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仙台89ERSの強心臓ルーキー渡辺翔太 背中を押してくれた明大の仲間に恩返しを

渡辺は明治大学時代に“乃木オタハンドラー”という異名をつけられた(写真提供・B.LEAGUE)

「今回のプレーオフで全て経験した気がします……」

仙台89ERSでの2季目を終えた渡辺翔太(22)は、苦笑いで答えた。2020-21シーズンの仙台はB2優勝・B1昇格を目指して初のプレーオフに挑んだものの、結果は4位。渡辺はその初戦でチームを救う逆転のブザービーターを決めたが、昇格に王手をかけられた試合の最終盤ではチームを救うビックショットを決められなかった。

チームの運命を分ける局面で自らのシュートを決断した強心臓ルーキーは、悔し涙でシーズンを終えた。だが、「来シーズンはうれし涙で泣き崩れるイメージができています」と、すでに青写真を描いている。

“乃木オタハンドラー”開花の1年 明大・渡辺翔太
熱きバスケットマンの新たな挑戦 仙台89ERS GM志村雄彦・1

柔道でも負けたら泣くような根っからの負けず嫌い

姉と妹に挟まれた3人きょうだいの長男。栃木県大田原市出身の渡辺がバスケットボールにのめり込んだのは小学校5年生の時だった。

「小5までは地元のサッカーチームに入っていたんですけど、休み時間に誘われて外でバスケをやったらすごく楽しくて。そのままハマってしまったので、ミニバスに入ることにしました」

年中から小学校卒業までは柔道にも打ち込み、ここで身につけた“受け身”の技術が今のバスケ人生においても十分に生かされているという。「例えばレイアップにいった時にファウルを受けて、そこから変な体勢で落ちても落ち慣れていますし、けがしたこともほとんどないです」

柔道で学んだが受け身は、バスケ選手になった今にも生きているという(写真提供・B.LEAGUE)

「幼稚園の頃から闘争心むき出しでした。柔道でも負けるたびに悔しくて泣いてましたね」と言うほど、根っからの負けず嫌い。そんな性格もあってか、渡辺の最大の強みは身長168cmながら大男たちに臆せず立ち向かうリングへのアタックだ。これは今も昔も変わらないが、そのダイナミックなプレーは大学時代に大きく花開いたものと言える。

自分を変えたストリートボールとの出会い

高校の恩師からの勧めもあり、宇都宮工業高校(栃木)から明治大学へ進学した渡辺。入学時には4年生に齋藤拓実(現・名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)という絶対的な司令塔がいたが、渡辺は控えガードとして1年目の関東トーナメントから出場機会を得て、2年生の新人戦では主将を担った。しかしその新人戦では拓殖大学に敗れ、2回戦敗退。57-92。思わぬ大差がついた。

「このままではダメだ」「もっとうまくなりたい」。この大敗を機に脳裏にはそんな感情がぐるぐると巡り、渡辺は自らアクションを起こした。

「スキルコーチのMARKさんという方に、TwitterのDMで『ワークアウトお願いします』と送りました」

MARKさんとは、明星大学でもスキルコーチを務めている貝島大一郎さん。渡辺はこのワークアウトによってドリブルスキルを中心にシュート、パスにも磨きをかけ、徐々に自信をつけていった。2019年の年明けからは大学生とストリートボーラーが勝負を繰り広げる「TOKYO STREETBALL CLASSIC(TSC)」、ハーフコートの3対3形式で行われる「SOMECITY」にも出場。キレキレのボールハンドリングとクイックネスで観衆を沸かせ、自身の価値を高めていった渡辺は当時をこう振り返る。

「この頃からストリートボールに顔を出す機会が増えて、実際にワークアウトの成果が出ましたし、個人的にもインパクトを残せた感覚がありました。ストリートの方たちって結構イケイケというか、自分のマインドを持っている方が多いので、そういう部分でも影響されて自信がついたんだと思います」

大学で関東2部降格も、仲間に支えられプロ入りを決断

3年生の時には、その確かな自信もあってか、渡辺の顔つきにも変化が現れた。そして、最終学年を迎える前の昨年2月に仙台89ERSとの特別指定選手契約を結び、それ以降は明治大バスケ部を休部する形でプロの世界へと踏み入れた。実はこの選択にも、MARKさんの後押しがあったようだ。

「『TSC』が終わった後、アメリカのトレーニングキャンプにも1週間くらい参加させてもらって、アメリカでは早い段階で大学からプロに行くのが当たり前だってことを肌で実感できました。もちろん、大学バスケを最後までやり遂げることはすごく重要だと感じていたんですけど、1年早くプロキャリアを始めることで大学では得られないものを早く吸収できると思いましたし、MARKさんにも『お前は早くプロでやった方がいい』と言われて、ちょっとずつ考えるようになりました」

アメリカのトレーニングキャンプに参加したことで、プレーだけでなく考え方にも刺激を受けた(写真提供・B.LEAGUE)

こうしてBリーグへ進む道が開けたのだが、この年の明治大は関東リーグ戦を11位で終え、2部への自動降格が決まっていた。「自分中心のチームだった」と認める渡辺は、ひとり責任を感じていた。「自分が2部に落としておいてプロへ行くのはどうなのかという不安がありましたし、チームメートから冷たい視線を浴びる覚悟はしていました」。しかし仙台入りを報告した際、仲間からもらったのは「行った方がいい」という言葉だった。

「気持ち的にもすごく楽になりました。そう言ってくれたことで成功しなきゃという思いが強くなりましたし、この選択が間違っていなかったことを証明して、みんなにとってもプラスになるような存在になりたいと思いました」

なりたい姿に向かって「自分から動く」

高校3年生からハマった「乃木坂46」の影響もあり、大学時代には「CSpark」から“乃木オタハンドラー”という異名を付けられた。これについては「いろんな場所で自分を知ってもらうきっかけになるのでありがたい」と今でも感謝しているようで、「試合会場では(推しメンの)齋藤飛鳥さんのタオルや顔写真のパネルを掲げてくれるファンの方もいます」と渡辺はうれしそうに話す。

前述の通り、今季のBリーグでは望んだ結果は残せなかったが、22歳のポイントガードはプレーオフの全7試合で先発を務めるまでに成長した。西宮ストークス戦での劇的弾、茨城ロボッツとのGAME2で決めきれなかった2本のフリースローと最後の3ポイントについては、「今後も一生忘れずにプレーしていくんだろうなぁ」と悔しそうに話した渡辺。でも、この経験は大学3年生の時にプロ入りを決断したからこそできたと言えるだろう。

「大学生は卒業後にプロに行く人もいれば就職する人もいます。考え方は人それぞれありますけど、この4年間は充実していないと絶対に損をすると思うので、『自分から動く』ことはすごく重要になると思います」

「自分から動く」という意識で渡辺(右)は行動してきた(写真提供・B.LEAGUE)

大小問わず目標があるのなら、それに向かって自ら動く。渡辺翔太はそうやって自分の道を切り開いてきた。バスケを始めた時も、うまくなりたいと思った時もそうだった。では、これからはどうなりたいのか?

「こうして自分がプロに行くことを後押ししてくれた仲間やスタッフのためにも、バスケットで恩返ししていかなければならないと思っていますし、今の大学生にも刺激を与えていきたいです。プレーでは勝負強さを鍛えることはもちろんですけど、キャプテンの月野(雅人)さんのようにコートの中にいるだけで安心感を与えられるような存在感になりたいです」

ほんの数年前、大学界のネクストスターと言われた背番号15は、過去を凌駕(りょうが)し、日本バスケ界のネクストスターになろうとしている。

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