関大・白岩優奈、地元関西でラストの全日本選手権へ やりきったと思える演技を
フィギュアスケート女子で世界ジュニア選手権に3度出場するなど活躍した関西大学の白岩優奈(4年、京都両洋)は選手としてラストシーズンを送っている。5歳からスケートを始め、同世代のライバルたちと切磋琢磨(せっさたくま)しながら18年間スケートを続けてきた。11月2日から始まる西日本選手権を通過し、12月に地元関西で開催される全日本選手権でやりきったと思える演技を目指す。
同学年に本田真凜さんや青木祐奈
白岩がフィギュアスケートを知ったのは、5歳の時にテレビで見たトリノオリンピックがきっかけだった。両親がリビングでテレビ放送を見ていると、荒川静香さんの演技が始まるタイミングで、就寝しているはずの白岩が寝ぼけてやってきたという。
荒川さんの演技を見た白岩は、フィギュアスケートの美しさに心を奪われた。「私もやりたい」と両親に懇願するも、近所にあった京都アクアリーナは春からプールになるシーズンリンクのため、すでにスケート教室の生徒募集が終わっていた。「また来年ね」と両親と約束した。
そして翌シーズン、その約束を覚えていた白岩は、再び両親に「スケートがしたい」とお願いし、秋からのリンクオープンと同時にスケート教室に通うことになった。最初は氷上をよちよちと歩くだけだったが、次第に滑らかに滑れるようになり、スケートが楽しくなると、「もっと続けたい」と思うようになった。
小学校に入学する4月、縁があって、当時関西大学たかつきアイスアリーナを拠点に指導していた濱田美栄コーチの下で本格的にスケートを習い始めた。
最初は週に1、2回程度の練習だったが、2年生になる頃にはほぼ毎日リンクに通っていた。練習量が増えるとできる技も増えていき、ますます練習に精が出て、好循環が生まれた。同じチームには本田真凜さん(明治大学卒)が、将来有望な選手が全国から集まる「野辺山合宿」には青木祐奈(MFアカデミー、日本大学卒)もいた。同学年に上手な選手がいることに驚かされた。この頃に出会ったライバルたちと切磋琢磨(せっさたくま)しながら、白岩もどんどん技術を磨いていった。
ジュニア1年目でユースオリンピック出場
ジュニアに上がると、「海外試合に出たい」という思いから練習に一層励むようになった。練習すればするほど上手に、またいつ曲をかけてもノーミスで通せるところまで調子が上がっていた。
「自分ができることを精いっぱいやりきると、自然と結果はついてくる」。そう信じられることでさらに練習に身が入った。その勢いのままジュニア1年目で、坂本花織(シスメックス)とともにユースオリンピックに出場。白岩はショートプログラム(SP)で首位発進し、総合4位に入った。また世界ジュニア代表の座も手にできた。
ジュニアで2年間戦った後、翌シーズンからは2018年の平昌オリンピックを見据えてシニアに移行した。また、勉強とスポーツの両立に力を入れている京都両洋高校を進学先に選んだ。
しかし、シニアに上がった直後に腰を疲労骨折。常に腰が痛い状態で練習していた。思うように練習ができない日々が続き、結果もついてこなくなったこともあいまって、メンタルのコントロールも難しくなった。思い描いていたような競技生活を送れず、初めて大きな壁にぶつかった。
つらいシニアデビューとなったが、翌シーズンはシニアの大会に出場しつつも、ISU(国際スケート連盟)の世界ランキングのポイント取得のために世界ジュニアに出場し、翌シーズンのグランプリシリーズ出場に望みをつなげた。
全日本直前にコーチ変更、そして1年間の休養
大学は、練習環境を維持するために関西大学に進学した。学部はフィギュアスケートの先輩が多く所属していた文学部に決めた。
振り返れば、進学後はかなり苦しい時期だった。北京オリンピックの2021~22年シーズンも変わらず大学のリンクで練習をしていたが、途中から濱田コーチが拠点を京都に移すことになり、白岩は自主練習をする日が増えた。
悩んだ末、全日本選手権前ではあったが大学のリンクで指導をしている本田武史コーチの下へ移籍。スケートの環境を整えるための決断だった。しかしすでに悲鳴をあげていた腰痛が悪化し、全日本では満足の行く結果を残すことができなかった。
その頃は心身ともに疲弊(ひへい)していた。スケートがしたいと思えるようなエネルギーを蓄えるために、翌シーズンは試合には一切出ないと決め、休養した。本田コーチの後押しもあり、初めて「スケートがない1年」を過ごすことになった。
アルバイトでスケート以外の世界を知る
学業に専念し、講義がない時間帯にホテルの受付業務や放課後デイサービスのアルバイトを始めた。スケート以外の世界があることは知っていたが、子供たちとの交流などが新鮮で楽しく感じた。
今まで自分からスケートを取ったら何もないと思っていたが、実際にスケート以外の世界に触れることでスケートだけに執着しなくていいと思えるようになり、気が楽になった。
1年間の休養を経て、「不完全燃焼したままスケートから離れてしまうと絶対に後悔する」と思い、ラスト2シーズンは学業とスケートの両立に励むと決めた。大学ではアジア文化を学び、周りには白岩と同じく部活に励んでいる学生もおり、刺激になっているという。
2023年2月に練習を再開した日は氷に足がついている感覚がなかったり、スピンで目が回ったりと大変な滑り出しだった。
8月のげんさんサマーカップや全大阪Ⅱ選手権(オール大阪)などの地方大会で少しずつ試合勘を取り戻していった。今までできていたものができなくなっていたり、頭ではイメージできていても実際にやってみると身体がついてこなかったりと、もどかしさもあったが、めげずにコツコツと努力を積み重ねていった。
本格的なシーズンに入り、全日本の出場がかかる西日本選手権では、今までに感じたことがないほどのプレッシャーに押しつぶされそうになっていたが、なんとか滑り切って全日本への切符を獲得し、再び大舞台に帰ってくることができた。全日本の会場ではたくさんの観客が白岩の名前が入ったバナータオルを振っていた。それを目にすると、いろいろあったもののスケートの世界に帰ってきてよかったと心の底から思った。
選手としては今年まで、春からは社会人に
来春からは一般企業で働くことを決めており、選手としては今年いっぱいをめどに終えようと考えている。入学当初に描いたものとは全く違うスケート人生を送っているが、今は心身ともにいい状態で練習ができているという。
白岩がかつて得意としていた3回転ルッツー3回転トーループのコンビネーションを昨シーズンは一度も成功することができなかったが、「今シーズンこそは」と挑んだ近畿選手権では見事に成功させた。残る年内の大会でも全て成功させるのが目標だ。
今シーズンのSPは吉野晃平さん振り付けの「タイタニック」で、芯の強い女性を演じる。鈴木明子さん振り付けのフリー「The Mission」では、壮大なメロディーに合わせ、特にコレオシークエンスを体全体を使って曲を表現できるように練習に取り組んでいる。
今年12月にある全日本は地元の関西で開催されるため、出場したいという気持ちが特に強い。たくさんのバナータオルの応援を糧に、18年間続けてきたスケートをやりきったと思えるような演技を全日本の舞台で見せてくれることを楽しみにしたい。