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Presented by JBA/B.LEAGUE

岩手県大槌町に完成した3人制バスケットボールコート「花道パーク」(撮影・菊池敏治)

B.LEAGUE、選手会も支援 岩手・大槌町、東日本大震災の被災地域をバスケで町おこし

2021.10.29

東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県大槌町。今秋、この町にバスケを通じた新たな“希望”が生まれた。青とピンクに彩られた3人制バスケットボールコート「花道パーク」の誕生だ。10月23日に開催された「花道プロジェクト コート完成感謝祭」では、B.LEAGUE Hopeと日本バスケットボール選手会からコート脇に設置するベンチも寄贈された。感謝祭の様子とともに、関係者のインタビューをまじえて「バスケを通じた町おこし」のプロジェクトを紹介する。

被災した岩手・大槌町でバスケコートがオープン

2011年3月11日、岩手県内でもとくに甚大な被害を受けた沿岸部の大槌町。風光明媚な大槌湾はその姿を変え、高さ10mを超える津波が町にまで押し寄せた。人口の約1割にあたる1286人が犠牲(死者・行方不明者・震災関連死/2018年3月時点)になった――。

大槌町の海。この手前に巨大な防潮堤が造られている(撮影・大島佑介)

震災後、巨大な水門と防潮堤が造られた。町の土地がかさあげされ、徐々に民家や商店も並びはじめたが、まだ空き地も点在する。その一角に、子どもたちが笑顔でバスケを楽しみ、大人たちが笑顔でその光景を見守る場所ができた。それが、屋外の3人制バスケットボールコート「花道パーク」だ。

青とピンクに彩られた「花道パーク」にはゴールがふたつある(撮影・大島佑介)

2021年10月23日、晴れ渡った青空のもと「花道プロジェクト コート完成感謝祭」が開催された。日本バスケットボール協会関係者や岩手県バスケットボール協会関係者に加え、コート建設のためのクラウドファンディングを支援してきた日本バスケットボール選手会を代表し、先日現役を引退した小林慎太郎さん(元熊本ヴォルターズ)が参加。そして、コートの完成を祝して寄贈されたベンチは、「B.LEAGUE ALL-STAR GAME 2021 IN MITO」でB.LEAGUE Hopeと日本バスケットボール選手会が協力して実施したチャリティーオークションの売上を活用して製作された。全国のバスケファンの気持ちが大槌町に届いた形だ。

ベンチにはこのコートに来た人が休めるように、人々が集い交流できる場所となり、活動の記念となるようにという願いが込められている

式典のあとのバスケットボールクリニックでは地元のミニバスチームが、B.LEAGUE Hopeと日本バスケットボール選手会が制作したお揃いのTシャツを着用して参加。元プロ選手に技を教えてもらうとともに、バスケを楽しみながら防災・減災を学ぶプログラム「ディフェンス・アクション」で防災意識を高めた。隣接する釜石市の小学校に通いミニバスのキャプテンでもある山崎陽南子(ひなこ)さんは「気軽に来られるし、使いやすいコートとゴールだったのでまた来たいです。ディフェンス・アクションでも火事や地震、津波とか来てもどう行動すればいいのかわかったし、バスケをしながら楽しく覚えることができたのでよかったです」と言う。

10月23日のバスケクリニックに参加した山崎陽南子さん(撮影・大島佑介)

この式典のなかで、「このコートが大槌の宝となるよう、そしてみなさんの憩いの場になるよう、私たちも努力を重ねていきます」と挨拶をする女性がいた。

この「花道プロジェクト」の中心となった矢野アキ子さんだ。

「花道プロジェクト」のスタートまで

花道プロジェクトの中心となった矢野アキ子さん(撮影・浅野有美)

矢野さんは、大槌と遠く離れた広島県福山市で惣菜製造業を営んでいる。震災当時、津波被害の報道をみて大槌を訪れた。
「大槌に来たのは、震災後がはじめてです。何か少しでもできることはないかとひとりで震災ボランティアに参加したんです」

矢野さんは大槌の惨状を目の当たりにし、「復興には少なくとも10年以上かかりそうだな」と思った。ボランティアでは避難所の手伝いや炊き出しの手伝いなど、自分ができることを何でもやった。
「ボランティアでご飯を作るお手伝いもして、食料事情がいかに大変かということがわかったので、一度広島に戻り、5か所の避難所に一週間に一度お肉やいろいろな食料を送ることを2か月ほどしました」

その後、被災者が避難所から仮設住宅に移ることになったときに「これから私に何ができるのか」とあらためて大槌を訪れた。「大槌に新しく働ける場所をつくること」を考え、本業の惣菜製造業の経験をいかして小さなコロッケ屋のテイクアウト専門店をつくった。だが1店舗で3人ほど働くのが限界で、多くの雇用は生み出せない。そこで、「私が大槌で商売をつくっても限界がある。商売は地元の方に大槌を生かした商売をおこなっていただき、私がやるべきことはそのお店のために全国から大槌町に人を呼ぶことだ」と矢野さんは考えた。

