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連載: プロが語る4years.

指導者の不在、代表で培った技術を明大の仲間に伝え 齋藤拓実3

齋藤は明治大で過ごした日々を「壮絶な4年間だった」と振り返る(写真提供・明大スポーツ新聞部)

連載「プロが語る4years.」から、男子プロバスケットボールのBリーグ「滋賀レイクスターズ」の齋藤拓実(24)です。明治大時代には“大学No.1ポイントガード”と呼ばれ、2018年春に卒業後はアルバルク東京へ進み、19-20シーズンは期限付き移籍した滋賀で戦いました。4回の連載の3回目は、明大で直面した危機についてです。

感謝を胸に、桐光学園の仲間と目指した日本一 齋藤拓実2

指導者が何度も入れ替わり、チーム内に不安が募った

「大学時代はどんな4年間でしたか」。単刀直入に尋ねたこの言葉に、齋藤は思わず苦笑いを浮かべた。「振り返ると、やっぱりコーチのこととかがあって、なかなか壮絶な4年間だったなと……」

「1年生のころから、ある程度は試合に出させてもらっていた」と、まずまずと言える大学バスケ生活のスタートを切った。しかし2年目を迎える前に、自分を明大に誘ってくれた塚本清彦ヘッドコーチ(HC)がチームを去ることになった。そこから、徐々にチームの雲行きが変わっていく。齋藤の言う「コーチのこと」とは、2年目から毎年指揮官が代わっていったチーム事情のことである。しかも、その指揮官はHCや監督という肩書きではあったが、しっかりと戦術などを指導してくれる存在ではなかった。

「2年生のときはHCを含めて3人くらい代わって、3年生のときも代わって、4年生でも代わって……。4年目の僕らの代はHCがほぼいないという状態でしたね」

齋藤は思わず額に手をやった。バスケに限らず、指揮官が入れ替わることはざらにある。大学スポーツ界では、学生コーチが指揮しているチームも少なくないだろう。しかし、これだけ激しく指導者が代われば、選手たちはモチベーションの維持に苦労し、不安やストレスも溜まる。

「大学2年生のときが一番チーム内がゴチャゴチャになってしまった感じでしたね。全然まとまってなかったです」。それでも試合は春のトーナメント、新人戦、秋のリーグ戦、インカレと控えている。チームづくりは4年生が中心になり、選手同士で意見を出し合いながら苦難に立ち向かった。

アルバルク・ルカHCと出会い「度肝を抜かれた」

そんな状況でも、齋藤が2年生だったときは秋のリーグ戦で5位、インカレでは6位となった。「不安で仕方なかったですけど、4年生が結束してチームをまとめてくれました」。齋藤はいまでも感謝している。「当時から『4年生はしんどいぞ』って先輩たちに言われていましたけど、自分の代でもそれは痛感しました」

3年生のときにはチームは思うように成績が伸びなかった。秋のリーグ戦では2部との入れ替え戦へ(2戦先勝方式)。江戸川大と対戦し、1勝1敗で迎えた最終戦を72-53で勝利。2部降格は逃れた。

しかし上級生になると、齋藤は常に注目されるポイントガードになり、学生選抜やU24の日本代表メンバーにも選出された。現在、アルバルク東京で指揮を執るルカ・パヴィチェヴィッチHCと出会ったのも、この時期だったという。「ある意味、アルバルクにいくことを決めたのも、このときの出会いがあったから」とも語っている。

「大学3年生の終わりごろから代表に呼ばれ始めて、候補合宿のときに当時(テクニカルアドバイザーとして)代表を指導していたのがルカHCでした。ルカHCは主にフル代表を見ていたんですけど、合宿中に教わる機会がありました」

ルカHCの指導法は、大まかに言えば「非常に厳しくて細かい」ことで有名だ。当時の齋藤も「ディフェンスの強度のこともそうですけど、オフェンスでのスペーシングだったり、ポジショニングだったり、アングルだったり、本当に隙(すき)のない感じでした」と驚かされた。

「度肝を抜かれた」。そう感じた一方で、「なるほどな」とも感じる部分もあったという。「けっこう理にかなった指導だったので分かりやすかったです。僕が(明大)チームに持ち帰っても伝えやすかったですね」

チームの絶対的司令塔として、発言もプレーも

明大に戻れば、再び自分たちでチームづくりに励む日々が待っている。大学4年生、名実ともに齋藤は明大の絶対的司令塔、そしてチームの中心になった。前述の通り、HCが代わる。「4年生はしんどいぞ」。数年前に先輩から聞いた言葉が蘇(よみがえ)る。そのころにはもう、先輩たちから受け継いだものを実行するだけだった。

代表活動で得た学びや体験は明大の仲間たちへ積極的に伝えた(写真提供・明大スポーツ新聞部)

「僕がけっこうガツガツ言っていました。同期の吉川(治耀、現・埼玉ブロンコス)と宮本(滉希、現・青森ワッツ)は、試合に出て背中で引っ張るタイプだったので、当時キャプテンだった松本(大河)とかとよく話しましたね。後輩とも仲がよかったですけど、嫌われてしまうんじゃないかという思いもありましたし、できるだけ理不尽にならないようには気をつけていました」

齋藤は代表活動で得たこと、コーチ陣から教わったことをできるだけ持ち帰って、共有できる部分はチームに落とし込んだ。「このときに得た知識量は、僕のバスケット人生の中でとてつもないものでした」という言葉に、当時の苦労が伝わってくる。コーチから指導を受けるという、一般的に見ればごく当たり前の感覚が、当時の齋藤にはとても大きくて、ありがたいことだったのだ。

「やっぱりHCがいるのはいいなぁ」

齋藤はしみじみと、そうつぶやいた。

どんな状況でも仲間と楽しむ気持ちを忘れないで 齋藤拓実4完

プロが語る4years.

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