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齋藤は2021年から日本代表として世界の舞台に立ち、その経験をチームに還元している(写真提供・全て名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)

名古屋D・齋藤拓実の止まらぬ進化 貪欲に学び、バスケIQを磨き続け、世界の舞台へ

2022.03.30

“進化する選手”を見るのは楽しい。名古屋ダイヤモンドドルフィンズを牽引(けんいん)するポイントガード齋藤拓実(26)もまさにその1人だろう。目の前の階段を1つ上ったのは昨年の秋。長年の目標だった日本代表メンバーに選出され、“世界と戦う舞台”に立った。

昨年11月27日に行われたFIBAワールドカップ2023アジア予選Window1(中国戦)に続き、今年2月27日のWindow2(チャイニーズタイペイ戦)に出場。「プレータイムは短かったですが、合宿、試合を通して経験したことは間違いなく選手としての財産になると思います」と語り、名古屋に戻った今は「(代表で)得たものをいかにチームに還元していくか」が課題の1つにもなった。

Bリーグ2021-22シーズンも終盤にさしかかった3月、西地区3位に付ける名古屋がこのままチャンピオンシップまで走り切るのか。ゲームをクリエイトする齋藤の手腕に期待が高まる。

指揮官が定まらない中で奮闘した明治大時代

バスケットボールを最初に触ったのは何歳の時だろう。ミニバスチームに入った小学1年生の時より早く、小さな手はボールの感触を知っていたような気がする。「多分3歳か4歳ぐらいの頃ですね。バスケをやっていた4つ上の兄について行った体育館でボールを触っていたと思います。それからずっとバスケは身近にあって、それが当たり前みたいな感じでした」

ジュニアオールスターの神奈川県代表に選出されたのは中学2年生の時。進んだ桐光学園高校(神奈川)では2年生の時にインターハイ、ウインターカップでともにベスト8の成績を残した。なかでも4試合戦ったウインターカップでマークした26アシスト(平均6.5、大会アシストランキング2位)は、齋藤の名を知らしめると同時に本人の自信につながったに違いない。高校卒業後、更なるステップアップを目指して齋藤が選択したのは関東の名門・明治大学への進学だった。

齋藤は明治大時代、“大学No.1ポイントガード”と呼ばれていた

明治大は齋藤が入学する1年前のインカレで準優勝に輝いている。が、翌年司令塔としてチームを束ねていた安藤誓哉(現・島根スサノオマジック)が海外挑戦のために退部。それだけに入れ替わるように加入した齋藤への期待は大きかったと言えるだろう。だが、2年生を前にスタメンの座も見えてきた矢先、聞こえてきたのは「塚本清彦ヘッドコーチ(HC)退任」のニュースだった。齋藤は当時をこう振り返る。「自分を明治に誘ってくれたのは塚本さんだったし、その塚本さんがいなくなるというのはやっぱりショックでした。ただ今思えばそこから環境が大きく変わったというか、本当の意味で大変だったのはそれからでしたね」

齋藤が言う「本当の意味で大変なこと」とは、それ以降チームのHCが定まらなかったことを指す。2年生での3回の交代劇に始まり、指揮官の顔は毎年のように変わった。当然のごとく練習は選手主導となり、選手で話し合いを重ね試合に臨むという日々。上級生になればコーチ的役割も担わなければならず、背負う荷物はどんどん重くなった。

が、齋藤は「確かに大変ではあったけど、なかなかできない経験という意味では悪いことばかりではなかった」と言う。「塚本さんが退任した年の4年生は本当に大変だったと思います。でも、それを見ていた下級生の僕たちはコーチ不在のチームで上級生がやるべきことを学べたんですね。選手で話し合ってチームを作っていくというのも、今になれば貴重な経験だったなあと思えます」

ルカ氏と出会い「一つ視界が開けた」

U-24日本代表候補に選出された4年生の時には、当時A代表の暫定HCを務めていたルカ・パビチェビッチ氏(現アルバルク東京HC)の指導を受け、そこで学んだものをチームに持ち帰り練習に取り入れたという。「ルカさんの指導はディフェンスにしろピック&ロールにしろ、動きの一つひとつが計算されていて、それが全部理にかなっていると感じました。ああこんなバスケットもあるんだって衝撃を受けて、一つ視界が開けたというか、これまでの自分が変わるきっかけになったような気がします」

