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連載: プロが語る4years.

新天地で開花した世代No.1ガード 齋藤拓実1

齋藤は19-20シーズンに注目を集めた選手の一人だ(提供・B.LEAGUE)

連載「プロが語る4years.」から、男子プロバスケットボールのBリーグ「滋賀レイクスターズ」の齋藤拓実(24)です。明治大時代には“大学No.1ポイントガード”と呼ばれ、2018年春に卒業後はアルバルク東京へ進み、19-20シーズンは期限付き移籍した滋賀で戦いました。4回の連載の1回目は、バスケとの出会いや小・中学校時代についてです。

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新天地で狙い通りの飛躍

19-20シーズンのBリーグでブレイクした選手は誰か。筆者は真っ先に24歳のポイントガードが浮かんだ。齋藤拓実。類いまれなバスケセンスを持ち、大学時代から秀でた才能を見せつけた逸材は今季、Bリーグで輝きを放った。

明大4年生の在学中から加入したアルバルク東京では、在籍2シーズンでリーグ2連覇を達成。この上ない経験を味わった。齋藤にとっては人生初の日本一、しかも2年連続である。当然、「すごくうれしかった」という気持ちはあったが、プロ入り間もない齋藤は強豪クラブで出場機会を得るのに苦しんだ。「もちろん学べたものはありましたが、プレータイムに限りがあったのでその中で結果を出さなきゃいけないのはすごく難しかったです」

アルバルク東京での2シーズン目が終わるころ、齋藤は一つの決断をした。「プレータイムを求めてアルバルクから出る」

期限付き移籍という形で新天地に選んだのは、滋賀レイクスターズ。齋藤が加入する前の滋賀は、Bリーグ発足から毎シーズンB1残留争いを強いられてきたチームだ。アルバルク東京では2シーズンで一度も先発出場がなかったが、この移籍を機に滋賀では開幕から先発の座を勝ち取ると、新型コロナウイルスの影響で3月27日、シーズン中止が決まるまでのレギュラーシーズン全41試合に先発出場を果たす。平均プレータイムは昨シーズンの11.6分から25.6分に伸び、平均得点は3.6点から13.0点、平均アシストは2.0アシストから5.4アシストと、見事に指揮官の期待に応えてみせた。

キレのある動きから味方へ多彩なパスを出し、自らシュートをねじ込む勝負強さもある。19-20シーズン、試合を重ねるごとに伸び伸びとプレーする背番号2を見て、ふと思ったことがある。「大学時代に戻ったな」。プロの世界でレベルアップした選手に対して、この表現は失礼に当たるかもしれない。でも、それが素直な感想だった。

少年時代は「めちゃくちゃヤンチャだった」

「4つ上の兄がミニバスをやっていて、そのチームのコーチが父親だったんです。その影響で小さいころからバスケットはしていました。記憶があるのは5歳ごろですけど、3、4歳くらいからボールを触っていたと思います」

物心がついたとき、齋藤にはすでにバスケがあった。保育園のころから小学生に交じって練習に参加していた甲斐(かい)もあり、小学3年生になるころには上級生らと一緒に公式戦にも出場していたという。「当時はどんな少年だったか」と尋ねると、「めちゃくちゃヤンチャでしたよ。目立ちたがり屋でしたね」と笑って答える。それはバスケだけでなく、普段の学校生活でもそうだった。

「小学校4、5年生くらいのとき、箱根に遠足に行ったんですけど、そういうときって学校側が写真を撮ってくれるじゃないですか。後日、その写真が学校に貼り出されて、親とかも見に来てそれぞれ欲しい写真を選んでもらう、みたいな。僕、写真に写りすぎて確か50枚くらい写っていたんですよ(笑)。女の子が2人組でピースしているその後ろからがんばって顔だけ出しているとか。僕がメインで写る分にはいいんですけど、他の人を邪魔しているのがいっぱいあったので、母親にめちゃめちゃ怒られましたね。『写りすぎだよ』って」

ときに繰り出すビッグプレーの源

神奈川県出身、小・中学校時代は地元のミニバスチーム「柿生レッズ」と市立白鳥中学校でバスケに打ち込んだ。小さいころからずっとポジションはポイントガード。中学時代には当時の顧問となかなか反りが合わず、部活をやめたいと思ったこともあったが、それでも「将来はバスケットボールの選手になりたい」と、漠然と思っていたという。当時参考にしていたのは日本のトッププレーヤーではなく、NBAのスター選手たちだった。

齋藤(右)は小さいころからNBAのスター選手の姿をまねていた(提供・B.LEAGUE)

「昔はNBAばっかり見ていましたね。中学校のときにどハマりしていたのは、08年の(ボストン・)セルティックス。ちょうどセルティックスにいたラジョン・ロンド(現・ロサンゼルス・レイカーズ)がブレイクし始めたころです。いろんなポイントガードのプレーを見るのが好きで、昔からクリス・ポール(現・オクラホマシティ・サンダー)、トニー・パーカー(元・サンアントニオ・スパーズ)、もうちょっと経つとカイリー・アービング(現・ブルックリン・ネッツ)も好きになりました」

鍛え抜かれたドリブルワーク、針の穴を通すようなパスなど、ときに会場をあっと言わせるような齋藤のプレーは、きっとここからも着想を得たのだろう。

このころはまだ所属チームでの全国大会出場経験はなく、「ワンマンチームみたいな感じだったので、平均40点くらいとったりもしていた」と言う。しかし、中学2年生のときに各都道府県代表が集まるジュニアオールスターの県選抜に選ばれ、自身初の全国大会を経験した。

「僕は控えのポイントガードだったのでそんなに活躍した記憶はない」と初の全国舞台を振り返ったが、このときのチームメートとの出会いが、同じ神奈川県内の桐光学園高校につながった。

感謝を胸に、桐光学園の仲間と目指した日本一 齋藤拓実2

プロが語る4years.

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