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三河・岡田侑大 拓殖大中退から1年、覚悟の背番号2

Bリーグ開幕前に開かれたカンファレンスに、岡田はシーホース三河を代表してやってきた(すべて撮影・松永早弥香)

昨シーズンの大学バスケットボール界において、当時拓殖大の2年生だった岡田侑大(ゆうた、21)の中退とBリーグ・シーホース三河入りは大きな話題のひとつだった。岡田は昨年11月15日に特別指定選手として三河へ入団し、翌16日にはデビュー。シーズンを通して1試合平均10.3得点、1.2リバウンド、1.6アシストの活躍で、新人賞に輝いた。今シーズンは背番号を30番から、拓殖大1年生のときにつけていた2番に変更。10月3日に開幕する新シーズンを前にして、岡田は何を思うのか。

苦境で奮闘、拓殖大の背番号1・岡田侑大

大学2年生のアメリカ戦で「このままでいいのか」

振り返ると拓殖大は2017年の秋、31年ぶりに関東大学リーグ1部で優勝を飾り、18年には春の新人戦でも26年ぶりとなる頂点に立った。チームを支えていたのは、セネガル出身のゲイ・ドゥドゥと岡田の2年生コンビだった。ドゥドゥは203cmという長身で攻守ともにチームのキーマンとなり、岡田は持ち前のオフェンス力でチームに勢いをもたらした。しかし2年生の秋のリーグ戦前にドゥドゥがアメリカの大学へ移り、岡田はリーグ戦の途中でBリーグへ。前年王者だった拓殖大は1部最下位まで落ち、今シーズンは2部で戦っている。

「拓大の岡田」としては昨年9月13日、56-81で敗れた青山学院大戦が最後になったが、その前日の白鷗大戦で、岡田はひとりで58得点をあげた。オーバータイムの末、拓殖大は118-119で敗れたが、岡田とマッチアップした白鷗大の前田怜緒(現・4年、東北)はのちに「あの試合はトラウマレベル」と話している。この試合を終えた時点での得点は、岡田が212点でダントツ1位、2位は125点で筑波大の増田啓介(現・4年、福岡大大濠)だった。岡田がいなくなったあと、増田が得点王になった。

拓大2年生だった岡田(右)は昨年9月の白鷗大戦で、ひとりで58得点した

岡田はこの試合、鋭いドライブで相手を翻弄(ほんろう)し、放ったシュートは気持ちがいいぐらいにことごとく決まった。それでも最後、逆転のかかったシュートは外れてしまった。悔しさを胸にコートを去ろうとしていたに違いない岡田は、通り過ぎざま「ボール大丈夫でしたか? 」と、私に声をかけてくれた。試合中、コートサイドで写真撮影をしていた私にラインアウトしたボールが直撃。それでも、もう、当の本人でさえ忘れていた。だから余計に、あの日の岡田の躍動と気遣いは忘れられない。

大学卒業を待たずにBリーグ入りを決心したのは、昨年8月に韓国で開催された「アジア・パシフィック大学バスケットボールチャレンジ」がきっかけだったという。58-104で大敗したアメリカ戦でフィジカルの違いを見せつけられた。そしてドゥドゥがアメリカ挑戦のために拓殖大を去ることになり、自分もこのままでいいのかと悩んだ。

「大学での練習が、自分にとって満足いってなかったんです。だからといって上のレベルで通用する自信はなかったけど、飛び込んでみたいという気持ちでした。僕はバスケ以上に楽しいことを知らない。でもバスケは30代後半までしかできないって、小さいころからずっと思ってて、だからバスケに専念できる環境で頑張りたいと思うようになりました」

岡田(右)は大学でプレーしながら、より高いレベルでバスケ中心の生活を熱望していた

そんな思いを拓殖大の池内泰明ヘッドコーチ(HC)に打ち明けると、大学卒業を待たずにプロ入りできるNBAのアーリーエントリー制度を例に挙げて岡田の背中を押し、接点があった鈴木貴美一(きみかず)HCがいる三河を勧めてくれた。岡田自身、かつて三河でプレーしていた比江島慎(現・宇都宮ブレックス)にあこがれてきたこともあり、三河には思い入れがあった。そして岡田は大学を中退し、プロとして新しいスタートを切った。

