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NBAプレーヤー八村塁、夢を実現するために必要だった大学3年間

八村は日本の選手で初めてNBAドラフト1巡目で指名を受けた(撮影・小永吉陽子)

ニューヨーク現地時間の6月20日、八村塁(21)はNBAのワシントン・ウィザーズからドラフト1巡目の全体9位で指名を受けた。日本バスケ界にとって歴史が動いた日だった。

3年生を終えてアーリーエントリー

NCAA(全米体育協会)の強豪、ゴンザガ大学のエースである八村は、3月末にNCAAトーナメントが終わったあと、大学4年目を待たずしてNBAのドラフトにアーリーエントリーすると表明した。アーリーエントリーとは、大学を卒業するなど自動的にドラフトの対象資格を与えられていない19歳以上の選手が、ドラフトの60日前までに意思を表明することで対象となれる制度。今年のドラフトで全体の1位指名を受けたザイオン・ウィリアムソン(デューク大)が1年生を終えてアーリーエントリーしたように、有望選手は下級生でエントリーすることが多い。

それは、若いほど成長が見込まれ、評価が高くなるからだ。八村のように3年生を終えてエントリーするのは、むしろ遅いとされている。
しかし、彼にとって大学での3年間は必要な時間だった。

英語が話せないまま渡米、壁は努力で突破

中1でバスケを始めた八村は、故郷富山の富山市立奥田中学校で競技の楽しさに触れた。全国屈指の強豪である宮城の明成高校で心技体を磨き、飛躍的に成長した。そして高2の時に出場したU-17ワールドカップで得点王を獲得したことで、アメリカの強豪大学から多数のオファーが届いた。その中で選んだのがゴンザガ大だった。八村は日本の高校でプレーしながら、NCAAディビジョン1のチームに入学した初のケース。語学が不十分なままで渡米したため、1年生のときは苦労の連続だった。

ゴンザガ大のマーク・フューヘッドコーチは「ルイがゴンザガでバスケ選手として活躍するには、言葉や勉強、文化など、すべての壁を乗り越えなければならなかった。彼はものすごい努力をしてこれらの壁を突破し、3年目に私たちのチームのエースになったのです」と、八村が積み上げてきた努力をたたえる。

八村は強豪ゴンザガ大のエースにまで躍進した(撮影・小永吉陽子)

ドラフト前日、八村は大学3年生でアーリーエントリーした理由について「NBAにいく準備ができたので表明しました」と明かした。そして全体の9位指名を受けてからは「ウィザーズは僕の『伸びしろ』を見てくれたんだと思う。ここからがスタート。NBAに入ってからが大事です」との思いを口にした。英語も話せないままに渡米し、アメリカの文化や環境に適応しながら、強豪ゴンザガ大のエースにまで躍進した。その成長過程が、ウィザーズから評価されたのだ。

最後に八村が「愛すべきチーム」と語ったゴンザガでの貴重な写真とともに、3年間を振り返ってみたい。有意義な大学生活を経て、「準備万端」で踏み出したNBAの世界。大学生活の学びを生かし、ステップアップを図るのはこれからだ。

ゴンザガ大を選んだ理由

シアトルから東へ450km。ワシントン州にある中規模で静かな街、それがゴンザガ大のあるスポケーンだ。生徒数は約7500人。小規模校であり、教職員たちが親身になって生徒に目を配るきめ細かな教育が特色だ。男子バスケ部には毎年いろんな国や地域からの学生が集まる。海外の選手を発掘し、育成するプログラムが充実していることも、八村の進学の決め手になった。

ゴンザガ大は生徒が約7500人と、アメリカでは小規模校にあたる(撮影・小永吉陽子)

ESLの先生「みんながルイを応援してた」

八村は高校卒業後の2016年5月に渡米。その年の秋からゴンザガ大の学部生になることを前提に、学内のESL(English as a second language)で英語を学んでいた。ESLは英語を第二言語として学習し、英語力補強のために履修する科目のこと。八村に英語を教えたハイディ・ドゥリトル先生は「バスケがうまくなりたいというモチベーションがあったから、彼の英語は上達したのです」と証言する。

ESLで英語を学ぶ八村(Photo courtesy Jose Angel)

「ルイはESLでの授業と、バスケの練習やトレーニングのほかに、宿題や家庭教師との勉強もあり、あまりの忙しさに途中で挫折してしまうのでは、と思うほどの毎日でした。でもルイにとってよかったのは、バスケ部でコーチやチームメイトたちに英語でアウトプットしなければプレーができない環境にいたこと。そうした毎日の努力を知っているからこそ、ルイの選手としての成長は私たち教職員の大きな喜びでもあります」

小規模校だからこその「ゴンザガ・プライド」

ゴンザガ大の男子バスケ部は熱狂的な人気を誇る。学内にあるホームアリーナ「マッカーシー・アスレティックセンター」は6000人収容だが、常にチケットはソールドアウト。バスケ部の広報は「シーズンシートの4000~4500席はシーズン前に完売します。学生席の1500席は徹夜で入手しなければならないほど。教職員に用意される席も争奪戦で、毎回長い列を作って並ぶほどです」と言う。

地元の人々にとっては「ゴンザガバスケ部がNBAのような存在」という(撮影・小永吉陽子)

なぜそんなに人気なのか? もちろんNBA選手を出す強豪校であることが理由の一つだが、それにしても熱狂的である。チケットを求めて徹夜で並ぶ生徒たちに人気の理由を聞いてみたところ「私たちの街にはNBAのチームがないから、ゴンザガバスケ部がNBAのような存在なんです」との言葉が返ってきた。

「ゴンザガ大は約7500人の生徒数だけど、デューク大は約1万5000人で、アリゾナ大は約4万5000人。そんな大規模な学校と戦っても勝てる。小規模な大学が大規模な大学を倒すためにファンが一丸となって応援できるのが素晴らしい」と、誇らしげに教えてくれた。

僕はこのチームが本当に好きだった

エースとして臨んだ3年目のNCAAトーナメントは接戦をものにできず、エリート8(8強)で幕を閉じた。敗れた後、人目をはばからずに流した涙は、今後試練を乗り越えていくための糧となるだろう。チームは目標の全米制覇には届かなかったが、八村はNCAA年間最優秀スモールフォワード賞にあたる「ジュリアス・アービング」賞を受けるなど、その名を全米に知らしめたといっていい。

全米制覇には届かなかったが、ゴンザガ大での3年間はかけがえのない財産となった(右が八村、撮影・小永吉陽子)

八村塁はゴンザガでの3年間を振り返って言った。

「こんなに泣いたのは人生で初めてでした。それほど、このチームで勝ちたい思いが大きかった。トーナメントが終わってみて、僕は本当にこのチームが好きだったんだなと実感しました。ゴンザガという本当に素晴らしいチームで戦ってきたことは誇りですし、僕の人生において財産になると思います。この経験を絶対に忘れないようにして、これからもステップアップしていきたいです」

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