やめようか→寂しいね そして彼は3度目の主将になる 東京都立大学ラグビー部物語7
試合に出られない悔しさを知った。レギュラーになって、やりきった充実感も味わえた。やめたいなって、あきらめかけもした。
そして、自分のためじゃなくて、みんなのため、チームのため、やめられないって気持ちにたどり着いた。
東京都立大学ラグビー部のキャプテン船津丈(仙台三)は、そういう人だ。
仙台で育った。幼い頃からバスケットボールに打ち込んだ。練習がない日も走り込んだ。かなり、頑張っていた方だと思う。
中学校に入ると、身長の伸びがパタりと止まった。170cmちょうど。仲間にどんどん追い越された。バスケでこれは厳しい。人一倍の努力が認められて、3年生になるとキャプテンを任された。でも、最後の夏の大会、レギュラーにはなれなかった。
「試合前の円陣で『勝つぞ!』って声出して、それが終わるとコートからベンチに戻る。そういう役目でした」
小学生時代からずっと一緒の同期が試合に出ているのに、自分はベンチ。悔しくて、つらかった。不完全燃焼。高校に進んでも、バスケを続ける気しかなかった。
仙台三高に進むと、全国共通、ラグビー部特有のしつこくウザい勧誘に根負けした。
バスケ続けるはずが…
朝、登校する。気づけばグラウンドで楕円(だえん)球を持たされていた。授業が終わって、バスケ部を見学に行こうとする。気づけば、また楕円球を持たされていた。みんなでワイワイ、楽しい楽しいタッチフット。タックルなしで痛くない、楽しい楽しいタッチフット。断りきれず、ラグビー部に入部した。
部員は各学年とも10人以上。宮城県でもなかなかの強豪だ。ここでも、かなり頑張った。筋トレにタイヤ押し。75kgだった体重もどんどん増やした。
2年の秋。突然、「プロップ(PR)をやれ」と言われた。
スクラム最前列の両端。一番しんどいポジションだ。嫌だったでしょう?
「いや、試合に出られれば、何でもよかったです」
花園予選で決勝まで進み、全国でも名の知れた強豪、仙台育英に0-59で完敗した。「育英に勝って、絶対、花園に行ってやる」。目標ができた。
3年生になると、部員投票で再びキャプテンに。努力する者、どんな場所でも支持される。目標に近づきたくて、その努力に熱が入った。最後の秋、再び花園予選の決勝へ。もちろん、相手は仙台育英だった。
3-31。点差はかなり縮まったけど、終わってみれば完敗だった。でも、不思議と涙は出なかった。
「海外からの留学生が育英にいて、その選手にタックルしてボールを奪って、自分のマックスは出せたから。スクラムは、やられっぱなしでしたけど」
そのパーマ、流行?
ラグビー、やり尽くした。完全燃焼できた。そう思えた。で、東京に憧れて、第1志望の夢をかなえて都立大に進んだ。
コロナ禍が世界を直撃した。
入学式は中止。授業はオンライン。ただ、ずっと仙台でリモート大学生を続けるのも、手持ちぶさただった。6月に上京。一人暮らしを始めた。授業以外、やることがない。友達もいない。手持ちぶさたは続いた。
巣ごもりの退屈な日々。10月頃だったか。ぼーっとツイッターを眺めていると、ラグビー部の勧誘ツイートが目に飛び込んできた。
つらくて痛いラグビーだ。高校時代にやりきったし、もう、いいや。バイトしてお金稼いで旅行して、そういうキャンパスライフを満喫するつもりだった。でも、どうしたって、そんなの無理な世界情勢だった。
そしてやっぱり、ラグビーが気になってしまった。
ようやく部活動が解禁された時期でもあった。魔が差して、練習体験会に参加してしまった。高校とは違う、緑の人工芝のグラウンドが目の前に広がっていた。「なんか、いいな」。先輩たちは気さくに話しかけてきてくれた。年齢の近い誰かとリアルで話すの、すごく久しぶりだった。
人生初のパーマをかけて、2度目の練習に参加した。いきなりイジられた。「それ、仙台で流行(はや)ってるの?」。うれしかった。
気づけば、やっぱり、ラグビー部に入ってしまっていた。
溶けた壁がベクトル変えた
コロナ禍、密なラグビーをやろうなんて物好きな新入生は、そういない。東京随一の強豪・國學院久我山高校から入学した大滝康資、マネージャーの八木幸音(新宿)と船津の3人だけだった。
「来年、再来年、どうなっちゃうんだろう?」
「練習も試合も、まともにできるかどうかわからないしね」
「15人のチームを組めなくなったら、やめようか」
練習後の帰り道、そんな話をマジメにしていた。コロナの世界の先は見えない。何をするにも、どこか、あきらめムードにつきまとわれていた。
時とともに、その気持ちは変わっていった。
2年生になると、グラウンドでリアルに活動できる時間が格段に増えた。片手で数えきれるほどだけど、後輩も入部してくれた。別名「幸せ配達人」、プロコーチ藤森啓介(38)のチームビルディングも本格化する。練習だけじゃない。オンラインミーティングで、ラグビー観戦したりキャンプに行ったりのイベントで、先輩と後輩、選手とマネージャーの間にある目に見えない「壁」は溶けていった。
「オレたちが途中でやめたら、このチーム、なくなっちゃうんだよな……」
「それって、寂しいよね」
同期との会話の中身、そう変わっていった。自分じゃなくて、仲間のために、チームのために。ベクトルの方向が、変わっていった。
最高学年を迎えた。途中入部で同期の仲間も増えた。そして、気づけば、3度目のキャプテンを託されていた。
「他の同期は『仕事人』というか、黙々とプレーで引っ張るタイプ。だから、自分がキャプテンになるんだろうなっていうのは、何となく感じていました」
リーダーシップか、フォロワーシップか
藤森のマネジメント理論によると、リーダーのスタイルには二つのタイプがある。一つは、まさにリーダーとして先頭に立ってチームを引っ張る「リーダーシップ」。もう一つは、一歩下がって仲間の良さを引き出すことでチームを回す「フォロワーシップ」。有無を言わさず右向け右、ではなくて、一人ひとりの多様性が尊重されるのが令和という時代だ。リーダーシップよりもフォロワーシップの方が時代にマッチしていると、藤森は考える。
どちらかといえば、中学、高校とリーダーシップ型のキャプテンで船津は通してきた。ただ、部を存続させるため、あの手この手で初心者を引っ張り込んだチームが、いまの都立大だ。しかも、つらくて痛いラグビーだ。オレがオレがのリーダーシップだけじゃ、初心者過半数のチームはまとめきれないんじゃないかって葛藤もある。
「下級生を引っ張り込んだ責任が、僕らにはある。みんなが『都立大ラグビー部に入って良かったな』『ラグビーと出会えて良かったな』って思えて卒業できる下地をつくる責任が、いまの4年生にはあるんです」
そのために、みんなが主役になれるようなフォロワーシップを。
令和のリーダーに求められる、繊細なバランス感覚を探りながら、ラストシーズンを過ごしている。
船津キャプテンを中心に、秋のリーグ戦に備える東京都立大学ラグビー部。そして、このチームにはもう一つ、欠かせないピースがあります。マネージャーという存在です。彼女たちの思いを紹介する次回は9月1日公開予定です。