花を咲かせてくれた拓大・池内ヘッドコーチ

岡田は「影響を受けた指導者」として池内HCの名を挙げている。

「僕の基礎をつくってくれたのは東山高校(京都)時代の田中(幸信)先生と大澤(徹也)先生で、花を咲かせてくれたのが池内さんかなと思ってます」

京都で育った岡田は高校進学にあたり、全国的にも強豪で知られる洛南には進まず、「僕らでバケモノを倒しにいこう」という思いから、中学時代から交流があったバスケ仲間とともに東山高校へ進んだ。岡田はそこで超攻撃的なバスケを学び、2年生のときにインターハイ京都府予選で44連覇中だった洛南に勝利。地元京都で開催されたインターハイでベスト4入りを果たした。3年生のときには主将として、インターハイとウインターカップで準優勝を果たしている。

大学進学の際、東海大や筑波大など高校時代からのスター選手がそろうような強豪ではなく拓殖大に進んだのも、高校進学のときと同じチャレンジャー精神があったからだという。入学してきた岡田に池内HCは「1年生だからって遠慮するな」と声をかけ、伸び伸びとプレーさせてくれた。「ありがたいなと思ってましたし、その言葉があったからいま、自分が学生のときにテレビで見ていた金丸(晃輔)選手や(桜木)ジェイアール選手がいる中でも遠慮することなく、自分らしさを捨てないで積極的に攻められてるところはあります」。池内HCの教えを、いまにつなげている。

超攻撃的なチームでPGにも挑戦

大学からBリーグにステージが変わり、一番大きく感じている差は「フィジカル」と「メンタル」だ。三河に入団してからはトレーナーに指導してもらいながら、週3~4回、ウエイトトレーニングに取り組んでいる。まだ体つきは大学時代からは大きくは変わっていないが、今シーズンを迎えるにあたり、当たり負けしない軸の強さが備わったと自覚できた。

岡田はプロ2年目となる新シーズン、PGにも挑戦する

もうひとつの「メンタル」はプロとしての自覚につながる。「仕事としてバスケをさせてもらえてるので、責任があります」。そう話す岡田は今シーズンの目標を「優勝」と言いきる。三河は昨シーズン、Bリーグになって初めてチャンピオンシップ進出を逃している。

今シーズンは三河に「オフェンスマシーン」の異名をもつ川村卓也、そして2シーズン連続B1得点王のダバンテ・ガードナーが加わり、より攻撃的なチームになった。その中で岡田は自分の役割を考え、今シーズンはPG(ポイントガード)にも挑戦する。「金丸選手と川村選手がウィングにいてくださるので、自分がふたりを生かせるプレーができたらチームとして非常にいいバスケになると思うし、そこは自分の仕事だと思ってます。コミュニケーションが大事になるでしょうから、自分は若手なんですけどしっかり発言をして、行動でも見せて、チームを引っ張っていきたいです」。三河を支える自覚が口をついて出た。

いつか大倉颯太とBリーグのファイナルで

岡田は今シーズン、拓殖大時代にもつけていた背番号2でプレーをする。この2番はバスケを始めるきっかけとなった父親がクラブチーム時代につけていた番号であり、三河にとっては前身のアイシン精機シーホースでプレーしていた佐古賢一さん(現・男子日本代表アシスタントコーチ)がつけていた番号だ。佐古さんはかつて日本代表の司令塔として活躍し、「Mr.バスケットボール」と呼ばれていた。岡田にとってはまず、2番には父親の番号という思いがあるが、「新人賞をとったことに満足せず、もっと上を目指さないといけない」という覚悟も込めている。

背番号2は岡田にとって原点であり、これから目指す場所でもある

Bリーガーとして2年目を迎える岡田。いまも大学時代の友だちとの交流はある。とくに東海大の大倉颯太(そうた、2年、北陸学院)とは、高校時代からずっとマッチアップしてきた仲であり、親交も深い。「また颯太とマッチアップするかどうか分からないけど、プロの舞台、できればファイナルで戦いたいなという気持ちはあります」。そう言って笑う顔にはまだ、あどけなさがあった。

拓殖大で過ごした1年半。それから1年経とうとしているいま、大学時代はどんな時期だったと感じているのか? 「プロにいく準備、心構えができた時期だったと思います」。岡田はこう返したが、あの1年半の本当の意味が見えてくるのは、もっと先かもしれない。

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