フィギュアスケート

特集:駆け抜けた4years.2024

関西大学・木科雄登 コロナ禍で心境の変化「結果だけがすべてじゃない」

リンクで花束を抱える木科(すべて撮影・関大スポーツ編集局)

余寒が続く2月下旬、大学4年間の集大成を披露する引退セレモニーに木科雄登(関西大学4年、金光学園)の姿があった。ジュニア時代から海外での試合を経験し、8年連続で全日本選手権(全日本)に出場するなど、輝かしい活躍を続けてきた木科。大学卒業という一つの節目を迎え、4月からは大学院に進学し、2年間はフィギュアスケート選手として競技を続ける。大学生活の振り返りと、タイムリミットに向けたビジョンとは。

【特集】駆け抜けた4years.2024

「スケートをやりたい」憧れから目標へ

フィギュアスケートに出会ったのは幼稚園年長の頃。短期のスケート教室でジャンプする選手を間近に見て、自分もこんなふうに跳んだり踊ったりしたいと思ったことがきっかけだ。

小学校入学前に両親から何か一つスポーツをやるように勧められ、数ある選択肢の中からフィギュアスケートを選んだ。初めは週2回程度だった練習がだんだんと増えて週5回に。小学3年の時には、他にもしていた習い事をすべてやめてスケート一本に専念。日本トップクラスの選手の多くが参加した経験を持つ全国有望新人発掘合宿(野辺山合宿)に向けて、本格的に選手としての道を歩み始めた。

コロナ禍で気付く「結果だけじゃない」

関大を拠点としていた濱田美栄コーチの影響もあり、高校1年の頃から、地元岡山から関大のリンクへ通う日々。これも関大への進学を決めた理由の一つだ。また、髙橋大輔さんなど卒業生の姿を見て、大学に通いながらも文武両道で励める環境だと判断したからだ。

決意を新たに大阪での生活をスタートさせようとした矢先、新型コロナウイルスが蔓延(まんえん)。毎年のように出場していた海外の試合もすべて中止に。表舞台、海外で試合をすることに競技者として大きな喜びを感じていた木科にとっては、苦しいシーズンとなった。リンクで練習することもままならず、岡山の実家に戻り、陸でのトレーニングに励んだ。しかし、海外での試合を通して出会った世界中の仲間たちも同じ状況であることを知り、自分ができることをやろうと言い聞かせた。

つらいシーズンを乗り越え、思い返せば良い経験だったと断言できるのは、結果だけがすべてではないと気付いたからだ。コロナ禍までは、自分自身のプライドや強化選手であることに固執していたという。

「結果だけじゃない。もちろん、もう一度強化選手として海外の試合に出場したい。そこを目指す気持ちは変わらないが、それだけがすべてじゃないと気付かされた。後から考えると、自分を成長させてくれる良いきっかけだった」。競技者としての価値観が大きく変化した。

フリー「Primavera」の一場面。結果だけにこだわらないスケーティングを見せた

文武両道「関大ならではの経験できた」

4年間で最も印象に残っているのは、2021年度の日本学生氷上選手権大会(インカレ)。当時関大に在籍していた三宅星南(せな、星槎大学、岡山理科大学附属)、須本光希とともに、7、8級男子に出場し、見事団体優勝を勝ち取った。3人で団体優勝を目指して練習してきただけに、しっかりと結果を出せたことに達成感を感じている。

三宅(左)、須本(中央)とともに2021年度のインカレで団体優勝

また、21年の腰のけがを乗り越えて挑んだ22年度の西日本選手権。ショートプログラム首位発進の好スタートを切り、総合2位で堂々の全日本への切符を勝ち取った。「全日本でとにかく上へ」。大学生活の中で最も重点を置いていたシーズン。全日本では、ぎりぎりフリーに進めず、悔しさが残った。

ショートプログラム「Bad」で印象的なピストルを構えるポーズ

大学ラストイヤーには主将も務め、チームを牽引(けんいん)した。関大のアイススケート部は、大学から競技を始めた初心者から全日本選手権に出場する選手まで幅広い級の部員が所属するのが特徴だ。級や経歴は関係なく、同じスケートをやる仲間としての団結力が強く、雰囲気も明るいと話す。そんな中で、実力のある選手が主将として組織の中心に立つことで、みんながついてきてくれると確信していた。

「関大のアイススケート部が少しでも良くなれば」との思いから、自ら手を挙げ、決して楽ではない道を選んだ。主将として、1人の選手として、これまでのスケート人生で得たこと、学んだことを部員に伝えた。「教える立場にも回ったことで、自分の中での気付き、学びも増え、良い経験ができた。これは関大ならではの経験だった」と語る。

引退セレモニーで「Bad」を披露。セレモニーにふさわしい明るい曲を選曲した

関大で過ごした4年間は、まさに文武両道を実現させた。競技者として数々の大会に出場しながら、インカレで団体優勝し、主将を務め上げた。勉強面でも決して妥協はしない。社会安全学部の卒業論文では、スケート靴に関することをテーマに優秀発表賞を受賞。「スケートだけでなく、勉強もやり切ったという手応えがある」と力を込めた。

大学ラストイヤーとなる全日本で2年ぶりにフリー進出を決めた

残り2年「最後は笑顔で終わらせたい」

木科はこの春から大学院に進学する。あと2年はフィギュアスケート選手として競技を続ける決意を3年生の春に固めた。「残り2年」のタイムリミットを常に意識した現役生活になる。

練習、試合への考え方、向き合い方は、最後をどうやって終わらせるかを一番重要視している。目の前の結果だけでなく、最後を笑顔で終わることを目標にやっていきたい。本当にたくさんの方にお世話になって、支えてもらった。その方たちに最後は『木科くんのスケート良かったな』と思ってもらいたいし、感謝の気持ちを込めて滑って、周りの方も自分も笑顔で最後は終わりたい」

今のところ、2年後以降については未定。就きたい職種や入りたい会社も明確には決まっていない。社会安全学部で取り組む、災害や日々の安全についての知識を生かせる場所は多い。大学院で過ごす2年間は、自分が進むべき道を探す模索期間だと話した。

人生の半分以上をフィギュアスケートに捧げてきた木科。長いようで短いタイムリミットは刻々と迫る。氷上で舞うことをめいっぱい楽しみながら、自分らしいスケートを。来たる最後の日を笑顔で迎えるために。

演技後、笑顔を見せる木科

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