは、基本的に1人で練習していました。やっぱり寂しさはありますね」。だからこそ、近田の好走について「頼もしさが出てきた」と振り返った。「みんなにとっても刺激になったんじゃないかと思います。僕も『もっと頑張んなきゃ』と思えました」

今年の箱根駅伝では2区を走り、大会後に左足を痛めた(撮影・佐伯航平)

主将でエースの吉田だけに頼らない。それはチーム全体の方針でもある。川崎勇二監督は常々「(吉田を)特別な存在だと思ってほしくない」と選手たちに伝えているといい、工藤巧夢(4年、那須拓陽)や堀田晟礼(4年、千原台)といった同期も少しずつ練習についてこられるようになった。「いつでも僕を超えられるぐらいの気持ちで、みんなには練習してほしい」という吉田の理想に少しずつ近づいている。

「雰囲気がいい」と中央学院大へ

千葉県袖ケ浦市出身の吉田は、小学3年から中学3年まで野球をしていた。「小学生のときはサードで、中学では外野を守っていました」。駅伝シーズンになるとすべての部活動から選手が集められ、吉田もその一人だった。ただ下級生の頃は、そこまで目立った存在ではなかったと振り返る。「1、2年の頃は選手にはなれなくて……。いきなり2年の途中から速くなったんです。成長期だったんですかね? 3年になると全校で一番速かったです」

高校では、もともと地元の公立校に進んで野球を続けるつもりだったという。しかし、志望校に合格することができず、滑り止めで受験していた拓大紅陵へ。野球部は夏の甲子園で準優勝したこともある強豪だったため「レベルが高いからついていけないだろう」と考え、陸上部に入った。

留学生と勝負する強気の走りが吉田の持ち味だ(撮影・藤井みさ)

高校陸上に関しては「無知」の状態で入部したが、大学でも競技を続けたいという思いは2年になる前、早々に固まった。中央学院大の川崎監督と拓大紅陵の小谷野慎也監督は順天堂大学時代の先輩後輩関係で、川崎監督が拓大紅陵を訪れることも多かった。夏合宿に参加させてもらう機会もあり、「選手同士も、スタッフ・コーチ陣もみんな仲が良くて、雰囲気がいいなと感じたんです。実際に入ってからも、その通りでした。何かの当番はみんなでジャンケンをして決めることもありますし」。

千葉県内のライバルと言えばまず、駒澤大学の篠原倖太朗(4年、富里)が浮かび、1学年上には八千代松陰の佐藤一世(現・SGホールディングス)や石井一希(現・ヤクルト)がいた。ただ「正直、高校生のとき佐藤一世さんや石井一希さんにはまったく歯が立ちませんでした。異次元でしたね」。本人にとって一番のライバルは、チームメートの鈴木康也(現・麗澤大4年)。高め合える仲間がいたから、高校3年でコロナ禍に見舞われても、目標を失うことはなかった。

昨年の箱根駅伝予選会は日本選手2位でフィニッシュ(撮影・吉田耕一郎)

故障中に時間を割いた弱点の克服

中央学院大では1年目から箱根駅伝でエースが集う「花の2区」を託された。「夏前ぐらいに川崎監督から『お前を2区で使いたい』と言われて、もちろんプレッシャーもあったんですけど、それだけ期待してくれていることがうれしかったです」ただ初の箱根路は、苦い思い出しか残らなかった。20位で襷(たすき)を受けて区間18位。「きつかったということしか覚えていないんです。スタートしたときから前の選手が見えない状態でしたし……」

このときと比べると、年始の第100回箱根駅伝は少しだけ悔しさを晴らせた舞台だった。花の2区を攻略するための課題も明確になった。「上り坂ですね。僕はずっと上りが苦手だというのは分かっていたんですけど、権太坂の対処ができていませんでした」。2度目の箱根路は区間14位だった。

箱根駅伝後はけがのため、約2カ月半の間、走ることができなかった。その分、上り坂を走りきるための補強トレーニングに時間を割いた。「臀筋(でんきん)だったり、ハムストリングスだったり、内側広筋だったりをずっと鍛えています。故障している期間に、どれだけ自分が苦手にしているところを補強できるかが大事だと思っています。来年の箱根駅伝も2区を走ります。ラストイヤーは悔いなくいきたいです」

1年の時「花の2区」で箱根路デビューを果たした(撮影・北川直樹)

ダラダラすることは好きではない

3年時は副将を務め「先輩後輩の関係なしに、厳しいことをガツガツと言える」性格から、川崎監督に指名される形で主将に就いた。「昔からダラダラするのが好きじゃなくて、せっかちなんですかね。練習が終わった後、補強をするときにダラダラしている人を見ると、厳しい言葉をかけちゃうんです」

理想の主将像を尋ねると、吉田らしい言葉が返ってきた。「リーダーシップも必要だと思うんですけど、競技力がないと、言われても信憑性(しんぴょうせい)がないというか、ついてこない人もいると思うんです。走りで背中を見せて、みんながついていきたいと思ってくれたら一番いいです」

2大会ぶりの全日本大学駅伝出場、2年連続の箱根駅伝本戦出場、個人的には花の2区でリベンジを果たすため、全力でチームを引っ張る。

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