関大・滝野莉子、「スケートが好き」が原動力 14年の競技生活を終えて描く新たな夢

2月下旬、京都アクアリーナ。初めて氷の上に乗った場所で、1人のスケーターが現役生活に別れを告げた。彼女の名は、滝野莉子(関西大学4年、向陽台)。全日本選手権に2度出場し、ジュニア時代には国際大会も経験。思うように練習ができない日々もあったが、「スケートが好き」という思いと共に14年間の競技人生を駆け抜けた。数多くの経験を経て1つの区切りを迎えた今、滝野が新たに描く夢とは。
無我夢中で滑った幼少期
昔から動き回るのが好きな子どもだった。小学校低学年の頃は空手道とダンスの習い事に通ったり、外で遊んだりと活発に動いていた。そんな滝野がスケートに出会ったのは、小学3年の頃。姉やその友達と京都アクアリーナに行ったことがきっかけだった。
氷の上への恐怖心もなく、感じたのはただ「楽しい」という気持ち。自然と一般滑走に行くようになり、小学4年の5月からはチームにも所属した。それからは毎日のように練習に通う日々。「単純にスケートが好きで、うまくなりたいという好奇心みたいな気持ちでずっと練習していました」。スケートを始めた年齢は比較的遅い方だったが、ジャンプを跳ぶことにはあまり苦戦しなかった。「ジャンプはすぐに跳べていった方だったと思います。バッジテストも受かったらすぐに次、次みたいな感じでした」
7級を取得したのは小学6年の時。受かった際には3回転トーループと3回転サルコーだけではなく、3回転ループもほとんど跳べる状態だった。本格的に習い始めてから約3年。周りと比べてもかなり速いスピードで、一気に選手権まで駆け上がった。
光と影が交差したジュニア時代
ジュニアに上がってからは次第に練習量も増加。結果を出したい気持ちも強く、スケートのために生活をするような日々を送った。
その中で、2016-17シーズンには全日本ジュニア選手権で6位入賞。国内最高峰の舞台である、全日本選手権に推薦で初めて出場した。「フリーでは浅田真央さんと同じグループで滑らせてもらって、私のスケート人生の中でもすごく印象深い出来事でした」。今でも記憶に色濃く残るほど貴重な経験をした。さらに、全日本選手権の後には初めての国際大会も経験。翌シーズンにはジュニアグランプリシリーズに派遣され、初戦のオーストラリア大会では銅メダルを獲得。みるみるうちに新しい世界が広がっていった。

しかし、その先はけがに悩まされた。2018年12月に脛骨(けいこつ)を疲労骨折。3カ月の休養を経て練習を再開したが、その2週間後には別の箇所を骨折してしまう。治ったと思えば反対の脚を骨折するような状態となり、ジュニアの後半はけがと向き合う時間が続いた。
変わらなかったスケートへの思い
大学は、昔からホームリンクだった関西大学へ進学。1年時は新型コロナウイルスのまん延もあったが、地道に練習を重ねて2度目の全日本選手権出場を決めた。しかし、大会前は前回と違って苦しい思いの方が多かった。「特に全日本の前は気持ち的にしんどかったです。環境に対応できなかったりもして、自分の中では練習をして実際に全日本に出ることを目標にというくらい、すごく気持ちが落ちていた時期でした」。そんな中でも、周りの支えもあって全日本の舞台に立った。フリーに進むことはできなかったが、最後まで滑り切った。

その後も気持ちの苦しさはなかなか晴れず。精神的にしんどい時期が続き、外に出ていくこと、毎日滑ることを目標に競技生活を送った。休養した2シーズンは、スケートをしたい気持ちと、できない葛藤を抱え続けた。「自分の中で考えることがすごく大きくて、それが理由でなかなか表に出ていくことができなくて。自分の心を向き合うことに必死だったかなと思います」
そんな暗闇の中、ずっと変わらない気持ちもあった。「つらい時期があって悩むことはあっても、スケートが好きな気持ちが変わったことは1度もなくて。結果に関わらずずっと応援してくださっているファンの皆様もいて、支えてくださっている方に対しての恩返しをしたい気持ちはずっとありました」
揺らぐことのなかったスケートへの愛と、感謝の気持ち。ファンからは「莉子ちゃんが滑ってくれるだけでうれしい」という言葉をかけてもらったことも。演技を見せられない中でも応援し続けてくれることに対して、感謝の思いはさらに強くなった。

1年間休学「もう少し選手として演技を」
休養期間中には2023年の秋学期から1年間、大学を休学することを決意。競技人生を1年長くするための判断で、迷いはなかったという。「引退がよぎり始めた3年生くらいの頃から伸ばす選択肢はずっとありました。もう少し選手として演技をしていたいという、単純にスケートが好きな気持ちで、もう1年しようかなと思いました」
ラストシーズンと決めて臨んだ2024年。スケート人生の集大成として、ショートプログラムは滑り慣れている『Sheherazade』、フリーでは明るい雰囲気の『I Belong to me』を選曲した。
大会は近畿選手権と国民スポーツ大会大阪予選の2試合にエントリー。全てが思うような演技とはいかなかったが、「ただひたすら楽しめましたし、ここまで続けてきて良かったです」と後悔なく現役生活最後の大会を終えた。2月に行われた引退セレモニーでは、フリーの『I Belong to me』を披露。これまで応援し続けてくれたファンや共に練習を重ねた仲間がリンクサイドで見つめる中、一瞬一瞬をかみしめるように笑顔で感謝の気持ちを届けた。

いつの日か「寄り添えるようなコーチ」に
うれしいことも、つらいこともあった14年間。長い競技人生を駆け抜けた最大の原動力も、スケートが好きという気持ちだ。「昔から体を動かしたり、踊ったりすることが好きで。生まれ変わってもまたスケートがしたいくらい好きな存在だし、その気持ちで14年間頑張れたと思います」と目を輝かせながら語った。
競技人生は卒業とともに一区切りとなるものの、スケートを通して「指導者になりたい」という思いも芽生えた。具体的な時期は未定だが、少しずつ夢をかなえるための準備をしていく予定だ。これから目指すのは、「選手に寄り添えるようなコーチ」。現役時代にたくさんのコーチと共に過ごし、支えてもらったように自分もそうなりたいと思い描いている。
これまでの経験は、滝野の人生を照らす光となる。これから先も変わらないスケートへの愛を胸に、新たな物語が幕を開ける。

