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連載: プロが語る4years.

プロ選手になるため明徳義塾高へ、甘えん坊の末っ子が変化 茨城ロボッツ・平尾充庸1

2020-21シーズン、平尾は主将としてチームを支え、初のB1昇格に貢献した(写真提供・B.LEAGUE)

今回の連載「プロが語る4years.」は、2020-21シーズンにB2リーグプレーオフで2位となった茨城ロボッツの主将・平尾充庸(あつのぶ、32)です。大学時代は天理大学でプレーし、2017年から茨城ロボッツで戦い、Bリーグ開幕以来初となるB1昇格をつかみました。4回連載の初回はバスケットボールとの出会い、明徳義塾高校(高知)時代についてです。

小学生の時から夢は「プロのバスケット選手」

2020-21シーズンのB2王者を争うファイナルでは、今季のレギュラーシーズン最多勝率(.912)を誇る群馬クレインサンダーズと対戦。結果は1勝2敗で頂点には届かなかったが、スイープ(全勝)を阻止した粘り強いバスケにファイナリストの意地が見えた。中でも目を引いたのは主将を担った平尾の存在感だ。第1戦でマークした31得点もさることながら、仲間たちを大声で鼓舞(こぶ)し、最後まで貫いた諦めない姿勢に拍手したファンは多かったに違いない。5つのクラブを渡り歩いた苦労人だが、コートの外では人懐っこい笑顔が印象的な32歳。これまでのキャリアを語る口調は明るく、ユーモアあふれる言葉の端々からは変わらぬ“バスケ愛”が伝わってきた。

徳島県徳島市出身。3つずつ離れた兄が2人いる3人兄弟の末っ子として育った。にぎやかで笑いが絶えない家族だったという。

「兄ちゃんが2人ともバスケをやっていたんで僕も小学1年生からミニバスのクラブに入ったんですけど、ほんとはバスケよりサッカーをやりたかったんですね。けどオカンから『あんたがサッカーやったら送り迎えとか応援とかが大変になるからバスケをやってくれ』と言われて、じゃあしゃーないなあと(笑)。けど、すぐにバスケが面白くなりました。4年生、5年生で2回全国大会に行ったんですけど、そのころにはもうどっぷりハマっていましたね。何しろ6年生の卒業文集に『将来の夢はプロのバスケット選手になることです』と書いたくらいですから。すでにプロになる気満々でした(笑)」

当時から運動能力とシュート力は群を抜いていた。中学2年生でジュニアオールスターメンバーに選出されると、3年生で全国中学生大会出場も果たす。学校が終わった後や休日には家の庭で兄たちとバスケの練習をする時間は楽しく、いつか自分の夢が叶(かな)う日がくるような気がした。夢の入り口が見えたのは漠然と進路を考え始めたころだ。

「プロのバスケット選手」という夢を叶えるため、全国大会に出場できる高校を目指した(写真提供・B.LEAGUE)

「ある日、学校から帰ってきたら玄関に見慣れないデカい靴が2足並んでいました。高知県にある明徳義塾高校の偉い先生とバスケット部の顧問の先生がいらしてたんです。どうやら僕をバスケット部に勧誘するためにわざわざ訪ねてくださったみたいで、真っ先に『君の目標は何?』と聞かれました。僕の夢はバスケのプロ選手になることで、そのためには強いチームに入って全国大会に出るのが目標ですと答えると、うん、うんとうなずいて、『全国大会に行くためにはまず四国大会を突破しなきゃいけないよねえ』と、おっしゃる。で、先生は次に明徳義塾の最強の切り札を出されました。『うちにはファイ サンバ(現・熊本ヴォルターズ)という205cmの留学生がいるんだよ。彼と一緒に四国を突破して全国を目指さないか』。205cmの留学生……。僕の気持ちが決まったのはその瞬間です。翌日には学校でアリウープのパスを練習してましたから(笑)。けどやっぱり、ちょっとは自分なりの覚悟もありました。先生たちが帰られた後、風呂場でオカンが泣いてるのを見たんですね。末っ子の僕の進路が決まったことがうれしかったのか、寮に入るために家を出て行くことが寂しかったのか、とにかくオカンの涙を見た時、これはもう頑張らなあかんぞと思いました。何があっても頑張らなあかんぞって」

高校で与えられたポイントガードの仕事

明徳義塾には新入生たちのための“お試し期間”が設けられている。いわば学校のルールやクラブ活動のルールに慣れるための期間で、寮生たちは6時半に起床して寸分の乱れなく布団を畳むことからスタートし、22時半には消灯となる規則正しい生活に少しずつ慣れていく。「この期間中は先生や先輩から怒られることはないし、厳しいことも一切言われません」。ただし、お試し期間はきっちり1カ月だ。

「1カ月が過ぎた時から部活の厳しさが一変しました。待っていたのはこれでもかというほどハードな練習が続く地獄の日々です。声出しから始まる練習はとにかくきつい。しかも先生がいない時の方がもっときつい。キャプテンと3年生が仕切るんですが、絶対手を抜かないんですね。先生が不在だからこそ余計に手を抜かない伝統というか、意識というか、そういうのが受け継がれているんですよ。だから明徳の練習には『さぼる』という文字はありません(笑)」

1年生でスターターに抜擢(ばってき)された平尾は、3年間を通してインターハイ、国体、ウインターカップと全ての主要大会に出場した。最高成績は1年生の時の国体3位。2年生ではウインターカップでベスト8まで進んだ。この3年間で得た最も大きなものは「ポイントガードの基礎をしっかり身に付けられたこと」だという。

高校になって初めてポイントガードというポジションを与えられ、基本から徹底的に学んだ(写真提供・B.LEAGUE)

「中学まではこれというポジションを与えられないまま、点を取ればアシストもするみたいなプレーをしていたんですけど、高校になって初めてポイントガードというポジションをもらいました。先生に言われたのは『おまえはこれから大学に行ってプロの道を目指すつもりなんだろうが、多分もう身長は伸びないぞ。身長が伸びないなら考える力を伸ばせ』ということです。そこからポイントガードの基本を徹底的にたたき込まれました。ゲームコントロールやゲームメイクはもちろんですけど、僕が1番大きいと感じたのはディフェンスとのかけひき、スクリーンのかけ方、使い方。本当に基本中の基本なんですけど、ポイントガードにとって絶対不可欠なもの。ここで学んだことは自分の基盤になって今も役立っています」

そして、もうひとつ。3年間の厳しい寮生活は甘えん坊だった末っ子の意識も変えた。1年生の夏に帰省した時のこと。朝食後に友だちの家に遊びに行っていると母から電話が入った。何事かと思って出てみると、聞こえてきたのは興奮した母の声。「ちょっ、ちょっと、あんた布団畳んでるやん!」。平尾は笑ってこう答えたそうだ。「オカン、それ、もう普通よ」

プロが語る4years.

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