選手がメディアに出る意義、「気づいたら41歳」の今も情熱を胸に 群馬・五十嵐圭4
今回の連載「プロが語る4years.」は、群馬クレインサンダーズの五十嵐圭(41)です。五十嵐は2003年に中央大学を卒業後、日立サンロッカーズ(現・サンロッカーズ渋谷)に所属し、Bリーグが開幕した2016-17シーズンからは地元・新潟の新潟アルビレックスBBで、そして2021-22シーズンはB1に昇格した群馬で日本一を目指しています。4回連載の最終回は1人のプロの選手としての思いです。
世界選手権で注目され、ドラマ出演に写真集も
中央大を卒業した五十嵐は、日立サンロッカーズ(現・サンロッカーズ渋谷)に入団した。日立が所属していた当時のトップリーグ「日本バスケットボールリーグ(JBL)」を構成するチームは、そのほとんどが実業団チーム。五十嵐も日立の関連会社の社員として、午前中は得意先の営業、夕方からバスケという生活を送り、4年目の06年にプロ選手になった。
Bリーグの試合が各地で多くの観客を動員し、様々なメディアで毎日のようにバスケの話題が露出する今から振り返ると、当時の日本バスケ界は驚くほどに小規模でこぢんまりとしていた。JBLのレギュラーゲームの来場者は、大勢の親会社の社員とわずかなファン。05年には日本初のプロバスケットボールリーグ「bjリーグ」が開幕し、多くの選手がプロとしてキャリアをスタートさせたものの、国内バスケ選手の認知は非常に低く、大手メディアへの露出もほとんどなかった。
その中にあって、日本で開催された06年世界選手権の主力かつ、抜群のルックスを誇る五十嵐は、唯一と言っていいほどメディア露出が多いバスケ選手だった。スポーツバラエティ「ジャンクSPORTS」ではダウンタウンの浜田雅功さんとの軽快なやり取りを披露し、バスケをテーマにしたドラマ「ブザー・ビート~崖っぷちのヒーロー~」では、多数のバスケ選手が出演する中でとりわけ長時間、目立つ起用をされていた。個人写真集を2冊も出した日本男子バスケ選手は、後にも先にも五十嵐しかいないのではないだろうか。
若い選手にこそどんどんメディアに出てほしい
現在は、こういった仕事を新規ファンを獲得するための重要な役割と捉え、積極的に協力する選手が増えたが、当時そのような感覚を持っていた選手はおそらく少数だっただろう。黎明(れいめい)期のバスケ界でこの役割を一手に担っていた五十嵐は、どのような思いを持っていたのか。そう尋ねると、五十嵐はたくさんの思いを言葉にした。
「当時、野球選手やサッカー選手でメディアに出る選手はいましたが、バスケットではそういう選手はいませんでした。ちょうどプロ契約になったタイミングで世界選手権が開催されたこともあり、大会前後にはたくさんのメディアの取材を受けましたが、『バスケットを知らない人に興味を持ってもらえるメディアの力ってすごいんだな』と実感しましたね。最近も、メディア関係の方から『バスケはよく知らないけれど五十嵐さんのことは知ってるという方がたくさんいるんです』という話を聞きました。ドラマに出たり写真集を出したり、当時はもちろん賛否両論がありました。でもプロ選手として、コートの中で結果を残すことはもちろん、少しでも『あの選手知ってる!』って思ってもらえるきっかけになりたいと思っての活動なので、『嫌だな』とか『大変だな』とは思っていません。バスケットに少しでも興味を持ってくれる人が増えるため、自分ができることがあればどんどんやっていきたいといつも思っています」
五十嵐の話は、現役Bリーガーへと移る。
「Bリーグが開幕して選手のメディア露出は増えてきましたけど、積極的にそれを行っている選手ってあまりいないと思うんです。オファーがあっても断ってるだけかもしれませんが、“たくさんメディアに露出する”というところで個性を発揮する選手がもっと出てきてもいいのかなと思いますね。メディアの方とお話しすると、日本バスケット界に対する世間の認識は今でも田臥勇太(宇都宮ブレックス)なんだと痛感します。勇太が圧倒的で、次に八村塁(ワシントンウィザーズ)、渡邊雄太(トロントラプターズ)、富樫勇樹(千葉ジェッツ)と続く感じ。今がキャリア全盛期の日本代表選手を、世間がどれほど知っているか……。まだまだバスケットはメジャーじゃないんだなと感じますね。先程も話したように、僕は今でも、求められればできるだけいろんなことをやっていきたいと思っていますけれど、かつての僕のような若い選手が出てきてもいいのかなって思ったりはします。41歳のおじさんが出るよりは、20代が出た方がいいじゃないですか(笑)」
コートとは別の場所でバスケ界を盛り上げる、 “第二の五十嵐圭”の登場が楽しみだ。
40分間フルで戦う準備は今もしている
大学卒業から20年が経とうとする今でも現役を続けている未来を、五十嵐は「全く想像していませんでした」と笑って振り返る。「僕が大学を卒業して日立に入団した頃、30を過ぎたあたりで引退して社業に入る人がほとんどだったので、僕も35くらいで引退するのかなと思っていました。そこからプロになって、折茂武彦さん(現レバンガ北海道社長)のような先輩のおかげで『40くらいまでやれるかな』って思うようになって、気づいたら41歳という感じです」
人の世はいつでも諸行無常。年を重ねるごとにベンチを温める時間が増え、プレーヤーからメンターとしての役割に移行していくのがアスリートの宿命であるが、五十嵐はまだその役割に収まるつもりはないという。
「コートに立てば40代だろうが10代だろうがライバルだと思ってますし、ベテランだからといってベンチに長く座るつもりはありません。あくまでコートでプレーするのがプロ選手。毎年、例え40分間プレーし続けることになっても戦えるだけの準備をしていますし、自分がベンチに長く座って結果が出たとしても納得できないと思いますね。自分がB1初挑戦のチームを引っ張り強くするという思いで群馬に来たんですから」
後輩たちに言葉で何かを諭すタイプではない。「コート上で信頼を勝ち得れば、存在自体が大きなアドバイスになる」というのが持論だ。不惑を越えてもなお、自分の半分程度しか生きていない若者たちと本気で戦うことを選択した五十嵐の存在は、まだ始まったばかりの群馬の未来をどう変えていくだろうか。