ボランティアで片付けを手伝っていた民家の住所が桜木だった。矢野さん自身にバスケ経験はなかったが、「バスケをツールに、大槌に人を呼べたら」とアイディアが浮かんだ。

これが「花道コート」につながる、花道プロジェクトのはじまりだ。

コート開きでのテープカット。大槌町長や日本バスケットボール選手会の小林慎太郎さん(左から二人目)らバスケ関係者も参加(撮影・浅野有美)

「震災以降、腹の底から笑えたのははじめて」という言葉が原動力

矢野さんと県外のメンバー1人、そして大槌町のメンバー数名でプロジェクトは動き出す。
「2012年の5月に被災をまぬがれた地元の体育館でバスケの大会『第一回桜木杯』を開催してみたら、いろいろな地域の方が大槌に来てくれたんですね。大槌はバスケ文化があまりない土地だったのですが、それでも地元の方が『いろいろな地域の人に会えて、すごく楽しかった』とか『震災以降、腹の底から笑えて楽しかったのははじめてだ』と笑顔で話しているのがうれしくて」

広島県から大槌町まで約1300km。矢野さんはこの道のりを車で30往復以上してプロジェクトを進めてきた。バスケの大会は大槌町を中心に20回以上開催した。「花道パーク」をつくるためにクラウドファンディングにも挑戦し、500万円以上の支援をあつめた。大槌町や関係者と何度も協議し、矢野さんをふくめた「花道プロジェクト」のメンバーの熱意により、大槌町から無償の土地提供が決定した。

「私たちの力だけでは絶対にできなかったバスケットボールコートです。いまも自分たちがコートを作った感覚はなくて『作っていただいた、作らせていただいた』というのが本心です。これからが町おこしの本番。このコートとバスケをツールにして、いかに大槌に人を呼び込み地域活性につなげられるかが大切なので、より責任を感じています」

10月24日に開催された花道CUP。16チームが参加した(撮影・菊池敏治)

はじめて大槌を訪れてから10年。矢野さんは「仕事と花道プロジェクトのことしか考えていませんでした」と言う。現在は15名ほどが花道プロジェクトの中心になっている。苦労は計り知れないが、「濃い10年を過ごさせていただいています。プロジェクトのことばかり考えて、新しい方ともたくさん出会えて。大槌や釜石でもお店やスーパーに行くと、『あら、矢野さん』と声をかけていただくことも多くなりました(笑)。このコートを大槌の宝として、地元の方にも、県外の方にもいっぱい来てもらって、町おこしできたらと思います」

元B.LEAGUEプレイヤー・小林慎太郎の思い

日本バスケットボール選手会を代表して参加した小林慎太郎さん(撮影・浅野有美)

10年越しの思いで完成した「花道パーク」は、大人にとっても子どもたちにとっても新たな希望だ。

今回、コート完成感謝祭に参加した小林慎太郎さんは、はじめて「花道パーク」をみたときに「立派に整備された3人制バスケットボールコートができていることに、もう驚きしかありませんでした」と言う。

2020-21シーズンで現役を引退した小林さんは“ミスターヴォルターズ”とファンから愛され、バスケだけでなく社会貢献でも熊本に元気を与え続けてきた。2016年の熊本地震では支援活動の中心を担った。東日本大震災後には岩手県沿岸部のボランティアにも参加している。「選手会で来させていただいて、そのときに復興にまだまだ長く時間がかかるんだろうなと心を痛めたのを今でも覚えています」。10月23日の式典前にも、「花道パーク」横にある「大槌町文化交流センター」内で震災被害を伝える展示を、ひとり熱心に見ていた。

「震災のときの苦しみ、ありがたみ、つながりの大切さは熊本の経験もあるので身にしみて感じています。それに対しての復興していく勇気やパワー、希望、将来ある子どもたちが徐々にワクワクしていく感じもわかるので、大槌のパワーに勇気と希望を感じます。今日来て、夢ある町の姿をみて、活気をまた取り戻して頑張っていける、この大槌も熊本も日本を元気にできるんだという喜びを感じています」

バスケクリニックに参加した小林さんは大槌の子どもたちの姿にも希望を感じた。「夢ある子どもたちがバスケを楽しそうにやってくれたのが一番でした。このバスケ教室で彼らの心に残せたものがあると思うし、今日のこの時間が彼らのより深いところに入ってくれたらいいなと思います」

子どもたちに笑顔が広がるバスケクリニック(撮影・浅野有美)

小林さんは自分だからできること、そしてB.LEAGUEの選手やプロのアスリートができる幅を常に考えている。
「B.LEAGUEの選手をはじめ、プロのアスリートは社会貢献しなければという意識は常にみんな持っています。ただ、社会貢献に向けての動き方がわからなく、もどかしく思っている選手も多くいます。だからこそ僕は、『アスリートはこうすれば社会貢献できる方法があるんだよ』という提示ができる存在になれたらと思っています」


小林さんは、「東日本大震災や熊本地震をはじめ、僕ができることは発信すること。人が忘れないように発信し続けたい」とも言うが、これも花道プロジェクトと同じく、バスケットボールの力で町に人を呼ぶ、町おこしのひとつになる。矢野さんをはじめ、大槌町の関係者、多くのバスケ関係者、実際にコートを作った工事関係者など多くの人の思いが実り「バスケで町おこし」をはじめた大槌町は、これからの日本の地域活性のモデルケースのひとつになるだろう。