明治大4年生の時にルカ氏と出会えたことが大きなきっかけとなった

2017年、ルカ氏はアルバルク東京のHCに就任。そのアルバルクから特別指定選手のオファーを受けた齋藤は「これでまたルカさんの指導を受けられる」と胸を躍らせた。翌年、齋藤はアルバルクと正式な契約を交わし、念願のプロ人生をスタートさせることになる。

出会った良きコーチから貪欲に学びたいと思った

Bリーガーとなって5年、自分が歩んできた道を振り返ると「良きコーチに恵まれた」という思いが強い。19年に滋賀レイクスターズに期限付きでレンタル移籍した時に出会ったショーン・デニスHCは、「細部までこだわるルカさんのシステマチックなバスケットに少し自由さを加味したようなコーチ」であり、20年に「うちのトランジションバスケを一緒に進化させないか」と声をかけてくれた名古屋の梶山信吾HC(現アシスタントゼネラルマネージャー)は、「僕の持ち味を十分に理解してくれたコーチ」だった。

そして、2021-22シーズンは再びデニスHCとともに次なる高みを目指す。この数年で一気に花開いた感がある齋藤のプレーに目をこらすと、コーチの教えを貪欲(どんよく)に吸収していく姿が浮かんでくる。日本代表チームにおいても然り。

「トム(ホーバスHC)さんのコーチングはデニスHCと似ているなというのが第一印象でした。求められるものも似ているのでやりやすいというのはありましたが、同時にまだまだ自分を生かし切れてないなという思いもあります。例えば2月27日のチャイニーズタイペイ戦だと相手がゾーンを敷いた時、もう少し違うゲームメイクができたんじゃないかとか、練習にはないイレギュラーなことが起こった時も、もう少し対応できたんじゃないかとか。トムさんはとてもコミュニケーションが取りやすいコーチなので、自分の考えをしっかり伝えながら(トムさんが)求めるバスケットをより深く学んでいきたいと思っています」

Bリーガーとしてこれまで3つのクラブを経験し、その度に齋藤は様々な学びを得た

その言葉の前提にあるのは「次の代表にも呼ばれたい」という思い。「呼ばれたいですね。今回の代表活動で得た一番大きなものは“経験”だと思っているので、そこにまた新たな経験を積み重ねていきたいです」。その先にあるのは23年のワールドカップ、24年のパリオリンピック。「もちろん視野に入れています」と答えた口調は力強く、気持ちがいいほど迷いがなかった。

初のチャンピオンシップへ「全員で前へ前へ進んで行きたい」

そのためにも今やるべきことは「名古屋を勝たせるガードになること」。デニスHCが就任して1年目、外国籍選手も全員入れ替わったチームをいかに牽引していくかが命題となる。「シーズン前はもう少し時間がかかると思っていましたが、外国籍選手がフィットしてきたあたりからチーム状態が上向き、数字的にも昨シーズンを上回っています。ただ、個人的には課題は尽きません」

では、チームを勝たせるために生かしたい自分のストロングポイントはなんだろう。「今1番の強みとして挙げているのはバスケIQの部分です。例えば同じピック&ロールでも単なる2対2ではなく、全体の動きを把握していればより精度の高いプレーがクリエイトできます。そのために必要なのはバスケIQであり、その部分はちょっと自信があるところかなあと(笑)」。答えを聞きながらコート上の齋藤の姿を思い浮かべる。なるほど、齋藤の進化の秘密は自分のバスケIQを磨き続けるところにあるのかもしれない。日々学び、やるべきことは何があってもやり通すストイックなイメージ。「このイメージで合っていますか?」と尋ねたら、言葉に詰まった本人の横から「合ってます!」というスタッフの声が聞こえた。

今はただ「名古屋を勝たせるガードになること」が目標だ

コロナ禍で中止になる試合も多く、まだまだ厳しい状況は続くが、「心の準備を怠ることなく、全員で前へ前へ進んで行きたいです」と答える声はやっぱり力強くまっすぐだ。名古屋を率いるポイントガードは自身が初めてとなるチャンピオンシップを目指し、これからまたどんなプレーを見せてくれるのか。進化するその姿を見逃してはならない。(文・松原貴実)