大学バスケ

超強豪・青学大の“洗礼”、バーベルが相棒だった 名古屋D安藤周人(上)

安藤は青山学院大在学時に名古屋ダイヤモンドドルフィンズへ入団し、昨秋、中国で行われたワールドカップにも出場した(写真提供・名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)

Bリーグ屈指の好シューターとして活躍し、名古屋ダイヤモンドドルフィンズのエースとしてチームを引っ張り、昨年秋には日本代表に選出され、中国で行われたワールドカップに出場。大学卒業から3年のうちに目覚ましい活躍を挙げている安藤周人(しゅうと、25)の礎となっているのが、大学バスケットボールの名門・青山学院大で過ごした日々だ。そんな日々を振り返り、大学時代に安藤が学んだことを2回に亘(わた)って紹介する。

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長谷川健志氏に見初められ、初めて大学バスケを考えた

県立四日市工業高校(三重)に入学したときの安藤は、身長178cmの、ごく一般的な“いい選手”だった。しかし、2年足らずで身長が190cm近くまで伸びたことで、「身体能力の高い長身フォワード」と全国的な注目を集めるようになった。高校3年生のときにはU18日本代表候補にも選出され、この合宿で青学大ヘッドコーチの長谷川健志氏(現・同大アドバイザー)に見初められた。

当時の青学大は、大学バスケ界の頂点に君臨する存在だった。橋本竜馬(現・レバンガ北海道)、辻直人(現・川崎ブレイブサンダース)、比江島慎(現・宇都宮ブレックス)といった日本屈指の好選手たちを徹底的に鍛え上げ、タフかつシステマティックなスタイルで勝ち星を重ねていた。しかし安藤は、青学大がどんなバスケをするのか、とくにどんな練習をしているかをほぼ知らないまま入学した。

四日市工業時代にはU18日本代表候補にも選出された(撮影・青木美帆)

安藤を語る上で、すでに定番となりつつあるエピソードを紹介したい。彼は高校3年生の6月ごろまで地元企業への就職を希望しており、大学で競技を続ける気がなかった。日本の3本の指に入るような強豪大学から勧誘されるレベルの選手で、安藤のような選手は非常に珍しい。もし青学大からの誘いがなければ、いまの安藤はほぼ確実にいなかっただろう。

そんな調子だったため、安藤には青学大はおろか、大学バスケの予備知識がまったくなかった。

「6月の東海大会が終わった後、長谷川さんがうちの高校まで練習を見に来てくれたんですけど、青学が強いとか、長谷川さんがすごい人とか、まったく知らなくて……。家に帰って、親に『青学から話がきたよ』と報告したときにやっと、半年くらい前にテレビで青学の試合を見て、『こんな大学から声がかかったらいいのにね』って冗談半分で話していたことを思い出したくらいです」

入学前に始まった“鬼軍曹”とのマンツーマン

3月初旬、同期とともに青学大の練習に合流した安藤は、誰よりも先に、この超強豪チームの“洗礼”を受けることになる。すなわち、日本一きついと恐れられていたフィジカルトレーニングだ。

「チームに合流した2週間後ぐらいにけがをしたら、トレーナーの吉本完明(さだあき)さんに『(5月の)関東選手権は無理してエントリーすることはない。お前はまず体を作ろう。俺に任せてくれ』と言われて。そこから地獄のトレーニングが始まりました」

チームメートが体育館で汗を流している間、安藤はトレーニングルームで、吉本さんとほぼマンツーマンでトレーニングに励んだ。朝もトレーニング、昼もトレーニング、晩もトレーニング。大学界では“鬼軍曹”とも例えられる吉本さんに、常に限界まで追い込まれる日々が2カ月も続いた。相棒は、もはやバスケットボールでなくバーベルだった。安藤は当時の心境を「僕だけ牢屋に入れられたみたいだった」と表現する。

「当時はガリガリだった上に、本格的なトレーニングを一度もやったことがなかったので、本当に地獄のようでした。トレーニングしながら『ラガーマンでも目指してんのかな?』って思うことも(笑)。毎日、筋肉痛の状態でトレーニングしていたら、気づいたら体中がバッキバキに鍛えられていて、大学デビュー戦になった(6月の)新人戦では、連戦なのに高校のころより疲労が残らなくなっていました」

合流当初、安藤は先輩たちの信じられないほどの体の強さに面食らったという。その理由がこのトレーニングにあることを、身をもって思い知った。

「ホンマ死ぬかと思いました」

いまでこそポジティブに振り返られるが、当時の安藤はかなり参っていた。同期たちが練習の中でチームスタイルに慣れ、先輩たちとコミュニケーションを深めていく中で、自分はいつも一人でトレーニング。孤独感とあせりにさいなまれた。

何より苦しんだのが、新生活への適応だ。19時から始まる練習を終えて、大学を出るのは23時ごろ。最寄り駅の牛丼屋で食事をしてから帰宅すると、たいてい0時を過ぎていた。19時半に帰宅してすぐに夕飯→入浴→就寝という、実に健康的な生活を送っていた高校時代とはまったく異なる日々。安藤は大きなストレスを感じていた。

入学時は78kgだった体重も、3年生の冬には92kgまで増量。徹底的に体を作り上げた(撮影・青木美帆)

安藤は大学4年生のときに、当時のことをこう振り返っていた。

「三重を出る前から、本当に生きていけるんだろうかっていうくらい不安で。実際に来てみても、お金の使い方も分からないし、何を食べたらいいのかも分からないし、次の日の授業が1限からだと全然寝られないし……。ホンマ死ぬかと思いました」

これまでに多くの大学生を取材してきたが、一人暮らしに生命の危機まで感じたと話したのは、いまのところ安藤ただ一人だ。

「あの1年目がいまの僕の始まり」青学大での苦悩を力に 名古屋D安藤周人(下)

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