北陸高校でのつらい日々と母の道しるべ 川崎ブレイブサンダース篠山竜青・2
輝かしい舞台で躍動するプロアスリートの中には、大学での4years.で花開いた人たちがいます。そんな経験を持つ現役プロや、元プロの方々が大学時代を中心に振り返る連載「プロが語る4years.」。第4弾は男子バスケットボール日本代表の主将で、Bリーグ・川崎ブレイブサンダースでも主将として6シーズン目を迎える篠山竜青(31)です。4回の連載の2回目は、強豪の北陸高校での日々についてです。
目標への道を逆算、全国の4強に入れる高校へ
トップリーグの選手になりたい――。未来を見すえた中学生の篠山少年は、目標に到達するために、どういうルートをたどればいいのか逆算した。
「トップリーグにいける選手って、関東の大学の1部リーグの超強豪校でも各学年10人くらい。そういう現実を考えると、まずはちゃんと強豪大学に推薦で引っ張ってもらえるような存在にならないといけない。そのためには、高校のときに全国でベスト4以上の成績を残さないといけないと思ったんです。当時神奈川の高校はぜんぜん強くなかったので、県外の高校に行こうと考えました」
中学校で県大会優勝といった実績もあった篠山だったが、全国レベルの強豪校とつながりがあったわけではない。だが、このバスケの申し子は、強運の持ち主でもあった。
「偶然、知り合いのつてで、自分の(プレーを撮った)ビデオが北陸高校の監督のところに届いてたんです。それで監督さんが家まで来てくれて、『ぜひ』って誘ってくれました。もう、ふたつ返事で決めましたね」
福井県にある北陸高校といえば、バスケ界の超名門校だ。篠山はトップリーグの選手になるという夢の第一歩を踏み出した。
母は言った。「神奈川にいたらダメ」
もっとも、篠山は強豪校に入れるという喜びを感じる一方で、さまざまな困難が待ち受けていることに気づいた。
「行きます、って言ったのはいいんですけど、そのあとに、親元を離れて寮生活を送らなければならないってことに気づいて(笑)。北陸高校のことも、強いってこと以外はあまり知らなくて……。寮生活できるかな? とか、ユニホームダサいなとか、3年間坊主は嫌だなとか(笑)。もし最初から冷静に考えてたら、行くってなかなか言えなかったかもしれないです」
それでも、強豪からの誘いを断る手はなかった。県外の高校に進むことは、自然な選択だったのだ。それは、篠山のバスケ人生を支えてきてくれた母親の影響が大きかった。
「母からも『神奈川にいたらダメ』って言われてたんです。僕のバスケ人生に関していえば、親の道しるべがなかったらどうなってたか分からない。とっくにチャラチャラしちゃってたかもしれないですね」
篠山がバスケに対して高い意識を持って、真摯(しんし)に取り組んでこられたのは、バスケを通じて大きく成長してもらいたいと願う母親の大きな愛があったからにほかならない。篠山自身も素直にアドバイスを受け入れ、期待に応えようと努力してきた。
修行僧のような日々を耐え、インターハイV
北陸高校での生活は想像以上に厳しいものだった。練習は休みがなく、寮の門限も早かった。起床も早く、朝練をして、授業を受けて、放課後にまた練習。寮に帰れば夕食をとり、風呂に入り、寝るだけだ。そんな修行僧のような日々が3年間続いたのである。
下級生のころには、上下関係の厳しさも味わった。「怒られることが嫌い」な篠山にとって、耐えがたい環境だっただろう。そんな篠山を支えたのは、仲間の存在だった。
「怒られるのには慣れましたね(笑)。それに、怒られるのは俺だけじゃない。周りでみんな怒られてる。先輩が先に帰ったらみんなでグチって。そういうのがすごく楽しかったです」
理不尽なことももちろんあったというが、いまでは「それもいい勉強になった」と、笑って振り返る。
「同級生みんなで結束して、一つひとつ乗り越えて、3年間やりとげられたのが高校時代の一番の思い出です。その結果として、インターハイでも優勝できた。苦しいことの方が多かったですけど、自分の人生にとって貴重で、濃密な3年間だったと思います」
心身ともに鍛えられた3年間だった。「当時のことを思えば、ある程度のことは耐えられます」と言うほど。そんな時間を過ごす中で、篠山には徐々に心境の変化が生まれていた。
「インターハイで優勝したこともあって、ちょっとした達成感があったんです。だから大学では、もう少し自由にやりたいな、と。1部リーグの大学という目標は変わりなかったですけど、もう少し自由な環境でバスケをやりたいなあ、と」
揺らぎ始めた情熱、母が送ってくれた大量のビデオ
トップリーグの選手になるためには大学選びが重要になる。ここでの評価が目標達成か否かに直結するからだ。それでも当の本人は厳しい環境で高校時代を送ってきた分、次第に自由を求めるようになっていた。それと同時に、目標に対する情熱が揺らぎ始めていた。そんな篠山を律したのは、またしても母親だった。
「そのことを親に相談したら『ちょっと待ちなさい』って。次の週くらいにいろんな大学のバスケ部を撮ったVHSのビデオテープが段ボール箱いっぱいに送られてきたんですよ。『これを見てから考えなさい』って」
まず進学しようと考えていた大学の映像を見ると、自分が思っているよりも“緩い”と感じられた。“自由”と“緩い”は、決して同じではない。「これはまずいな」。そう思った篠山は気持ちを入れ直し、目を凝らして送られてきた映像を見続けた。
その中で魅力的に見えたのが日本大学だった。
「日大が一番ちょうどよく見えたんです。緩くはないし、高校のときのような軍隊のようなバスケでもなかったんで。その間くらいの感じで、魅力的に見えたんです」
ここなら目標に到達できる。そう感じた篠山は、日大への進学を決断した。