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連載: プロが語る4years.

努力したからいまがある、そしてこれからも アルバルク東京・田中大貴4完

田中は大学3年生のインカレ決勝が「いままでで一番うれしかった試合」と語る(撮影・松岡健三郎)

輝かしい舞台で躍動するプロアスリートの中には、大学での4years.で花開いた人たちがいます。そんな経験を持つ現役プロや、元プロの方々が大学時代を中心に振り返る連載「プロが語る4years.」。第3弾は男子バスケットボール日本代表で、Bリーグ・アルバルク東京の田中大貴(27)です。最終回は一番うれしかった試合、そして目前に迫ったワールドカップについてです。

東海大・陸川章HCはバスケでも勉強でも師匠 アルバルク東京・田中大貴3

人生で唯一、試合で流したうれし涙

田中は名門東海大で1年生から主力として活躍してきたが、日本一にはなかなかたどりつけなかった。そして3年生だった2012年の全日本大学選手権決勝で、ライバルだった青山学院大を71-57で破り、人生初の日本一をつかんだ。プロになったいまも、このときほどうれしかった勝利はないという。「試合でうれくて泣いたのは、人生でその試合だけです」。田中の胸にあったのは尊敬する先輩、狩野祐介(現・滋賀レイクスターズ)への思いだった。

当時、スタメンの4年生は主将の狩野だけだった。「狩野さんはどんなときも気分に左右されず、365日まったく同じ態度で練習に臨むんです。自分は気分の浮き沈みで態度が変わってしまうタイプだったので、すごいなって思ってました」と田中。そんな狩野は福岡第一高時代、最後の試合となったウインターカップ決勝で71-73で洛南高(京都)に惜敗。東海大でも悔しい試合を経験してきた。だからこそ、田中を始め後輩たちはみんな「狩野さんには、ここで絶対日本一になってほしい」との思いで選手権決勝に臨んだ。そして優勝の瞬間、自然と涙があふれた。

「初めてこの人のために戦おう、いい思いをしてほしいから頑張ろう、と思いました」

東海大の陸川章ヘッドコーチ(HC)はチームメイトを「家族」と表し、一人ひとりの絆を大切にしてきた。その絆がコート上で表現されたひとつのエピソードである。

「父親代わりになってやるから」

陸川HCの言葉で忘れられないものはいくつもある。ひとつが「自分を勘違いするな」という言葉だ。田中は長崎西高バスケ部の顧問にかけられた「お前なら日本代表に入れる」という言葉を信じ、コツコツと努力を積んできた。そうした歩みがあったからこそ、いまの自分がある。自戒を込めて、いまも「自分を勘違いするな」と自身に言い続けている。

大学在学中に父が亡くなった際には、ふるさと長崎に戻った田中のところへ陸川HCが訪れたこともあったという。精神的に弱っていた田中に「自分の好きなだけ長崎にいればいい。落ち着いてから戻ってくればいいよ」と言葉をかけてくれ、しばらくして電話でも「父親代わりになってやるから」と励ましてくれた。陸川HCの思いやりに救われた。

3年生のときから日本代表として戦ってきた (写真は2012年男子アジア杯決勝、撮影・白井伸洋)

絆を大切にする陸川HCだが、進路に関しては「意外とあっさりしてました」と田中は明かす。田中は4年生のとき、関東リーグ戦とインカレの2冠を果たしてMVPを受賞。輝かしい実績を残した。次のステップとして、当時のNBLに所属していたトヨタ自動車アルバルク東京に進んだが、入団にあたっては陸川HCに相談をせず、自ら決断したという。

進路については『アドバイスすることはない』と言われてたんです。自分がどういう考えをもって次に進むのか、という感じで。『もういい大人なんだから。大学生だから子どもではなく、いつも大人だと思って接してる』とも言われてましたね」

“ビッグファミリーのお父さん”の親心は熱く、そして深い。

31日からワールドカップ、そして夢の東京五輪へ

昨シーズンはアルバルク東京をBリーグ2連覇に導き、日本代表でも2006年自国開催での世界選手権(14年大会からワールドカップに名称変更)以来、自力では21年ぶりとなるワールドカップ出場決定に貢献した。その4年に1度の大会が8月31日から中国で始まる。

「楽しみではありますけど、それと同時にプレッシャーとか、どうなるだろうとかいう不安は多少あります。それでもこういう大きな舞台を経験できる人にしか分からないことがあるでしょうし。自分がもっといい選手になるためにも、いいチャンスだと思ってます」

昨シーズン、アルバルク東京はBリーグ2連覇を果たした (c)ALVARK TOKYO

1次予選で戦うのが「ヨーロッパの雄」トルコとチェコ、そして世界ナンバーワンのバスケ大国であるアメリカだ。「アメリカと戦うのは楽しみですし、めったにない機会なので興奮してます」と前置きしながら、予選突破のカギを口にする。

「正直言うと、トルコとチェコにどう戦うかが大切ですから、いまは2連勝することだけを考えてます。アジア予選よりも相手のサイズもレベルも上がる中で、自分が司令塔してプレーする時間も増えると思います。それは日本代表のフリオ・ラマスHCからも言われてて、いまはやりがいを感じて練習してます」

ワールドカップの先に続くのが、3連覇のかかった4シーズン目のBリーグ、そして44年ぶりに出場が決定している20年の東京オリンピックだ。とくに昨シーズンはけがもあって不完全燃焼の思いが強かった。心身ともにしっかり整えて、どれだけいいプレーを見せられるかに意識を向けている。「ワールドカップやオリンピックに出られるだけで、いままでとは気持ちは違いますし、すでにオリンピックのコートで自分自身がどう戦うかのイメージはあります」と田中。そのイメージを上回るところまでいけるかどうかが勝負だ。

強豪国との戦いに不安はある。だがそれと同じぐらい楽しみな気持ちもある (撮影・松岡健三郎)

PG(ポイントガード)の富樫勇樹(千葉ジェッツ)がけがでワールドカップメンバーから離脱したことは、代表チームにも大きな衝撃をもたらした。身長192cm、体重93kgの大型ガードへの期待は高まるばかりだ。田中はいまや日本を代表するプレーヤーだが、彼自身は「タレント軍団だとかBリーグの顔だとか言われるけど、それは絶対に違う」と公言する。

「元々すごい人間ではないんで、やるべきことをしっかりとやらないと絶対にダメになると常に思ってます。周りができることが自分は簡単にはできないし、人より何倍も練習しないといけない。努力していまこの立場にいることを忘れてはいけないですし、これから先も同じようにやらないといけないんです」

やるべきことをやる。ワールドカップ中に28歳となる田中のスタンスはブレない。

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