バスケ

連載: プロが語る4years.

「怒られたくない」から始まったバスケ道 川崎ブレイブサンダース篠山竜青・1

篠山は川崎ブレイブサンダース、そして日本代表の主将として、日本バスケ界を引っ張っている(すべて撮影・小澤達也)

輝かしい舞台で躍動するプロアスリートの中には、大学での4years.で花開いた人たちがいます。そんな経験を持つ現役プロや、元プロの方々が大学時代を中心に振り返る連載「プロが語る4years.」。第4弾は男子バスケットボール日本代表の主将で、Bリーグ・川崎ブレイブサンダースでも主将として6シーズン目を迎える篠山竜青(31)。4回の連載の1回目はバスケとの出会いについてです。

努力したからいまがある、そしてこれからも アルバルク東京・田中大貴4完

バスケ一家に生まれて

母はミニバスケットボールの指導者で、8歳上の兄と5歳上の姉もバスケをしていた。篠山にとってバスケは、物心ついたときからそばにあるものだった。「小さいころから兄や姉の練習についていって、見てましたね。家の中にもボールがあったし、バスケという競技に触れるのは、かなり早い方だったと思います」

そんなバスケ一家に育ちながら、篠山少年は“あること”が原因で、チームに入ることを拒み続けていたという。

「ミニバスの監督さんが厳しく指導される方だったんで、僕は『やらない』って言ってたんです。バスケ自体は好きでしたけど、監督が怖くてチームに入りたくはなかった。母は1年でも早く始めさせたかったみたいですけど、僕は『やらない、やらない』って拒み続けてて(笑)。やるなら中学校からかなと、漠然と思ってました」

ところが小学校3年生の時、友達が見学に行くというのでついていくと、怖いはずの監督が優しい笑顔で迎えてくれた。

「おそらく母と連絡がついてたんでしょうね。駄々こねてるから、最初は優しくしてやってくれ、って。それでまんまと乗せられて、チームに入ってしまいました(笑)」

篠山が入った榎が丘ファイターズは、神奈川県下でも有数の強豪チームだった。それでも日常的にバスケに触れていた篠山は、チームに入ってすぐ上級生の試合に出られるほどの実力を備えていた。ただ、篠山はバスケを心から楽しめないでいた。

篠山は何度も「怒られるのが嫌」と口にした

「とにかく怒られるのが嫌だったんです」

篠山少年の心にあったのは、まさにこの思いだけだった。

「バスケは好きだったんですけど、怒られるのが嫌いだった。小3くらいのときは上の選手に怒られないように必死で、思い切ってプレーできない自分がいましたね。怒られたくないから、遠慮してしまう部分もあったと思います。だから最初のころは、毎日やめたくて仕方なかったです」

怒られたくないから、自分がチームを引っ張る

下級生ならではの悩みを抱えていた篠山だったが、上級生になればなったで、別の問題が浮上した。「6年生になれば、今度はやらないと怒られてしまう。自分が責任をもってやらないと、『しっかりやれ』って怒られるんです」。この「怒られたくない」というネガティブな感情は、結果的に篠山の成長へとつながっていく。

「怒られたくないから、自分の中でも開き直って『自分がやらないといけない』という風になっていきました。そうやって結果が伴ってくると余裕が出てくるし、チームを引っ張っていくことにやりがいも感じられました。やっとバスケが楽しいと感じるようになりました」

日本代表の主将として、時に怒られ役を買って出ることもある

現在、川崎ブレイブサンダースでも日本代表でもキャプテンを担う篠山は、時に怒られ役を買って出る立場でもある。そこで役立つのは、小学生時代に身に付けた考え方である。

「いまでも怒られるのは嫌いですから(笑)。だから開き直って、思い切りやらないといけない。そのメンタルはミニバスをやってたときに築かれたんじゃないかなと思います」

中学時代、東海大生が教えてくれた積み重ねの大切さ

横浜市立旭中学校に進学した。県内でも有名な指導者のいる学校だった。そこで篠山にとって、運命の出会いがあった。その相手は、例の指導者にコーチングを学びに来ていた大学生である。

「当時、東海大の選手だった飯塚(貴行)さんがアシスタントコーチとして指導に来てくれてたんです。僕が中3になったときには飯塚さんが完全にメインとなって、男子のチームを見てくれました」

篠山が感じたのは飯塚さんの情熱だった。勝たせたいという思いが強くみなぎるこのコーチは、教員採用試験の前日にもかかわらず指導に来てくれたこともあった。篠山は飯塚コーチに特別なことは教わっていないという。ただ、日々の練習の中でレベルアップできているという実感があった。

「飯塚さんに教わったのは、基本的なことがほとんどです。やってる練習は地味でしたけど、その積み重ねでこれだけ強くなれるんだという実感はありました。僕の中学は強いといっても、中学から始めた選手もいました。たたき上げで3年間一緒に努力して、最終的に県で優勝できた。本当に飯塚さんのおかげだし、積み重ねの大切さを教わった気がします」

中学時代の飯塚さんとの出会いが、篠山のバスケ人生に大きく影響した

そうした中学校生活を送る中で、篠山にはひとつのはっきりとした未来像が浮かび上がっていた。それはバスケで就職するということである。

「当時はまだプロリーグがなかったんですけど、将来的にトップリーグでやりたいという思いが出てきました。受験勉強をしたくない、就活したくないという思いもあったんですけど(笑)、バスケで就職できればいいなと考えてましたね」

その目的を達するためにどうすればいいのか。まだ中学生だった篠山だが、トップリーグにたどりつくロードマップを真剣に思い描くようになっていった。

続きはこちら 北陸高校でのつらい日々と母の道しるべ 川崎ブレイブサンダース篠山竜青・2

プロが語る4years.

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