幸せ配達人のプロコーチ、3部の学生と築いた文化 東京都立大学ラグビー部物語4
コロナ禍で人と人との距離は遠ざかった。オンラインが浸透して、一人で勉強すること、働くことの不便はほとんどが解消されてしまった。
AIと呼ばれる人工知能は極限まで進化を遂げつつある。人が果たしてきた役割は、次から次へと取って代わられてしまう。
それが、いまという時代だ。
そんな時代、果たしてスポーツは必要なのだろうか。不要不急なんじゃないだろうか。
いや、違う。
藤森啓介(38)は、そう信じている。一般社団法人「スポーツコーチングJapan」で組織マネジメント論を研究して、とあるプロ野球チームの指導陣の先生役、つまり「コーチのコーチ」を任されるほどにもなって、達した結論だ。
本業は楕円(だえん)球。不要不急じゃないスポーツのあり方を、東京都立大学ラグビー部で実践している。
「勝つだけじゃ、ダメなんです」
選手、コーチとして早稲田大学で薫陶を受けた。卒業後、大阪・早稲田摂陵高の監督に就き、「素人7割」だったチームを花園予選決勝に導いた。でも、卒業後、グラウンドに遊びに来てくれない教え子がいた。「僕と過ごした3年間、実は楽しくなかったのか」。自問自答した。自分を変えるため、帰京して、プロコーチになった。「勝敗を超えた部活の価値」を探し求めるようになった。
その取り組みが軌道に乗り始めた2020年の初春。都立大からコーチのオファーを受けた。「勝つだけじゃダメ。どこか風通しの悪い部の雰囲気を変えてください」と。
巡り合わせを感じさせる出会いだった。
いの一番に手をつけたのは、カルチャーの構築だった。
カルチャー、すなわち、文化。悩んだ時に、迷った時に、立ち返ることのできるチームの原点のような場所だ。
早慶明や帝京なら、カルチャーなんて考える必要はない。勝つ、優勝、日本一。めざす場所は、おのずと決まっている。
都立大は、違う。関東大学リーグ戦3部、練習は週3回。ラグビーを大切にしつつ、それだけじゃないキャンパスライフも捨てたくない学生の集まりだから。
いま社会人3年目を迎える当時の4年生たちと、藤森は議論を重ねた。定まったカルチャーはこれだった。
日本一、幸せなチームになる。
え?幸せって何だっけ?
レギュラーも控えも、上級生も下級生も、選手もマネージャーも、立場に関係なく、みんなにそれぞれの居場所がある。それぞれにそれぞれの居場所があるチームのことを、みんなが大好きになる。
そんなカルチャーを、築こうとした。
マネージャーが決めるMVP
2カ月ほどしかグラウンドで活動できなかった1年目の2020年。苦境を逆手に取ったオンラインミーティングで、立場に関係なく対話を促した。2年目の2021年から、チームビルディングという練習前のレクリエーションを欠かさない。3年目、2022年のシーズンが深まると、練習の最後にもひと工夫を施した。
その日、一番頑張った選手を、マネージャーたちが相談して決める。一番頑張った選手はMVPとして表彰される。ラグビーが上手なだけじゃ、MVPにはなれない。
一瞬一瞬に集中していたか。声や笑顔で雰囲気を盛り上げようとしていたか。積極的にコミュニケーションを図ろうとしていたか。先輩にも、後輩にも、マネージャーにも。
そういう肩書の違いを「壁」にしない、みんながフラット。それが、都立大のカルチャーの土台だから。
MVPに選ばれると、日付と彼の名前がサイン帳に書き込まれた。それを手にしたMVPは記念写真に納まり、喜びの声とともにチームのツイッターにアップされた。舞台回しはマネージャーたちだ。ささやかで、でも真心のこもったやりとりだった。
練習の始めと終わりを大切にする、都立大のマインドセット。それは、一日の「オープニング」と「エンディング」を大切にする藤森の持論でもある。「最初と最後の感情が良いものであれば、人と人との関係性は良くなる。関係性が良くなれば、思考も変わる。思考も変わると行動も変わる。行動が変われば、結果も変わるもの。必然的に、良い方向へと」
距離を縮める4段階コーチング
練習の中身に目を凝らせば、4段階のコーチングを使い分けながら、選手たちの自立を藤森は促してきた。
tell(指示する)、show(見せる)、ask(問いかける)、delegate(委ねる)
まず、めざすべき戦術、ラグビースタイルを「tell」「show」して選手たちに落とし込む。一つ一つの練習メニューが始まる前、必ず「ask」して、そのメニューの目的、ゴールを問いかける。終われば必ずレビュー。ゴールにたどり着けたか、目線がそれてはしまわなかったか。そのサイクルを繰り返しながら螺旋(らせん)階段を上るようにレベルが高まるにつれて、徐々に、主導権を選手たちに「delegate」する。
4段階のコーチングを使い分ける過程で、必ず芽生えるのはコミュニケーションだ。藤森が問いを立てる。選手たちが答えを探す。いくつかの答えが出てくる。それを吟味する。やがて選手たち自身が問いを立てられるようになる。そうやって、コミュニケーションは密になっていく。
チームビルディングもMVPも4段階コーチングも、試みの全てが連なって、部員同士の距離は縮まっていった。距離が縮まると、不思議と、自分より仲間のことの方が大切に思えるようになった。自分のためじゃなくて、誰かのために。それが判断や行動の基準になった。それぞれがそれぞれの居場所を見いだせるって、そういうことだった。
ミエナイチカラの発動
そんな境地にチームとして達することができた時、いざキックオフの笛が鳴ると、「ミエナイチカラ」が選手たちの背中を押してくれる瞬間がある。ピンチになればなるほど、普段なら起こり得ないようなスーパープレーの飛び出す瞬間が。
グラウンドに立つ15人は、チームの代表だ。控え選手の、そしてマネージャーの思いが束になってミエナイチカラに姿を変えて、15人の背中を押す。
「同じ空間、同じ時間、同じ目標を共有し続けてきた仲間だからこそ、決まりきったストーリーじゃない、筋書きのないドラマを描ける。AIに計算させれば勝つ確率はほんのわずかでも、ミエナイチカラが発動して、勝ってしまう。スポーツだからこそ、そんな瞬間を若者たちがリアルに体感できる。それが、スポーツの価値」
その価値を広めるため、藤森は「幸せ配達人」となった。北は青森から南は福岡へ。スポットコーチとして各地の高校、大学を行脚するようになった。
そして、目にミエナイ価値への確信を藤森が深めた試合を、昨シーズン、都立大はやってのけた。
2022年10月30日、関東大学リーグ戦3部、千葉商科大学戦。
開幕戦に競り勝った後、3連敗を喫して迎えた一戦だった。またしても負けてしまえば、4部降格が現実味を帯びてくる。
秋の終わりを惜しむように、日差しの強い午後だった。
36-35。薄氷の1点リードで、試合は最終盤に突入していた。
どこにでもあるような、ごく普通の体育会、東京都立大学ラグビー部。プロコーチの藤森啓介とともに歩み、昨シーズン、関東大学リーグ戦3部で「ミエナイチカラ」を発動しました。7月21日公開予定の次回で、その試合を振り返ります。