バスケ

連載: プロが語る4years.

ENEOS・林咲希1 全国とは無縁の小中時代、走る練習も「メチャクチャ喜んで」

林は福岡県糸島市出身。中学でもバスケに情熱を燃やす毎日を過ごしていたが、全国には届かなかった (c)W LEAGUE

今回の連載「プロが語る4years.」は、バスケットボール女子日本代表としても活躍する林咲希(26)です。大学時代は白鷗大学でインカレ日本一に輝き、2017年に卒業してからはENEOSサンフラワーズでプレーしています。4回連載の初回は銀メダルを獲得した東京オリンピックを振り返っての思いと、小・中学校時代についてです。

銀メダル獲得でオファー殺到、バスケに取材にフル稼働

「24時間テレビ」の募金リレーのランナーに抜擢(ばってき)され、「しゃべくり007」「炎の体育会TV」など人気番組の収録も控えている……。これは、とある日の芸能人のスケジュールではない。女子バスケ選手・林咲希のスケジュールだ。

「忙しすぎてビックリしてます! 今までインタビュー取材は何回も経験してるんですけど、ここまで取材が立て込んで忙しくなるのは初めてです。今は目の前のバスケットに集中しながらも(東京オリンピックを)振り返ることを繰り返していて、まあまあ大変ですけどいい経験にはなっています」

今となってはほとんど記憶が薄れてしまった昔の友人や元チームメートなどからも、ひっきりなしに連絡が入った。「元々、人の名前を覚えるのが苦手」と自覚する林は、特定できない相手から連絡がきた際は、正直にそのことを伝えた上で、一人ひとり丁寧に返信したという。オリンピックという世界最高峰の祭典、なおかつ自国開催の東京オリンピックで史上初の快挙を成し遂げるということは、それだけの影響力があるということを痛感した。

五輪前、状態が上がらない日々に不安を抱え

オリンピック準々決勝のベルギー戦。林は2点ビハインドで迎えた試合終了残り15秒に値千金の3ポイントシュートを決め、日本を初の4強入りへ導いた。自身最大の強みは、その3ポイント。大会を通しても35本中17本の成功、48.6%という高確率で3ポイントを射抜いて銀メダル獲得に貢献し、一躍時の人となった。

しかし大会前には不安があったという。「今までにない感覚。本当にどうしたらいいか分からなかった」。コンディションが悪い状態が1カ月ほど続いた。それでも林は、「どうにかプラスの力に変えていけるように、本を読んだりもしてメンタル面から改善していきました」と、練習以外でも今できることに取り組み、徐々にコンディションを改善。最後は「やり切るしかない」と自分に言い聞かせて大会を迎え、そして見事に役目を果たした。

「本当にバスケットが皆さんに注目される存在になったのかと思ってます。逆に『今までこんなに見られてなかったんだ』っていう気持ちもあります……。オリンピックを通して改めて日本のバスケットが世界に通用することが分かりましたし、個人としても3ポイントを多く決めることができて本当に良かったです。でも、裏返してみれば自分のプレーが世界に知れ渡ったことで、これから自分を止めにくる選手やチームが増えてくると感じています。なので、これからはその先にいけたらいいなと」

東京オリンピックで日本のバスケが世界に通用することを証明できた(撮影・杉本康弘)

世界に名を轟(とどろ)かせた日本のシューターは、自身初のオリンピックを経て現在は“その先”を見据えている。そんな林はどのような道を歩んできたのか。彼女の“その前”から紐(ひも)解いていくことにしよう。

三姉妹の末っ子は「とにかく走るのが好き」

林がバスケを始めたのは、ごく自然な流れだった。

「私の父が地元に雷山ミニバスケットボールクラブを創設したんです。姉2人も小学校2年生からそこでバスケットを始めたので、私も小2からミニバスに入りました」

福岡県糸島市出身、3人姉妹で育った末っ子。当時からシューターとしての片鱗(へんりん)をのぞかせていたわけではなく、とにかくバスケを頑張る女の子だった。しかし、小・中時代は全国大会とは無縁。ミニバスは地区大会で優勝できるかできないかというチームで、前原中学校(福岡)でも県大会には進めなかった。この事実を聞き、では中学校までは勝ちにこだわるというより、比較的楽しくバスケに励んでいたのか?と尋ねると、林は笑いながらも鋭く否定した。

「いや、必死になってやってたんですけど、負けてました(笑)。毎日きつい練習してたのに。小学校はとりあえず怒られることが多くて、そこでメンタルが強くなったと思っています。中学校は外ランが多くて、夏の練習だったら雑巾がけとかもやってましたね。でも……」

そのまま話しを続けた林の口から出た言葉に、意表を突かれた。「昔から走ることが好きだったので、走ることに関してはメチャメチャ喜んでました」。陸上選手ならそんなこともあるかもしれないが、これまで筆者が取材させてもらったバスケ選手から「走るのが好き」と偽りない表情で答える選手は初めてだった。

林は中学生の時、どの選手よりも楽しんでランニングに向き合っていた (c)W LEAGUE

走ることが好きな理由としては「昔からみんなより体力があったから」と林。これに関してはトレーニングをして培ったものではなく、「親から受け継いだもの」と捉えているようだが、小学校の頃は「2kmくらいの距離を走って登校して走って帰っていた」日々を過ごしていたという。このエピソードを聞いたことで、思わずこんなことが脳裏に浮かんだ。24時間テレビのランナーに抜擢されたのも、神様がくれたご褒美なのではないか、と。

中学までは決して実績があったわけではない林だが、卒業後は地元の強豪校である精華女子高校に進学。自身とも相性のいい「走るバスケ」をスタイルに掲げる精華女子で、林は初の全国の舞台に踏み入れることになる。

ENEOS・林咲希2 白鷗大でシューターに 「一生忘れない試合」で弱さを痛感

プロが語る4years.

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